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登城日 2013年 2月16日(土)晴 難易度 ☆☆☆ 場所 愛知県岡崎市小久田町新谷12 【赤田和村】 江戸期〜明治9年の村名。 三河国額田郡のうち赤田輪、赤田場とも記す(三河堤・寛永高附)。 地元では「あかんたわ」「あかんた」とも呼ぶ。 乙川支流赤田和川流域地名は、「たわ」は峠の下の集落名として用いられ、奥深い山中の田畑をさすことに関係するか(額田町史)。 中世は比志賀郷のうちはじめ幕府領、寛永9年刈谷藩領、慶安2年幕府領、同4年からは旗本石川氏知行(保久陣屋)。 村高は、「寛永高附」「元禄郷帳」ともに97石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに106石余。 寛永13年に新田5石余、新畑3石余が検地され、実高106石余になる。 天保年間の免率6割2分(村々石盛免覚)、小物成は柿渋4升代銭100文、蕨代235文、御林2(御領分明細高附)。 文政3年の家数19・人数73(御改帳)。 明治7年の戸数23・人口89(額田郡誌)。 寺社は、同年に廃寺となり、同11年仏道説教場となった浄土宗全長寺、明治期の記録に「社地中頗ル老樹アリ」と記される秋葉神社があるほかに、寛延3年建立の南朝武将赤松則村の碑、江戸末期と思われる疱瘡守護神と刻まれた石碑などがある。 明治8年の反別は田6町余・畑1町余・山林16町余など、旧地租金343円。 同9年小久田村の一部となる。 現在の額田町小久田赤田和の地... (角川日本地名大辞典より抜粋) 赤田和という場所は国道473号線沿いにある。
最寄のバス停は「赤田和下」であるが、現在バスは走っていないかも。 車でないと行くのが大変な場所にあります。 集落の奥に赤田和城があったらしい。 wikipwdiaによると間部氏の居城だったそうです。 といっても、民家があるだけで、城らしきものは見当たらず。 この大木が目印。 すごい根元。 この集落に赤松円心の碑があるとか。 集落の入口付近に赤松某の墓がありました。 集落に赤松姓の方がおられるようです。 全長寺へ。 住職はいませんでした。 境内の石仏。 見廻しましたが、赤松円心の碑は見当たりませんでした。 北を見下ろす。 ここまで来るのが大変でした。 南を見下ろす。 楠木正成の家臣である赤松円心が一時隠れ住んだと云う。 三河では赤松円心が時々登場します。 子孫がやって来たのかもしれませんね。 |
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