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所在地 名古屋市緑区大高町火上山1-3 主祭神 宮簀媛命 創建 (伝)第14代仲哀天皇4年(195) 熱田伝馬町から市バスに乗り下浜下車。 天白川を渡ると知多郡。 天白扇川橋の西側を少し南下した所が参道入口。 社標の側面には「宮簀媛命邸趾」の表記。 一般道のように見えるが参道。 ちょっと寄り道。 ここから西へ行くと、寝覚の里の碑。 明治43年(1910)に熱田神宮の宮司が建てた碑文には、付近は昔は海で潮が打ち寄せていたので、日本武尊が打ち寄せる波音で寝覚めたという内容が書かれているらしい。 もう少し東へ行くと寝覚の里公園もある。 参道へ戻る。 参道脇に末社玉根社。 境内の様子。 少彦名命を祀る。 境内の井戸。 火上井だろうか? 戸部城の記事でご紹介した丹八山の頂上の石碑に、星崎城下の長命井と火上(氷上)井が関係が書いてある。 (内容は良く解りませんが…) 玉根社の北側に斎田。 瑞穂区神穂町の御神田が無くなってしまったので、熱田神宮で御田植祭が行われるのはここだけ。 毎年6月第4日曜日に行われる。 また、9月28日に抜穂祭が行われ、収穫米は熱田神宮の本宮始め各社の年間の祭典用神饌として供えられる。 参道を挟んで反対側に斎山(いつきやま)稲荷神社への道。 元境内地に鎮座。 元宮参道との分岐点。 元宮へ。 なだらかな火上山。 この地域に火災が度々起き、永徳3年(1382)には火上姉子神社が被害を受けた事から「火高」を「大高」に、「火上」を「氷上」と改めたとも伝わるが、地名は「火上山」に復して現在に至る。 山頂付近。 桶狭間の戦いの際、氷上砦が造られたと云うが、要害には見えない。 西側には「取手山」の地名あり。 そちらかな? 山頂に元宮。 日本武尊の妃、宮簀媛命を祀る。 「姉子」とは「夫のない乙女」の意味で、日本武尊が東征の帰途、甲斐国の坂折宮で宮簀媛命を偲んで詠んだ歌、 年魚市潟(あゆちがた) 火上姉子は 我れ来むと 床去るらむや あはれ姉子を から付けられたと言われている 宮簀媛命邸趾の碑。 火高山の山頂には尾張氏の居館があったと云い、日本武尊が対岸の鳴海から望見して歌を詠んでいる。 下る途中に、 末社神明社。 天照大神を祀る。 元宮参道入口。 氷上姉子神社へ。 由緒書。 熱田神宮摂社 【氷上姉子神社】 御祭神 宮簀媛命 当神社は昔から「お氷上さん」と親しく呼ばれ、尾張氏の祖神として、大高町はもとより、広く当地方一円の人びとから厚い崇敬を集めています。 御祭神の宮簀媛命、尾張の国をおさめておられた乎止与命(おとよのみこと)の女(むすめ)で、古代随一の英雄とたたえられた日本武尊が東国平定からの帰途、この地に留まられた時に結婚されました。 その後、尊が伊勢の国の能褒野で亡くなられてからは、尊から託された草薙神剣をこの地で守護してこられましたが、やがて神剣を熱田の地へお祀りされ、熱田神宮御創祀の貴い道を開かれた方です。 御社殿は、乎止与命の館跡(現在の元宮の地)に、仲哀天皇4年に創建、持統天皇4年に現在の地に遷座されました。 以後、延喜式(927年)の小社に列せられ、江戸時代の貞享3年(1686)には、幕府によって御造営が行われるなど、厚い処遇をうけて今日に至っています。 例祭 10月第一日曜日 太々神楽 3月最終日曜日 頭人祭 5月6日 御田植祭 6月第四日曜日 参道を進む。 直角に曲がる。 結局、麓の参道から180度曲がったことになる。 境内の様子。 手水舎。 社殿でお参り。 現在の本殿は明治26年(1893)に神明造に建て替えられる以前の熱田神宮の別宮八剣宮の本殿を移築したもので、戦災を免れた貴重な尾張造である。 拝殿内に頭人祭で奉納された鷹の絵馬が飾ってありました。 社務所。 境内を振り返る。 自然豊かな火上山。 いろんな野鳥が見られます。 輪投げ。 ポイッ! 境外末社朝苧社へ向かいます。 東の参道を振り返る。 ここからの道は境内にあった案内板を参考に。 名四国道を潜る。 名四国道沿いを南へ直ぐ右斜めへ。 突き当たりを右折。 住宅街の細い道を進む。 この辺りに「花井」姓のお宅がありました。 大高城主の末裔かな? ここを右折。 一瞬戸惑うが、迷わず直進。 大丈夫かな? やっぱり不安になる。 繁みを抜けると山道がありました。 しばらく登って森の中に熱田神宮末社朝苧社がありました。 火上老婆霊を祀る。 う〰ん。 今来た道、竪堀に見えるんだけど… 朝苧社のある東姥神の丘が氷上砦だったりして。 大高城の隣ですし… この丘の西麓に氷上姉子神社の祠官久米家の墓所があります。 南麓には石神白龍大王社。 氷上姉子神社と関係あるかも? だそうです。 熱田神宮の元宮、氷上姉子神社でした。 |
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