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石橋城(三河国)

登城日  2013年 2月16日(土)晴
難易度  ☆☆☆
場所   愛知県新城市作手清岳字寺屋敷3


謀反を企み討伐された弾正繁昌の居館です。

詳しい地図で見る

つくで手作り村にある歴史の小径案内板。
持ち運びの出来る紙もあります。
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案内板に、つくで手作り村の前に石橋城址が書かれていました。
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行ってみる。
城址は慈昌院の境内となっている。
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土塁。
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手前には堀があったのかな。
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山門。
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境内に入る。
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鐘楼。
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奥に案内板。
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【石橋城址(弾正屋敷)】

所在地 作手村大字清岳字寺屋敷
立地  段丘上・標高520m
規模  40m×40m

石橋城は、奥平2代貞久の二男。弾正久勝が最初の城主で、近辺の地名「石橋」を称し、3代貞昌の家臣となった。
久勝の子、弾正繁昌は、天文6年(1537)9月、主君への謀反が露見し、4代貞勝の命を受けた土佐定雄に、屋敷を攻められて敗北、郎党40人余が討死した。
死骸は一穴に埋められ、奥平弾正宮と呼ばれている。
現在でも、西方土塁の腰に石祠を確認することができる。
後年になり、当山の第2世徳岩明和尚が繁昌と一族の死を哀れみ亀山城主貞勝に願い出、弾正屋敷をもらい受けて寺地とし、「石橋山慈昌院」とした。

作手村

縄張図。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/05/12507305/img_56?1399904021

境内をめぐる土塁。
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土塁に近づく。
奥平弾正宮かな。
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土塁に登る。
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土塁上の様子。
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土塁の外側に空堀がめぐる。
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境内へ戻る。
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文殊山城へ向かいました。

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