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登城日 2013年 1月 3日(木)曇 難易度 ☆ 場所 名古屋市南区呼続元町2-7 【山崎城】 現在の安泰寺付近一帯が山崎城の城址と伝えられ、東・北・西三方が崖となっている。 城は竹藪におおわれ、東西約45m、南北約56mで、内外二重の堀に囲まれていた。 ともに幅は約13m、深さ約3〜7mもあり、厳重な構えであった。 築城者は明らかでないが、織田信長の重臣佐久間信盛が一時居城していたので、佐久間氏の一族と推定される。 佐久間氏は15世紀から16世紀にかけて、名古屋市東南地区に勢力を持っていた豪族で、このあたりの主要地点に館を構えたが、山崎城もその一つである。 なお、城の付近に、佐久間氏の重臣水田弥左衛門と、同じく岡本重左衛門の重左屋敷があった。 廃城となった年代は詳らかでない。 (日本城郭大系より) 笠寺から熱田へ向けて旧東海道を歩いて行くと、やがて山崎の長坂に差し掛かります。 坂を下りて振り返ると、「山崎城趾・安泰寺」の文字。 東海道の絵図にも載っていました。 鳥居前の碑を拡大。 山崎の長坂は今より急坂だったと云う。 また、「愛知」や「呼続」の名の由来も記されています。 少し曲がって境内入口。 御由緒。 山崎城主佐久間信盛が城の守護神として勧請したと云う。 境内の様子。 この辺りは「松巨嶋」と呼ばれていた。 【手洗 松巨嶋】 呼続の台地一帯は、昔、白砂青松の景勝地で松巨嶋(まつこじま)といわれ、尾張徇行記に記されている。 この手洗の表には「松巨嶋」、裏には「明和三丙戌歳五月吉辰」願主三宅徳左衛門年定、と刻まれている。 社殿の裏へ行ってみる。
名鉄の線路の向こう側に山崎城跡にある安泰寺が見えました。 行ってみる。 半島のように突き出た台地へ橋を渡る。 橋から名鉄の線路を見下ろす。 堀跡? 台地を削ってしまっただけかな? 南側。 木々が見える所が先程いた熊野三社境内。 安泰寺入口。 山崎城跡の表記。 断崖絶壁に囲まれている。 唯一台地とつながっていた南側に虎口があったのだろうか? 境内に山崎城に関する説明板等は見当たらなかった。 「閉めてくれてありがとう」と書かれた扉は閉めずにはいられない。 山崎城を後にする。 東側から北へ下って行く道。 大手だったのかな? それとも搦手だったのかな? 城下を見下ろす。 城下には水野忠分の屋敷があったとか。 城下から山崎城を見上げる。 イオンモール新瑞橋から見た山崎城。 旧東海道へ戻る。 山崎の長坂を下った所に法泉寺がある。 行ってみる。 法泉寺も台地の先端にある。 本堂。 特に目を引くものは無かった。 結局良く解らず後にした。 呼続駅から見た山崎城。 案内板を建てるなら説明板も欲しい山崎城でした。 |
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