|
登城日 2013年 1月 6日(日)曇 難易度 ☆ 場所 京都府宇治市槇島町大幡 太閤堤から宇治川を挟んで対岸に槇島城はありました。 最寄駅はJR奈良線宇治駅。 平等院鳳凰堂をモチーフとした駅舎。 駅前の茶壺のポスト。 宇治茶の町であります。 最初は解らなかったので、宇治橋を目指す。 宇治橋西詰から巨椋池水のみちへ下りていく。 JR奈良線の線路を潜る。 整備された水のみち。 取水口 説明板。 対岸の太閤堤と菟道稚郎子墓を見る。 西を見る。 ユニチカ工場煙突。 手前には地球儀のようなタンク。 ユニチカ工場の北側。 任天堂宇治工場があるこの辺りが槇島城の南らしい。 ここをを斜めに入って行く。 住宅地の中にある薗場児童公園に碑と説明板があります。 説明板。 【槇島城跡】 槇島城は、室町時代から安土桃山時代にかけて、足利将軍家の家臣真木島氏が本拠としていた城で、この附近にあったと伝えられています。 この地は交通の要衝でもあり、また回りを川で囲まれた天然の要塞にもなっていた所です。 槇島城が日本史の舞台に登場するのは、元亀4年(1573)のこと。 織田信長に追われた室町幕府第15代将軍足利義昭は、京都から真木島昭光がいるこの槇島城に居を移します。 しかし、7月18日に、追ってきた信長軍勢の豊臣秀吉・明智光秀・柴田勝家らからは川下の五ヶ庄より、また稲葉一鉄らからは平等院周辺より攻撃をうけ、義昭は昭光等と河内国へ逃亡しました。 これにより、城は開城するとともに、室町幕府はこの地で滅びました。 この戦いを槇島合戦と呼んでいます。 その後、信長・秀吉によって城は管理されますが、文禄3年(1594)頃廃城になったと考えられています。 この付近は秀吉による堤の築造や宇治川の改修などにより景観がすっかり変わり、槇島城の位置はもちろん、存在そのものも忘れ去られようとしています。 そこで、ここより少し北の槇島公園に槇島城記念碑が建てられました。 平成16年8月1日 宇治市教育委員会 |
城
[ リスト ]




