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井伊谷城(遠江国)

登城日  2013年 3月 6日(水)晴
難易度  ☆☆
場所   浜松市北区引佐町井伊谷

井伊氏の本貫地です。

詳しい地図で見る

神宮寺川から井伊谷城と三岳城を見る。
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まずは、城下の引佐図書館で情報収集。
井伊氏はここを南朝の拠点として、勢力を誇っていた。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/05/12507305/img_99?1400895412
井伊谷城と井伊館見取図。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/05/12507305/img_98?1400895412
明治初期の井伊谷城。
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大正初期の井伊谷城下。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/05/12507305/img_102?1400895412
まずは、井伊谷城を目指します。
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登城口。
城山公園として整備されています。
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河津桜かな。
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水仙。
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途中、城山稲荷があります。
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城山稲荷。
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砦谷。
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下から見上げる。
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また登る。
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途中、少し階段。
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石垣があったらなぁ。
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帯曲輪でしょうか。
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この辺りに大手門があったのかな。
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井伊谷城本丸。
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奥の一段高い曲輪は御所丸。
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御所丸に城址碑と説明板。
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説明板。
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奥に三角点と井の宮石陵。
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朽ちかけた井の宮石陵の碑。
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南東側を見る。
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北側を見る。
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西側を見る。
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西側に搦手門があったのかな。
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搦手から本丸を見る。
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城山公園からのパノラマ。
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説明板。
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本丸に残る土塁跡。
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井伊谷城を後にする。
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井伊谷城東面見取図。
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二宮神社へ。
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参道が北へ曲がった所に二の鳥居。
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登って行きます。
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社殿。
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由緒書。
かつては三宅神社と称していた。
一ノ宮、二ノ宮の二ノ宮ではないらしい。
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境内奥に本殿跡。
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かつての境内図が書かれているが、掠れて見難い。
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境内を出る。
かつてこの辺りに二宮御所があったらしい。
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少し北へ行った所にある足切観世音。
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説明板。
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この辺りに円通寺があった。
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三岳城を望む。
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南下する。
井伊谷保育園創立開園の地、晋光寺。
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かつては明円寺と称し、この寺の東南側に井伊館があった。
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館跡の北西に位置する井殿の塚。
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説明板。
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井殿の塚の様子。
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井伊館跡へ。
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かつては土塁と堀に囲まれていた。
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現在は、宅地化で解らなくなってしまった。
公民館の前に説明板があるのみ。
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説明板。
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【井伊氏居館跡】

江戸幕府の柱石の大名中、数少ない大老職の家柄と仰がれた彦根藩主井伊氏発祥の地は、引佐の井伊郷で、この場所が屋形の跡です。
井伊氏の元祖共保公は、藤原鎌足5世の裔、閑院左大臣冬嗣の男良門の流れを掬む藤原備中守共資を父とし、共資が一條天皇の正暦年中、遠江の廳に来住した時、井伊郷の荘司三宅篤茂の女を娉い、寛弘7年正月篤茂の館に於いて生誕したと謂われております。
以来日本八介の一、遠江の井伊ノ介と謳われ、南北朝、東海に於ける南朝の拠点として、後醍醐天皇の皇子宗良親王を迎え、ここ城山に御所を構え、東北三嶽山頂に山城を営み、激烈な戦火を繰り広げました。
以後戦運南朝に利あらず、戦国の世には今川氏の為に悲運を繰返し、直政公出生の翌年、永禄5年には幼主直政公も此處を立退き、遂に主無き館となりました。
嘉永5年6月、彦根藩主、時の大老井伊直弼公は親しく此の館跡を訪れ、境内にある守護社井伊大明神に詣で旁附近の史跡を巡覧した事が伝えられています。

平成元年8月吉日
引佐町歴史と文化を守る会
引佐支部有志一同

説明板の絵図。
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絵図によると、この辺りに南大手門があったらしい。
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この細い水路は堀跡かな。
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この辺りは二の丸かな。
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井伊館の南西の三の丸跡には近藤館があった。
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井伊館西端から近藤館の方を見る。
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井伊館から井伊谷城を見る。
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井伊館を後にする。
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ひこにゃんのふるさと、井伊谷城でした。

(おまけ)

井伊館から少し西へ行った所に鎮座する渭伊神社。
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由緒書。
かつては龍潭寺境内にあった。
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境内の様子。
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御神木。
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本殿裏へ。
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本殿裏には磐座がある。
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説明板。
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磐座。
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境内にはいろんな動物が生息している。
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ムササビも。
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最後にマンホール。
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渋川つつじと蝶をデザイン。

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