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所在地 浜松市北区引佐町井伊谷1991-1 主祭神 宗良親王 創建 明治5年(1872) 龍潭寺の北側にあります。 由緒書 【旧官幣神社 井伊谷宮】 鎮座地 静岡県引佐郡引佐町井伊谷1991-1 御祭神 一品中務卿宗良親王一座 例祭日 9月22日 境内地 7408坪 <由緒> 御祭神宗良親王は、後醍醐天皇第4皇子(宮内庁皇統譜による)であらせられ、一品中務卿征東将軍としてこの地井伊谷を本拠とし50余年の間御活躍になられました。 その足跡は遠江、駿河、三河、甲斐、信濃、越後、越中、上野、美濃等の各地にわたり、信濃宮、上野宮、越中宮と世の人々から尊崇せられ、僻遠山間の地にあって困難辛苦を克服して活躍せられましたが、元中2年8八月10日御年73才を以てこの地で薨去せられました。 その折奥山方広寺開山無文禅師(御祭神の弟宮)が導師を奉仕せられ、この地に埋葬され冷湛寺殿と尊称し奉りました。 親王は特に和歌の道に秀で、その御生涯の殆どを戦陣の中で過されたにも関らず、家集「李花集」を遺され、準勅選「新葉和歌集」の編纂など文化の面でも御功績を遺されました。 明治元年明治天皇の勅旨として創立せられ、明治5年2月12日御鎮座、同6年6月9日勅裁を以て官幣中社に列せられました。 <祭神御墓> 本殿背後にあり域内600坪は石垣をもって囲み、寛保第二壬戌歳8月、信州伊那郡阿島の住人知久監物源頼人奉納の宝筐院塔が建立されている。 <摂社井伊社> 御祭神在世中宗良親王、御子尹良親王を輔佐し 忠勤を励んだ地元豪族従四位井伊介道政、正四位井伊新介高顕二柱が祀られている。 境内図。 参道。 宗良親王和歌。 裏の説明。 全国各地の寺社の絵馬を集めた珍しい史料館だが、開いてなかった 手水舎。 また、宗良親王和歌。 裏の説明。 またまた、宗良親王和歌。 裏の説明。 裏の説明。 ここにも由緒書。 御祭神宗良親王(後醍醐天皇第4皇子・宮内庁調)は今より約650年前の南北朝時代に一品中務卿征東将軍として、この地を本拠に50余年の間、吉野朝のために御活躍になられました。 その間遠江、駿河、三河、甲斐、信濃、越後、上野、美濃等に軍を進められ、信濃宮・上野宮・越中宮と尊称され、晩年再びこの地を訪ねられ元中2年8月10日御年73才にて薨去せられました。 御墓は本殿背後に西に向ってたてられており宮内庁所管地であります。 明治元年明治天皇より当宮創立の勅使が仰出され同5年2月12日御鎮座、同6年6月9日勅裁を以って官幣中社に列せられました。 親王は武のみならず和歌に秀で、その苦難な御生涯の中であっても歌集「李花集」をのこされ又、準勅撰和歌集「新葉和歌集」の編纂など文化の面でも御功績をのこされました。 親王のどんな逆境に陥っても不撓不屈初志を貫き、希望を捨てず、ひたすら正義のために一生を捧げられた御精神、御遺徳は多くの人達に慕われ学問・心願成就・開運の神と信仰され尊ばれております。 例祭日 9月22日 拝殿と本殿。 願串。 本殿脇に、摂社井伊社。 由緒書。 京都を向いている。 境内に戻って、慈母観音石。 説明板。 説明板。 ここで御朱印をもらう。 御神木。 資料館。 池。 車祓所と宗良親王歌碑。 |
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