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(もどる) 所在地 滋賀県蒲生郡日野町村井705 主祭神 天穂日命・天夷鳥命・武三熊大人命 創建 延暦15年(796) 参道脇に鎮座する境外末社笠懸神社。 日野祭の際、流鏑馬の矢の標的となる笠がこの場所に懸けられたことに由来するとか。 西大路曳山の蔵。 仁正寺藩の藩主市橋長富の妻が寄進造営したもので、16基の曳山のうち最大規模を誇る。 伝若松の森趾。 説明板。 参道周辺にあった「若松の森」を懐かしんだ蒲生氏郷は、会津黒川城を若松城と名を改めたと云う。 伝若松の森趾から境内を見る。 鳥居の代わりに注連縄がある境内入口。 曳山の邪魔になるからであろうか。 境内図。 (馬見岡綿向神社HPより) こうやってしょっちゅう神社を歩きまわっているせいか、めったに花粉症にならない。 境内へ入る。 西側に神輿舎と社務所。 社務所。 玄関の像は蒲生氏郷かな? 社務所前には日野祭の説明板。 神輿舎。 神輿舎前に由緒。 【馬見岡綿向神社】 当神社の起りは、東方に気高く聳える綿向山の頂上に、神武天皇の御宇出雲国の開拓の祖神を迎え祀り、欽明天皇6年(545)その頂上に祠を建てたのが始りと伝える。 その後、平安時代の初期、延暦15年(796)に里之宮として現在の地に遷し祀られたという。 以来、延喜式神名帳にもその名が見え、蒲生上郡の総社、日野の里の大宮として、何時の時代も当地の産土神と、人々の信仰の中心となってきた。 殊に鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、この地の領主であった蒲生氏一族は、氏神として尊び庇護し、更に江戸時代に全国に名をはせた近江商人の内の日野商人達の巨万の財力にも支えられ、出世開運の神として崇敬が集められ、明冶9年郷社に、同42年県社にも列せられた。 そして、今の世も氏子人等の心の拠り処と崇め親しまれている。 その始めを嘉応2年(1170)とする春季例大祭(5月2・3・4日)は日野祭と称し、 3人の神稚児や3社の神輿、16基の曳山車を中心に、古式ゆかしく絢爛豪華に繰り広げられる祭礼は県下にも有名で、県の無形文化財に指定されている。 なを、綿向山山頂(標高1,1100米)に祀る奥之宮(大嵩神社)は、古来より21年目毎に社殿を建て替える式年遷宮の祭事が、今も絶えることなく続けられている。 北側に祓所。 繁みの奥に末社大将軍社があるらしい。 鳥居を潜って社殿へ。 真ん中の神橋。 横から見る。 神橋は渡っていいのかどうか解らなかったので脇から。 手水舎と神馬舎。 洗心。 神馬舎を覗く。 拝殿。 拝殿の奥に本殿を回廊で囲む社殿群がある。 中心の本殿。 本殿は県指定有形文化財。 御前桜。 説明板。 本殿東側に榊御前社。 八幡宮。 猪。 その由来。 神楽殿脇から奥へ。 放生池の脇を進む。 奥に安平稲荷神社。 浅間社。 大嵩神社遥拝所。 奥宮は綿向山頂に鎮座するが木が生い茂って見えない。 放生池の東岸に建ち並ぶ末社群。 左から、竃之社、稲置三麿神社、玉椿神社。 放生池の中央へ。 池の真ん中に池之社・出雲神社。 池を渡って神楽殿の南へ。 琴平神社。 千両松。 江戸時代後期の日野商人辻惣兵衛が植えたもの。 松の盆栽の鉢の中にもうけた大金を隠して無事持ち帰ることが出来た。 神の御加護として植えた松が大きくなったものとか。 神明神社。 天満宮(北野神社)。 何故か桜井の別れの像。 説明板。 玉影神社(祖霊社)。 蛭子神社へ。 蛭子神社。 蛭子神社の南側は草茫々。 落ち葉を捨てるときは、ズーーとズ〜と奥の方へ。 境内を出る。 御朱印は貰えなかった… 参道から日野の街を東へ、中野(日野)城へ向かいました。 (おまけ) 東に聳える綿向山(標高1,110m)。 山麓に末社佐久奈度神社、山頂に奥宮である大嵩神社が鎮座。 |
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