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所在地  京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9-1
山号   善入山
宗派   臨済宗
本尊   木造十一面千手観世音菩薩立像
創建   平安時代
開基   白河天皇

南北朝ゆかりの寺で紅葉の名所です。

詳しい地図で見る

清凉寺境内の西南隅。
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向かいに宝筐院があります。
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駒札。
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【宝筐院】

善入山と号する臨済宗の寺である。
当寺は、平安時代に白河天皇により創建され、当初、善入寺と称した。
南北朝時代に夢窓疎石の高弟、黙庵が入寺し、室町幕府二代将軍足利義詮の保護を得て、伽藍が復興された。
更に、義詮の没後、その院号宝筐院に因んで現在の寺名に改められた。
以後、足利氏歴代の崇敬を得て栄えたが、室町幕府の衰亡と共に寺も衰微していった。
現在の堂宇は、明治時代以降に再興されたもので、本堂には、十一面千手観世音菩薩を安置している。
境内には、貞和4年(正平3年(1348))、四条畷の合戦で戦死した楠木正行(正成の子)の首塚と伝えられる五輪石塔及び義詮の墓と伝えられる三層石塔がある。

京都市

寺標と山門。
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庫裡。
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入口はここから。
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書院の玄関。
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良く見ると、障子の模様にも紅葉。
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庭を見るといきなりこの光景。
赤・オレンジ・黄色・緑…
見惚れました。
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庭を進む。
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見上げる。
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書院が紅葉で埋もれています。
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白砂の川と紅葉。
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苔庭と紅葉。
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先へ進む。
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本堂へ。
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本堂内部。
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黙庵禅師と楠木正行。
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四条畷合戦の図。
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本堂西側へ。
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本堂から庭を眺める。
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期待以上の庭。
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擬宝珠。
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皆うっとりと眺めていました。
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庭の北側から西側へと見て回ります。
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書院。
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書院南側の燃えるような紅葉。
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本堂北の燃えている紅葉。
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こりゃ何だ???
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境内北側の道を西へ進む。
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逆光。
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滝に見立てている。
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境内西側の小楠公首塚へ。
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首塚の由来を記した欽忠碑。
明治24年(1891)に、京都府知事北垣国道が小楠公遺跡が人知れず埋もれているのを惜しみ、これを世に知らしめるため建てたもの。
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小楠公首塚(右側の五輪塔)と足利義詮(左側の三層石塔)。
南朝の忠臣・楠木正行は黙庵に帰依しており、彼が正平3年/貞和4年(1348)に河内国北條(現在の大阪府四條畷市)で行われた四條畷の戦い(四條縄手)において足利方の高師直・師泰兄弟と戦って敗北した後は、黙庵によってその首級を寺の敷地内に手厚く葬られた。
その正行の敵である足利義詮は、正行の埋葬を知ると、「自分の逝去後、かねており敬慕していた観林寺(現在の宝筐院)の楠木正行の墓の傍らで眠らせてもらいたい」と遺言を残したと言われ、貞治5年(1367)、彼の死後ほどなく、正行の墓の隣の墓に葬られた。
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境内の西から東へ。
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本堂前の紅葉。
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再び本堂から。
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見上げると燃えていた。
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青い紅葉。
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足元の笹。
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石燈籠。
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どうだんつつじ。
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さらに東へ進む。
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山茶花。
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素晴らしい紅葉の庭も終わり。
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もう一度見上げる。
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お庭を出る。
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最後に御朱印。
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紅葉が見事な宝筐院でした。

(おまけ)

宝筐院は、絹本著色足利義詮像(国の重要文化財)を所蔵している。
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非公開です。


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