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伏見城位置図。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/dd/61/kanezane3/folder/463061/img_463061_10947979_159?1392292350

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【大手筋】

この通りの東端に伏見城の大手門が構えられていたのでこの名がつけられた。
豊臣秀吉は伏見築城に際して、京都の南に拡がっていたこの田園地帯に秀吉の集大成として念願の城下町経営に着手したが、それも都との連携を充分に意識して造成した結果、南北に細長い町割となってしまった。
伏見の城下町は城に対して「ヨコマチ」であったから、南北の通りが「本通り」となり、東西の通りが「筋道」となるので、伏見では「大手筋」となる。
明治天皇の桃山御陵参道となってからは商店街として発展し、カラー舗装やソーラーシステムのアーケードを備えて洛南最大の商店街として終日にぎわっている。

御香宮神社から国道24号線を渡って大手筋を東へ進み、木幡伏見城を目指します。
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渡った所の北側に松平筑前公園。
前田利常(別名松平筑前守)の屋敷があったことに由来。
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南側は桃山町鍋島。
鍋島勝茂の屋敷があったことに由来。
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JR奈良線の踏切を渡る。
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踏切の北側の高台は桃山町筑前台と毛利長門東。
筑前台は、前田筑前守利家の屋敷があったことに由来。
毛利長門は、毛利輝元とその長男の長門守秀就の屋敷があったことに由来。
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踏切の南側には浅野長晟と幸長の屋敷があった。
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大手筋を進む。
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ここから伏見桃山陵の森が始まる。
この辺りに池田輝政の屋敷があった。
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ここから真っ直ぐ東へ進んだ所に大手門があったのですが、ちょっと寄り道して舟入へ向かう。
JR桃山駅の北側。
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付近の町名は桃山町松平武蔵。
池田(松平)武蔵守利隆の屋敷があったことに由来。
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この辺りは大光明寺陵から線路を挟んで北側付近。
舟入の堀へ下って行く。
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堀底の道からJR奈良線の線路を見上げる。
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堀は大手門付近まで繋がっていた。
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堀は東へ向きを変え高度を上げていく。
この道の右側にあったらしい。
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ここら辺で交差。
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振り返る。
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宮部善祥坊継潤の屋敷跡に建つ桃山小学校北側を通過。
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突き当たりに乃木神社。
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徳川家康上屋敷があった所と云う。
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南側には石田三成の下屋敷があった。
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境内北側の土塁は何か関係あるのかな?
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乃木神社を後にする。
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付近に堀跡の窪み。
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徳川家康上屋敷の北側には宇喜多秀家の屋敷があった。
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その先を進むと道路脇に段差が見られた。
手つかずの森の中に屋敷跡があるのかな?
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乃木神社へ戻り、北へ進む。
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大手筋の延長、桃山御陵参道と交差。
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東側の参道付近に大手門があった。
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ここで木幡伏見城縄張図。
(探訪ブックス「近畿の城」より)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/dd/61/kanezane3/folder/463061/img_463061_10947979_161?1392292350
桓武天皇御陵参道を北へ進む。
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東側には石田三成の屋敷があったと云う治部少丸があったが立入禁止。
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残石。
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あちこちに。
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木々の間から治部池が見えた。
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治部池北側でキャッスルランドへ行く道と交差。
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進むと、桓武天皇陵西参道と合流。
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伏見桃山城の西側に桓武天皇陵。
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伏見城があった頃にも存在したのだろう。
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キャッスルランドへ行く道へ戻る。
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進むと北堀が見えた。
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伏見桃山城の総門。
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この辺りは御花畠といわれた曲輪で、昭和39年(1964)に伏見桃山城キャッスルランドという遊園地が造られたが、平成15年(2003)に閉園し、現在は運動公園になっている。
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城門。
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秀吉の家紋「五七桐」。
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城址碑。
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門を抜けると、小天守と大天守。
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大天守へ登る石垣は大坂城に匹敵するくらい立派。
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大天守には門まで付いている。
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史跡碑。
伏見桃山城は本物ではないが、取り壊すのは惜しい。
もう史跡なのかもしれない。
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伏見桃山城は初めて城めぐりに目覚めた城。
最初は本物だと思って、遠くから眺めていました。
本物の伏見城は、東南のこんもりした森の中にありました。
手前の駐車場は内堀跡。
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伏見桃山城を後にします。
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城門は午後4時に閉まるので注意!
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キャッスルランドの北側に北堀。
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説明板。
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【伏見城北堀】

明治中期以降、昭和30年までは京都市水道局の貯水池として使用され、 地元では「水源地」と呼ばれていた。
堀の構造は、東西に「E」型をしており、 一段ないし二段の「武者走」を設けている。
昭和55年秋、石垣列確認の 発掘調査を実施、南斜面より長さ8m、高さ1.5mの石垣列を検出、 その後、平成2年・3年と2階発掘調査を実施、数ヶ所にて石垣などを確認、崩壊を防止する必要上埋め戻した。
中央部分の突出部の南からは堀を埋めた様子が確認され、この北堀と南側の内堀とがかつて繋がっていたことを示していた。
発掘調査終了後、平安建都1200年記念事業の一環で、スポーツ公園として整備された。

北堀の修景池。
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神田川かと思うほど深くて大きな堀。
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堀の北側は万帖敷町。
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「E」型をした北堀の真ん中出っ張った所。
右(西)側は大蔵丸。
左(東)側は弾正丸。
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大蔵丸は、現在運動場となっていが、付近の町名は桃山町大蔵。
五奉行の一人、近江水口城主長束大蔵正家の屋敷があった。
運動場の南側に大きな空堀を挟んで、出丸二の丸、本丸がある。
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大蔵丸の北側。
残存土塁かな?
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弾正丸脇の北堀。
堀には武者走があった。
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弾正丸は草地。
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弾正丸北側に残る土塁。
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弾正丸から伏見桃山城を見る。
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近づいて見る。
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日が暮れて行きます。
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つづく

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