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所在地 京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1 山号 報国山 宗派 西山浄土宗 本尊 阿弥陀如来 創建 建久9年(1198) 開基 蓮生、法然(開山) 最寄駅は阪急京都線長岡京駅。 アゼリア通りの踏切そばに、「本山粟生光明寺」の寺標。 法然の石棺から、まばゆい光明が発せられたということを聞いた四条天皇が、光明寺の勅額を与えたと云う。 阪急バス22系統に乗り、「旭が丘ホーム前」下車。 のどかだねぇ〰 真っ直ぐ西へ進むと参道入り口。 朝7時半でほぼ一番乗りだった。 境内図。 近所を散歩でもしようかと思ったが、大型バスが続々とやって来たので、並んでひたすら開門を待つ。 外国から来た方も何人かいました。 有名なんですね〰 待っている間に紅葉を撮る練習。 1年に一度のチャンス! 失敗は許されません。 8時になったら、列が長くなったので券を買い総門前まで前進。 左側に地図や説明板があります。 【光明寺】 西山浄土宗総本山。 建久9年(1198)、法然上人の弟子蓮生法師(熊谷次郎直実)が、師のすすめによってこの地に草庵を開いたのが始まりです。 その後、法然上人の高弟である證空上人とその弟子達に受け継がれてきました。 光明寺の周辺、粟生広谷の地は、法然上人が初めて念仏の教えを説いたところです。 総門の前に「浄土門根元地」の石碑が建てられているのは、正親町天皇より「法然上人ノ遺廟、光明寺ハ浄土門根元之地と謂イツベシ」という綸旨を賜ったことに由来しています。 総門をくぐり、ゆるやかな石段を上がると宝暦3年(1783)に建てられた御影堂が見えてきます。 この御影堂には、建永の法難で四国へ流罪ときまった法然上人が、弟子の願いに応えて自らお作りになったといわれる「張り子の御影」が祀られています。 また、その背後の丘の上には、法然上人の御遺骨を納めた御本廟(非公開)があります。 多くの寺宝には木造千手観音立像や絹本着色二河白道図(鎌倉期:東京国立博物館勧告保存)などの国指定重要文化財も含まれています。 境内には樹齢150年を超える楓の木々がたくさんあり、西山の紅葉の名所として有名です。 浄土門根元地の碑。 もう一つの説明板。 少しづつ前進。 ここからゆるやかな石段(表参道で、通称「女人坂」と呼ばれている。)を登るか、 もみじ参道を進むか、 選択を迫られる。 背後からはぞくぞくと参拝者が入ってきます。 鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)句碑。 浄土門 ここにはじまる 照紅葉 やはり紅葉でしょう! 9時に入山許可。 もみじ参道をゆっくり進む。 (ベテランカメラマンが音頭を取って、人が写り込まないように進みました。) フライングするとベテランカメラマンに怒られます お目当ての薬医門が見えてきました。 連写、連写! 薬医門。 江戸後期に建てられた。 さすがにこのようには撮れなかった たった5分間の撮影会は終了。 総門へ戻る。 野風呂句碑から。 参道を挟んで南側に閻魔堂。 菩薩さまの化身の閻魔様が祀られています。 人一杯のゆるやかな石段を登る。 脇の紅葉。 燈籠。 振り返ると列をなして人が登ってきます。 門跡の礎石。 脇に墓地への参道。 表参道をさらに登る。 脇の紅葉。 石段を登りきる。 南側に塩田紅果句碑。 うつし世の 楽土静けし 花に鳥 北側に五重石塔。 その先に観音堂。 観光案内所にもなっています。 その先に法然上人袈裟掛の松。 法然上人が初めて念仏の教えを高橋茂右エ門夫妻に説いた後、しばらく西山広谷の地に留まろうと思い立ち、袈裟をぬいで掛けた松の木で、元々は本山の裏山の奥深く、小さな谷の斜面に生えていたが、昭和57年(1982)に株分けされて経蔵の前に移された。 元の地には松と小さな碑が残されている。 奥に経蔵。 参道を振り返る。 観音堂の南側に勅使門へ下りていく坂。 その先に遣迎鐘(けんこうがね)。 法然上人立教開宗の像。 手水舎。 手水鉢に浮かぶ紅葉。 参道正面に御影堂。 観光ポスト。 長岡京市に対する意見、感想または、風物にふれた感想を
立派な燈籠。 勧化所。 西側奥に圓光大師(法然上人)石棺。 石棺上部。 紅葉。 ここの紅葉は色づきが特にきれいでした。 奥へ。 御影堂北側に阿弥陀堂。 阿弥陀堂の奥へ。 渡り廊下。 山上に勢至堂や納骨堂がある。 行くこと出来ず。 御影堂を横から。 石棺へ戻って来ました。 再び紅葉。 見上げる。 皇太子御手植松。 御影堂へ入る。 御影堂から境内南側を観て、もみじ参道へ戻ります。 (つづく) |
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