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登城日 1回目 1990年頃 2回目 2013年 1月 5日(土)曇 難易度 ☆ 場所 京都市伏見区桃山町 【伏見城】 京都府京都市伏見区にあった平山城。 豊臣秀吉が天正19年(1591)に、甥の豊臣秀次に関白の地位と聚楽第(京都市上京区)を譲ったことにともない、太閤となった秀吉の隠居所として伏見の地に築いた屋敷を起源とした城である。 文禄2年(1593)、嫡男の捨丸(豊臣秀頼)が誕生したことにより、将来、大坂城を秀頼に譲ることを想定して、伏見城の大規模な改修が行われた。 この改修に伴い、宇治川の流れを変えて巨椋池に街道を通す大規模な土木工事も行われている。 さらに、宇治川の対岸に伏見城の支城、向島城が築城され、城下町の整備も始まった。 秀吉は大坂城と伏見城を行き来していたが、晩年は伏見城で過ごすことが多くなり、慶長3年(1598)8月18日に、五大老に豊臣秀頼を託して伏見城で没した。 慶長5年(1600)6月、関ヶ原の戦い前夜、徳川家康は会津の上杉氏征伐に動き出したが、このとき、伏見城には家康の城代鳥居元忠が在城していた。 この伏見城を小早川秀秋、島津義弘ら4万の兵が攻め、落城させたが、これが関ヶ原の戦いの直接のきっかけの一つになった。 家康は慶長6年(1601)3月に伏見城に入城し、藤堂高虎が普請奉行に起用されて、二条城(京都市中京区)とともに伏見城の再建に着手した。 慶長8年(1603)には、伏見城で征夷大将軍の宣下を受けて江戸幕府を開いた。 慶長10年(1605)、家康は一時期二条城に移ったが、本丸部分が完成すると伏見城にもどっている。 幕府は二条城を儀典用、伏見城を居館用として利用していたが、大坂の陣後の元和5年(1619)、一国一城令の趣旨からも両城の維持は困難として、伏見城の廃城が決定した。 その後、城跡一帯は開墾され、農地となった。 (伏見城の跡には元禄時代ごろまでに桃の木が植えられて桃山と呼ばれるようになり、現代に至り伏見城は桃山城あるいは伏見桃山城とも呼ばれるようになった。) 昭和39年(1964)、城跡に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、鉄筋コンクリート製の5重6階の模擬大天守と3重4階の模擬小天守、櫓門などがつくられた。 その後、この遊園地は閉園となったが、建物は京都市に寄贈され、同市は伏見桃山城運動公園として整備した。 模擬天守などの内部は現在、耐震基準を満たしていないことから非公開となっている。 伏見城ガイドマップ。 最寄駅はJR奈良線桃山駅。 指月伏見城推定地。 北端の立売通。 少し西へ進み、指月城の中心に位置する観月橋団地へ。 昭和37年に出来た団地。 50年の年月が過ぎ、一部は解体も始まっていた。 団地の東へ行くと、 近畿財務局桃山合同宿舎 団地内の広場に、 お地蔵様。 今度は西へ。 こちらにも広場。 泰長老公園でした。 南側は切岸? 特に指月城跡を思わせるものはありませんでした。 何も無いので、団地内の段差が曲輪に見えてきた。 団地を出る。 立売通を西へ。 大光明寺陵。 南北朝時代の北朝の光明天皇(在位1336-1348)と崇光天皇(在位1348-1351)が眠る。 参陵道。 明治時代に円墳として整備されたとか。 この辺りに大光明寺があったと云う。 慶長14年(1614)相国寺境内に移転し塔頭寺院となっている。 大光明寺陵前から立売通は下って行く。 堀底の道からJR奈良線の線路を見上げる。 JR奈良線の車窓から見下ろす。 この窪地は、伏見城の舟入と呼ばれる堀跡。 右側の高台が大光明寺陵。 この辺りの町名は本多上野。 本多上野介正純の屋敷があったことに由来。 愚庵終焉の地の石碑。 説明板。 天田愚庵は幕末の人で、一時清水次郎長の養子にもなっていた武士で歌人。 ここにあった庵は福島県いわき市に移築復元されたそうです。 東へ寄り道。 途中、曲輪のような平坦地。 この辺りには宮部善祥坊継潤の屋敷があったと云う。 戻って堀跡を南下。 途中、石列が見られた。 何か関係あるかな? 指月城域の町名、泰長老説明板。 【桃山町泰長老】 伏見桃山城時代、相国寺の禅僧、西笑〔諱は承兌〕の邸宅があったと伝えられている。 西笑は、豊臣秀吉の外交僧で、ポルトガル・朝鮮使節との交渉にあたり、相国寺で長老として尊ばれていたので、別名「泰長老」と呼ばれていたらしい。 また、この付近を江戸町とも称するのは、徳川家康が上屋敷である桃山町三河の邸宅より下屋敷である「向島城」へ通う路であったからともいわれている。 尚、伏見城の最初の隠居屋敷であった「指月城」があったとされている。 また、徳川家康によって開校された「伏見学校」があり、論語等伏見版と称される書籍類はこの学校から出版された。 明治時代、「東海道遊侠伝(清水次郎長の活躍した小説、最初に次郎長世間に紹介した)」を著した歌人天田愚庵もここに居を構えていた。 説明板のとおり、付近には江戸町なる地名も。
(町名には無い) ここから外環状線沿いを西へ。 石垣? 指月山月橋院。 元は円覚寺といったが、豊後橋(今の観月橋)竣工の日に豊臣秀吉が当寺で遊宴を催し、月を賞でたことから月橋院と名を改めたと云う。 指月の森を見上げる。 西運寺。 狸寺で親しまれている。 京都吉田地図桃山販売所。 古地図を制作、販売している。 伏見城の話もしてくれます。 是非、立ち寄るべし! 観月橋。 元は豊後橋といい、豊後大友氏に命じて架橋させたことに由来。 橋の下の「城外之庭」。 説明板。 西側の財務省の官舎と市営桃陵団地が建つ所は東奉行町。 江戸時代に伏見奉行所があった所。 東側は観月橋団地。 こんな所で猿注意だって! 立売通を東へ進むと元に戻る。 淀古城から移建したと云う天守閣が建っていた指月城は、文禄5年(1596)7月に起こった慶長伏見地震により大きな損害を受けたため、北東約1kmの木幡山に新たに築城されることとなった。 指月城を一周しましたので、御香宮神社を経て木幡伏見城へ向かいます。 (つづく) |
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