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所在地 京都市右京区嵯峨天竜寺立石町1 山号 極楽殿熊谷山 宗派 浄土宗 本尊 法然上人自作尊像 創建 建久8年(1197)5月 開基 蓮生(熊谷直実)、法然(開山) 【法然寺】 寺伝によれば建久3年(1192)、所領相論で敗れ出家し、蓮生房と称した熊谷直実が、建久8年法然を開基として綾小路烏丸(現中京区)の地に一堂を建立したのに始まるという。 正安年中(1299-1302)には、阿弥陀仏に帰依して病気が平癒した後深草天皇より「極楽殿」の勅額が下された(山州名勝志)。 のち天正19年(1591)豊臣秀吉の命令で寺町仏光寺(現下京区)に移転。 慶長年中(1596-1615)に大破したが、徳川家康より伏見城中の建物の一つが与えられ、同時に寺領50石も与えられた。 しかしこの寺領は4代将軍家綱以降停止された。 天明8年(1788)の大火で焼失、寛政9年(1797)に再建。 その後も数度の火災を経験し、明治13年(1880)には寺内より失火し、本堂が焼失。 以後仮堂であったのを、大正2年(1913)に再建。 昭和39年(1964)に右京区嵯峨天竜寺立石町に移転した。 境内には儒者熊谷箕山の墓があった。 (「京都市の地名」より抜粋) 四条烏丸から烏丸通を北上。 手洗水町の向かい側。 錦小路を東へ進む。 この地にあった父・直貞の住居跡に蓮生が建立した寺院が、法然寺の始まりと云う。 天正19年(1591)に豊臣秀吉の命令で寺町仏光寺へ移転。 「元法然寺町」という町名のみが残る。 南側の大丸駐車場前の京都市広報板。 「元法然院町」 ??? 法然寺より法然院の方が有名ですからね〰 東へ進めば、 京の台所、錦市場。 寺町通を右折。 【寺町通りの歴史と由来(寺町四条)】 ここ寺町通り四条上ルは、四条通りと寺町通りの交差点を北に入った所で、桃山時代以来、繁華な街として知られたところである。 四条通りは、平安京の四条大路にほぼ該当し、中世以降、祇園祭など芸能の巷として、著名であった。 寺町通りは、平安京のほぼ東京極大路に当たり、南北を通貫していた。 中世には、戦乱によって衰退していたが、天正18年(1590)から始まる豊臣秀吉の京都大改造によって、道路が修復・再生された。 主として、洛中に散在していた諸寺院が、この通りの東側に強制的に移転させられたので、「寺町」の名が付けられたが、西側には多くの商店が軒をつらねた。 数珠屋・位牌屋・石塔屋・仏師・書店・筆屋・楽器屋・人形屋・紙表具屋・扇屋・白粉屋など、宗教・文化・装飾関係の店があり、多くの人々を誘った。 四条通りを横断。 正面には百貨店「藤井大丸」。 近くにある大丸とは関係が無いそうです。 電気街を南下。 昭和3年の地図。 現在は、ビルや関電の変電所が建つ。 近江長浜の国友から明治時代に上洛して創業したそうです。 町名は「中之町」。 法然寺を示すものはありません。 法然寺は昭和39年(1964)に右京区嵯峨天竜寺立石町に移転。 行ってみる。 京都駅からJR嵯峨野線に乗る。 JR嵯峨嵐山駅下車。 法然寺は西へ行った線路沿いにある。 長辻通と交わる。 南へ行くと天龍寺や嵐電嵐山駅がある。 北へ行くと清凉寺。 北へ少し進み、JR嵯峨野線の踏切手前、嵐山オルゴール博物館の隣りに参道入り口。 寺標。 京都市の駒札が無いので、観光客は気が付かない。 参道を進む。 境内入り口。 極楽殿の石標。 境内を進む。 北側に保育園。 山門。 境内の様子。 園光大師(法然上人)第十九番霊場を示す石碑。 霊場は二十五番まである。 本堂。 中には、熊谷次郎直実の鎧で作った灯篭や平敦盛の像などの寺宝があったと思います。 熊谷次郎直実が法然上人に会って出家を決意する心境を詠んだ歌。 本堂脇に月かげの里の碑。 月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ という法然上人の詩に因むものだろう。 墓地へ。 圓光大師の墓。 法然上人の肉牙が埋葬されている。 燈籠。 台座に犬のミニチュア。 住職が犬好きとか。 小さい庭なるも素晴らしい苔。 寺務所へ。 春は枝垂桜がきれいなんだろうなぁ。 法然寺を後にする。 晩秋の紅葉。 最後に御朱印。 観光客が訪れるような寺ではありませんが、御朱印を貰ったら親切に案内してくれました。 |
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