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登城日 2013年 2月16日(土)晴 難易度 ☆☆☆ 場所 愛知県新城市作手清岳字ハヤシ下 JR飯田線新城駅からバスがあるらしいが、車で行くのが望ましい。 国道301号線沿いにあるつくで手作り村を目指す。 つくで手作り村の東に亀山城があります。 大手に説明板があります。 【亀山城址(前方200m)】 応永31年(1424)8月、奥平貞俊が築城して、川尻城からここに移った。 其の後、貞久・貞昌・貞勝・貞能・貞昌(信昌)の5代が居城。 天正元年(1573)8月、貞能・貞昌父子は、古宮城 (北方約1,000mの森)に本拠を持つ武田勢の攻撃を受けたが、石堂ヶ根・田原坂等に転戦してこれを敗走せしめた。 天正3年、この戦功によって貞昌は織田信長から長篠城主を命ぜられた。 同年5月、長篠・設楽ヶ原の戦いが勃発、長篠城は武田勢15,000の猛攻を受けたが、貞昌はよく籠城に堪え、織田・徳川連合軍の援軍を得て大勝した。 戦後、貞昌は信長の一字を貰い信昌と改名、新城に築城してこれに入り、家康の長女、亀姫を嫁に迎えた。 慶長7年(1602)、信昌の第4子松平忠明が父祖の旧領であるこの亀山城へ、作手藩17,000石の藩主として入城し、8年間居城。 同15年、伊勢亀山城主として転じた。 その後は、元和5年(1619)頃の数年間、初期の三河代官として小川又左衛門氏綱が居城。 それ以降は、廃城となり現在に至っている。 平成10年10月 作手村教育委員会 字大手から亀山城を見る。 ホタルがいるらしい。 縄張図。 北側切岸を見る。 登城道を進む。 堀底のような道。 東側の平坦地も曲輪かな? 向きを変えて登って行く。 平坦地を見下ろす。 帯曲輪でしょうか。 登って行く。 ちょっと寄り道。 二の丸東側。 南側へ進んでみる。 二の丸東側直下の平坦地から二の丸を見上げる。 二の丸南側直下の平坦地は本丸南側の空濠へと繋がる。 登城道へ戻って二の丸へ。 二の丸北側切岸を見る。 大手を見下ろす。 二の丸北側虎口。 二の丸。 二の丸を東から見る。 二の丸南側虎口から出る。 西へ行けば、本丸南側の空濠へ。 東曲輪。 南側に大手があったらしい。 大手址を振り返る。 東曲輪南側。 東曲輪の南側には武家屋敷があった。 堀があるような… 大手を進むと駐車場に出ました。 大手登城口。 武家屋敷を抜けて東曲輪へ。 東曲輪から二の丸へ。 二の丸から本丸を見る。 本丸虎口。 木戸があったらしい。 本丸。 土塁が廻る。 本丸虎口を見下ろす。 二の丸を見下ろす。 大手址を見下ろす。 本丸に城址碑、由来記、縄張図がある。 由来記。 本丸北側土塁。 本丸北西にある腰曲輪を見下ろす。 濠を見下ろす。 本丸西側虎口。 西曲輪。 濠跡。 本丸直下北側を見る 濠跡。 竪堀だったのかな。 西曲輪へ戻る。 西曲輪と本丸の間には濠があり、土橋で繋がっていたらしい。 西曲輪西側腰曲輪。 西曲輪から本丸虎口を見る。 本丸南側空濠へ。 南曲輪。 南曲輪から東を見る。 本丸南側切岸と空濠。 本丸西側虎口へ戻る。 西曲輪の南側を進む。 西曲輪西側腰曲輪。 この辺りから地形がぼやける。 南曲輪南側空濠。 下りて行く。 振り返る。 北側に比べ、南側は城っぽくない。 つくで手作り村へ戻る。 石橋城へ向かいます。 (おまけ) |
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