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お茶の水橋から神田川を見下ろす。
明治37年(1904)12月31日甲武鉄道により御茶ノ水駅が開業。
当時はお茶の水橋の西側にあった。
関東大震災後に現在地に移設された。
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聖橋から見る。
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昭和29年(1954)1月20日に地下鉄丸ノ内線御茶ノ水駅が開業。
その後、昭和44年(1969)12月20日には地下鉄千代田線の新御茶ノ水駅も付近に開業。
御茶ノ水、秋葉原、神田のトライアングル周辺はJRや地下鉄が交錯する交通の要衝となっている。
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このトライアングルの真ん中に、昭和18年(1943)11月1日に営業休止するまで万世橋駅がありました。
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【旧万世橋駅】

中央本線のターミナル・万世橋駅は、当時東京でも屈指の繁華街だった須田町交差点前に、明治45年(1912)4月1日に開業した。
当時の最新の技術で作られた煉瓦アーチの高架線を背にして建てられた駅舎は、後に東京駅丸の内駅舎の設計も手掛けた明治建築界を代表する建築家、辰野金吾と葛西万司の設計で、壮麗なレンガ・石積(一部鉄骨造り)の2階建てで、駅舎内には食堂も併設されていた。
駅前広場には日露戦争の英雄、廣瀬武夫と杉野孫七の巨大な銅像が建ち、須田町交差点には東京市電の各系統が集まり、中央線電車と市電の乗り換えターミナルとして、ますます賑わいを増していった。
しかし、大正3年(1914)に東京駅が開業し、大正8年(1919)、中央本線が東京駅まで開業すると、万世橋駅はターミナルとしての役割を終えて中間駅となり、乗降客も減っていった。
そして大正12年(1923)の関東大震災で駅舎が焼失してしまい、大正14年(1925)には2代目の駅舎が完成したものの、初代駅舎の壮麗さは全く失われてしまった。

休止中の駅を総武線の車窓から見る。
(2年前のもの)
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中央線の車窓から見る。
(2年前のもの)
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明治45年(1912)4月1日に万世橋駅開業。
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御茶ノ水駅からの延伸工事の様子。
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開業日の様子。
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初代駅舎と廣瀬武夫と杉野孫七の巨大な銅像。
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東京駅のような立派な駅舎だった。
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東から見た駅舎。
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おびただしい路面電車が行き交う万世橋駅前。
かなり賑わっていたのが解ります。
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しかし、大正8年(1919)3月1日に中央線が延伸し東京駅が出来ると次第に廃れ、大正12年(1923)の関東大震災では立派だった駅舎が焼失、そして昭和18年(1943)11月1日に営業休止。
無人のホームを中央線が通過。
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ホーム脇に留置線。
かつては長距離列車用ホームがあったらしい。
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駅舎のあった所は交通博物館となった。
平成18年(2006)5月14日閉館。
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2年前の交通博物館跡地。
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平成25年(2013)1月に地上20階、地下2階のJR神田万世橋ビルが完成。
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ガラス窓の模様。
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ビル前には鉄道の歴史が刻まれたモニュメントと、
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万世橋駅の歴史がパネル展示。
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裏面も。
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交通博物館閉館後、寂しくなった万世橋駅跡。
(2年前のもの)
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近づいてみる。
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平成25年(2013)9月14日、万世橋駅跡に商業施設「mAAch ecute(マーチエキュート)神田万世橋」開業。
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神田川沿いの様子。
2年前のもの。
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商業施設開業後。
オシャレになった!
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2年前の留置線東端。
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入口が出来ました。
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入ります。
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万世橋ポーチ。
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神田川沿いのオープンデッキを歩いて行けます。
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中のノースコリドーを進む。
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混んでなければまったりしたい感じ。
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その先は雑貨屋が連なる。
これは何ですかね?
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興味が無かったのですぐに出てしまった。
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出た所に万世橋駅舎の基礎遺構。
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新旧対比。
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いよいよ万世橋ホームへ。
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1912階段。
万世橋駅開業当時に造られた階段で、踊り場は当時の新素材であるコンクリートが使われている。
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壁面のタイルは、覆輪目地という高級な施工がされている。
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階段は花崗岩や稲田石を削りだした重厚なもの。
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階段を登る。
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エレベーターでも登って来れるようだ。
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西側はカフェ・バー。
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なので、無料区域へ。
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留置線を見る。
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駅名標。
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旧万世橋駅プラットホーム上屋基礎。
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JR神田万世橋ビルを見上げる。
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プラットホーム東端。
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帰りは1935階段から下りる。
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昭和10年(1935)鉄道博物館(後の交通博物館)の新館が建設された時設置された階段。
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ショップを見下ろす。
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ショップから見上げる。
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駅貼りポスター残骸。
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1935階段出口を見下ろす。
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見上げる。
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1935階段出口。
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飾り。
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サウスコリドー。
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常時公開となった万世橋駅跡でした。

(おまけ)

サウスコリドーの西。
(2年前のもの)
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この辺りに江戸城筋違御門があった。
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正面は御成道。
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説明板。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/dd/61/kanezane3/folder/463061/img_463061_10947979_67?1382708982_
明治5年(1872)に筋違御門が解体され、不要となった枡形石垣を転用して、門跡に東京で最初の石橋が架けられた。
2年前のもの。
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現在のもの。
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時の東京府知事大久保一翁により「万世橋」と命名された。
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明治36年(1903)に「元万世橋」と改称し、明治39年(1906)に撤去。
橋名を刻んだ石の親柱が神田神社境内に保存されている。
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明治17年(1884)に上流の昌平橋が流出。
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流出した昌平橋の代わりに、下流の現在の万世橋の位置に昌平橋が架けられた。
上流の昌平橋が復旧すると、「新万世橋」と改称。
明治36年(1903)には鉄橋に改架されて「万世橋」と再度改称。
現在の橋は、関東大震災の後の昭和5年(1930)に架け替えられた。
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立派な石の親柱。
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橋名のプレート。
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完成時期を刻むプレート。
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万世橋駅の駅名はこの橋に由来。
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歩道のガードレールは汽車の模様。
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橋の南側にある肉の万世。
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こちらも橋名に由来。
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橋の北側は秋葉原電気街。
(2年前の写真で古くてスミマセン。現在は、石丸電気がエディオンになっています。)
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橋の北側の地下に地下鉄銀座線万世橋駅があった。
昭和5年(1930)1月1日に設置されたものの、昭和6年(1931)11月21日に廃止。
約2年と短命の駅だった。
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エディオン前の給排気口が階段跡。
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「ブラタモリ」で階段を降りていく様子が放映されたが、一般人は見ることが出来ない。
銀座線の車窓からホームが一瞬見れる程度です。

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