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場所 東京都世田谷区等々力2丁目 東京都指定名勝 【等々力渓谷】 等々力渓谷は、国分寺崖線(ハケ)の最高端に位置する約1kmの都区内唯一の渓谷である。 谷沢川が国分寺崖線に切れ込んで侵食したもので、台地と谷との標高差は約10mある。 渓谷内の斜面には、武蔵野の代表的な樹木であるケヤキをはじめ、シラカシ、コナラ、ヤマザクラ、イロハカエデなどとともに、常緑シダ類のような湿性植物が繁茂しており、渓谷内には至るところから湧水の出現が認められる。 等々力不動の滝右手の露頭では、武蔵野台地の基盤を形成する地層を観察することが出来る。 地層は上から黒土層、立川ローム層、武蔵野ローム層、武蔵野礫層、東京層の順で、 武蔵野ロ−ム層の中には東京軽石層が白くベルト状に認められる。 国分寺崖線の湧水である不動の滝は、武蔵野礫層と東京層の境から湧き出した地下水によるものである。 稲荷不動右手の石段下には、この滝に打たれて行をする修行僧が各地から訪れたと言われており、役の行者ゆかりの霊場と伝えられている。 等々力渓谷は、東京都指定名勝「真姿の池湧水群」(国分寺市西元町)とともに国分寺崖線名勝群を形成する一つであり、東京を代表する自然地理的名勝として、植生学、地質学及び地形学上重要である。 平成11年9月 東京都教育委員会 下流から。 案内板。 平成14年夏に、等々力渓谷の湧水状況を調査したところ、遊水地は33箇所ありました。 湧水のほとんどは園路を横断して谷沢川へ流れ込んでいますが、一部の湧水は一旦窪地に溜まって湿地になっています。 また、谷沢川の水質はゴルフ橋から下流に行くにしたがって改善されています。 このことから、等々力渓谷の湧水が谷沢川の流量増加と水質浄化につながっています。 愛染桜。 春に来てみたい。 矢川橋を過ぎると渓谷っぽくなってきました。 日本庭園入口。 案内板。 ミカン畑。 池と紅葉。 きれいに色づいています。 斜面を登ると芝生広場に出る。 書院。 紅葉を見上げる。 等々力渓谷へ戻る。 利剣の橋を渡って等々力不動尊へ。 所在地 東京都世田谷区等々力1丁目22番47号 山号 瀧轟山 宗派 真言宗智山派 本尊 不動明王像 創建 平安時代後期 開基 興教大師 橋を渡って左手に瀧不動尊。 脇に不動の瀧。 説明板。 【不動の瀧】 利剣の瀧、等々力の瀧とも呼ばれる等々力不動の瀧は、今から八百数十年の昔、高野山を中興し、根来寺を開創して両山の座主となられた興教大師(覚鑁上人、1095年〜1143年)が、役の行者の利された不動尊の夢告により、この尊像を奉持して、渓谷を逆上ると、幽 な空気に満ちた所に到った。 見上げるばかりの断崖の中段を錫杖を振ってうがつと、霊泉がほとばしり出て瀧を成した。 この瀧の上に奉持した不動尊を安置したのが、崖の上の御本堂の等々力不動尊である。 四季に枯れることのないこの瀧をお瀧と呼んで、一心不乱に修行する人は今も多い。 等々力の地名は、一説は瀧の轟く音に由来すると言い、瀧轟山という山号にもなっている。 他の一説は、満願寺が深沢免々呂城内にあり免々呂城の満願寺と呼ばれ、現在地に移転後もとどろきの満願寺と言った事から地名になったという。 瀧轟山 等々力不動尊 満願寺別院 瀧不動尊と不動の瀧。 階段を登って行く。 登った所に役の行者神変窟。 中の様子。 舞台が見えてきました。 手水舎。 紅葉を見渡す。 見上げる。 境内の模型。 瀧不動尊側から。 山門側から。 山門。 満願寺の旧山門を移築したもの。 山号は瀧轟山。 手水舎。 大師堂。 説明板。 参道を進む。 香閣。 本堂。 本堂から境内を見渡す。 舞台から紅葉を見渡す。 境内の南側へ行く。 弁天堂。 紅葉。 舞台へ戻る。 等々力渓谷へ戻る。 利剣の橋を渡った所に稚児大師堂があるが行きそびれた。 手水鉢。 説明板。 渓谷を進む。 露わになった地層。 境内はここまで。 最後に御朱印。 先へ進みます。 (つづく) |
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