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野地城(遠江国)

登城日  2012年11月 3日(土)晴
難易度  ☆
場所    浜松市北区三ケ日町都筑(旧野馳字城)

徳川家康の命により浜名地区掌握の為築かれた城です。

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【野地城】

野地城は猪鼻湖の東岸大崎半島の基部野地区の西方湖岸に望む半島台地に位置し、北西南三面が湖水に面し東方のみ野地区の集落に接している。
残存遺構の内、目ぼしいのは大手北側の水濠土塁と西郭の土塁等である。
規模が大きな平城であるのは湖北東西交通の基点として増築されたからと考えられる。
本城には本丸、二の丸の遺構あり本丸は殆ど削平化しており、二の丸西曲輪の濠塁と大手門跡附近の北部濠塁を残している。
東西350m、南北200mの楕円形掻上げ平城である。
二の丸東北側に幅7m、深さ7mの堀が残り、西曲輪東南側に幅7m、深さ5mの堀、物見台の東南西側に幅10m、深さ7mの堀、東北側に幅7m、深さ7mの堀が鍵手に残っている。
土塁については二の丸の東北堀に沿って高さ3m、馬踏3m、敷7mの土居、西曲輪の西隅神明宮境内入口に馬踏5m、敷7mの土居が東西に連っており物見台は高さ3mに及んでいる。
残存地名として西曲輪に字城の地名、二の丸の中央一帯を字御殿と云い、その東部を字御馬屋といっている。
本城築城の経過は西方の佐久城が地域的に偏っているので、徳川家康が永禄12年(1569)浜名地域を占領後10数年を経た天正11年(1583)本多百介信俊、上村庄右ヱ門を奉行として東方の街道沿いに移し、後慶長以後家康が東西交通時の寄留池とする立場から増築拡大した趣である。
当地域が湖北の要衝としての存在を重視した徳川幕府はこの城を後永く5代将軍綱吉の時代まで約1世紀に亘り存続させ、概ね代官預りの城として浜名地域掌握の據点とし、又交通上の重鎮ともしていた。
次に城歴は天正11年(1583)築城以来延宝8年(1680)廃城まで96年間存在し、その間本多忠勝、本多信俊、全信勝、三浦為春城主となり元和5年(1619)より市野、彦坂、米倉等各代官の預り城であった。そして事件としては寛永3年(1626)将軍家光上洛休憩所となり御茶屋御殿を造立、延宝8年(1680)幕命により廃城となりその建物器具を荒井関所へ移している。
しかし幕末文久2年(1862)には将軍家茂上洛準備のため城地の取調べが行われている。
以上の来歴に依っても本城は東西交通の要点として重視されて来た事が覗える。
(『shizuoka城と戦国浪漫』HPより)
佐久城から、東急リゾートタウン浜名湖内を自転車道に沿って進む。
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約10分歩けば野地城到着!
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この辺りで道は二手に。
右の細い道を行けば、城の南側側面に突き当たる。
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失礼しま〰す!
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切岸と、奥に空堀または草茫々で進めない登城道。
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細い道を緩やかに登って行けば大手へ行けます。
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戻って、自転車道をそのまま進む。
地元の俳人、富安風生の歌碑。
「藺を干してこの村にわがみよりあり」
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野地城をぐるーっと周回。
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西端にようやく入口があった。
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土塁を壊して造られた入口。
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ここで浜松市博物館にあった模型。
今、先端にいます。
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西曲輪の様子。
運動場として削平されてしまっている。
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しかし、運動場から振り返れば今入って来た入口付近に土塁が残る。
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神明宮。
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社殿。
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社殿脇に土塁。
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南側には物見台があったらしい。
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物見台上部。
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物見台から土塁を見下ろす。
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運動場から東を見る。
手前の窪地は堀跡で、向こうの高台が本丸かな?
二の丸かな?
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運動場の東側に説明板があります。
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説明板を拡大。
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東へ進む。
この辺りは本丸かな?
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北を見る。
一面みかん畑
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鍵曲りの道。
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ここに城址碑が建つ。
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ここから二の丸かな?
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城址碑の南側に物見台のような場所があった。
ちょうど自転車道が突き当たった辺り。
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縣氏歴代之奥都城の碑が建つ。
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西を見る
最初に見上げた切岸。
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東側は窪地。
空堀にも見えるし、模型から推測すると登城道にも見える。
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別角度。
二の丸へ向かって坂になっていたのかな?
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11月だと言うのに草茫々で良く解らず。
龍野城の埋門みたいな感じだったのかな?
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この辺りで合流しているようにも見える。
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今度は北側を見る。
この辺りは字御殿。
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向こう側の竹林が気になるので行ってみる。
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竹林の中を覗くと土塁が見えた。
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土塁上部。
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戻る。
竹林は残存土塁だった。
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竹林の南端付近から大手方面を見る。
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別角度。
二の丸土塁東側には水堀が残っているらしいが、畑を突っ切らなければ近づけず断念。
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よって、一旦西曲輪に戻り、
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北側から出て、
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廻りこむ。
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この辺りも土塁があるような無いような…
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みかん畑の窪地。
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船着場があったのかな?
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先へ進むと右手の竹林が二の丸の土塁で、
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土塁東側の堀跡の北端がコンクリートの壁で解る。
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写真では解らないが、現地で覗いてみると凹んでいるのが解る。
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大手から野地城を見る。
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帰りは最寄のバス停から浜松駅まで帰っても良かったのですが…
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廃線にならないように、天竜浜名湖鉄道の最寄駅である都筑駅へ。
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列車がやって来ました。
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駅に併設しているパン屋さんのパンを食べながらのんびり帰りました。
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佐久城より意外と楽しめた野地城でした。

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