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所在地 京都市伏見区御香宮門前町 主祭神 神功皇后 創建 不詳 近鉄京都線桃山御陵前駅から大手筋を東へ登って行くと大鳥居があります。 城郭のような石垣と白壁。 この辺りの町名は御香宮門前町。 【御香宮神社】 御祭神は神宮皇后、仲哀天皇、応神天皇など9柱を祀る。 社伝によれば、貞観4年(862)境内から清泉が湧き出て、その香気が漂い、その水を飲むとたちまち病が癒えたので、「御香宮」を賜った。 以後、伏見の産土神として人々の信仰を集めたが、度々の兵乱や天災により荒廃した。 文禄年間(1592〜96)豊臣秀吉は、当社を伏見城内に移し、鬼門の守護神としたが、慶長10年(1605)徳川家康により旧地である当地に戻され、現在の本殿(重要文化財)が建立された。 表門(重要文化財)は、旧伏見城の大手門と伝えられている。 宝物として、秀吉の寄進した金熨斗付太刀(きんのしつけたち・重要文化財)を蔵する。 境内には、伏見義民文殊九助らの顕彰碑がある。 毎年、10月の神幸祭は、伏見祭・花傘祭とも呼ばれ、神輿や花傘、獅子などが出て、盛大に行われる。 京都市 境内図。 国の重要文化財。 伏見城の大手門を移築したものと云う。 参道の鳥居。 大手筋木鳥居旧基礎石。 説明板。 覗いてみる。 説明板。 大杉社の脇に芭蕉・去来の句碑。 芭蕉 「梅が香に のつと日の出る 山路哉」 去来 「応々と いえど敲くや 雪の門」 桃山天満宮。 右側に牛くん。 左側に伏見城の残石と由緒書の碑。 由緒書の碑を拡大。 厳島社。 老松社、白太夫社、紅梅殿。 不明の末社と神宮寺の碑。 碑文によると、この地に神宮寺の大善院・正徳院・金蔵院があったが、明治時代初めの神仏分離令で無くなり、跡地に堀内小学校(現桃山小学校)が出来たらしい。 北参道から桃山天満宮を出る。 脇に、道標と車石と白菊石。 白菊石の由来碑。 白菊石は白菊水の説明で出ている石で、元は金札宮にあったそうです。 車石。 レールのようなもの。 説明板。 東参道鳥居。 国道24号線から境内東側を見る。 国道拡幅の際に境内が削られたらしい。 東参道から再び境内へ。 駐車場。 駐車場東側の日露戦争の碑。 再び参道へ戻り、 西側へ。 伏見義民の碑の北側に婚礼センター。 参道を進む。 貴賓館の門。 脇に、豊臣秀吉が伏見城築城の際、各地から集めた茶花の一つと伝えられる五色の散り椿がある。 小堀遠州が「これほど見事な椿はおそらくないだろう」と称えたことから「おそらく椿」とも呼ばれる。 手前の石も伏見城の残石だろう。 回の刻印がある。 こちらは 参集館。 脇に大倉垣吉翁の碑。 参道を振り返る。 参道を進む。 右に手水舎。 左に土蔵。 寄り道。 西へ行くと、神輿蔵と九香軒。 九香軒説明板。 西側は一段低い。 西側には城郭のような石垣がある。 西門を見る。 第二駐車場から戻る。 今度は東側。 奥に明治維新伏見の戦い跡の碑。 説明板。 社殿へ向かいます。 (つづく) (おまけ) 境内の西側に行くと、 桃山基督教会があります。 キリスト教の教会なのに校舎みたい。 ちゃんと十字架がついています。 昭和11年(1936)に奈良の宮大工が御香宮神社と調和するように建てたもの。 秀吉の頃には、桃山基督教会の地は金森可重の、御香宮神社の境内は小早川秀秋の屋敷があったようです。 教会の北側は桃山町金森出雲。 (町内にある金森出雲児童公園を撮ったもの) 「出雲」は金森長近の養子可重が出雲守だったことに由来しているものと思われます。 |
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