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所在地 神奈川県鎌倉市山ノ内1367 山号 松岡山 宗派 臨済宗円覚寺派 本尊 釈迦如来 創建 弘安8年(1285) 開基 北条貞時、覚山尼(開山) 円覚寺弁天茶屋から見下ろす。 説明板。 【東慶寺】 鎌倉幕府の第8代執権北条時宗の夫人・覚山志道尼が開創。 夫から離縁状をもらわない限り、妻からは別れることができなかった時代に、駆け込めば離縁できる女人救済の寺として、開山以来、600年近く縁切りの寺法を引き継いできました。 後醍醐天皇の皇女・用堂尼の入寺以後は、松岡御所と称され、寺格の高い尼寺として名を馳せるようになり、室町時代には鎌倉尼五山第2位に列せられていました。 明治時代になると寺法に終わりを告げ、釈宗演禅師を中興開山とする臨済宗円覚寺派の禅寺となりました。 境内には、ウメやハナショウブ、アジサイなど様々な花が植えられ四季を通じて楽しめます。 学者や作家の墓が多いことでも有名で、鈴木大拙、西田幾太郎、、岩波茂雄、和辻哲郎、安倍能成、高見順、小林秀雄らの墓があります。 もう一つの説明板。 参道へ入ってすぐ北側に東慶寺ギャラリー&ショップ。 参道を進むと北側に夏目漱石参禅100年記念碑。 【夏目漱石参禅百年記念碑】 平成6年11月9日漱石忌建立 漱石は明治27年(1894)年末より、翌1月10日まで円覚寺内の帰源院(石段の真向かいの寺)に止宿し、時の円覚寺管長釈宗演(1859〜1919)に参禅した。 帰源院には当時帝大の哲学生鈴木貞太郎(後の大拙居士)も修禅中であった。 この参禅の体験は「門」にくわしい。 18年後の大正元年(1912)9月11日当時この東慶寺に遷住の宗演を再訪した。 碑の上段の宗演の書簡と下段の漱石の文は、それを示す書簡の「鹿山に来山」とは瑞鹿山円覚寺に来山して参禅したということ、Zは満鉄総裁中村是公「その顰に倣った」とは「連れション」のこと、ここが文学である。 宗演は漱石来参の前年(1892)秋、シカゴの万国宗教大会に日本仏教代表として出席し禅を英語で説き、後に鈴木大拙渡米しZENが世界に知られるに至る。 漱石のこの文中に宗演を「知識」と讃えるとおり、釈宗演は近代仏教界の高僧である。宗演の墓は当山寺墓の奥に在る。 山門への階段。 左側に書院への車道。 行くと料金所を通り過ぎてしまうので、行ってはいけない。 右側に喫茶吉野。 この先は境内へ行けない。 やはり長い階段を登って行くしかありません。 階段麓の池。 山門。 看板。 入山料200円を払って中へ。 山門から境内を見る。 参道を進み、左側に田村俊子記念碑。 裏の説明板。 明治から昭和にかけて活躍した小説家だそうです。 鐘は観応元年(1350)の補陀落寺(竜巻寺)のもの。 参道から鐘楼を見る。 参道右側に書院。 石仏。 書院へは入れず。 御朱印は宝蔵へ。 参道を進む。 左側に茶室「寒雲亭」。 裏口。 表口。 表口の門。 屋根の苔。 参道右側。 本堂がある。 四賀光子歌碑。 流らふる大悲の海によばふこゑ 時をへだててなほたしかなり 本堂(仏殿)。 国の重要文化財である旧仏殿は三溪園に移築されている。 本堂内部の様子。 本堂の隣りに水月堂がある。 加賀前田家の持仏堂を移建したものらしい。 拝観には事前予約と特別拝観料300円が必要。 本堂から見る。 宝塔。 植村宗光師慰霊塔。 説明板。 本堂を出る。 参道を進む。 突き当たりに金仏。 金仏の所を左へ進むと、 立礼茶室「白蓮舎」。 待合室かな? 中の様子。 外観。 金仏へ戻って右へ。 松ヶ岡宝蔵へ向かう。 松ヶ岡宝蔵。 ここで御朱印を貰う。 中には重要文化財が安置。 但し、別途入館料300円が必要。 さらに境内奥へ。 さざれ石。 宝蔵脇の井戸。 石仏。 宝蔵の奥に松ヶ岡文庫があるそうです。 安宅弥吉翁頌徳碑。 今日は菖蒲畑もこのとおり。 ここで引き返す。 マンリョウかな? 水仙。 梅が咲き始めていました。 松ヶ岡宝蔵前を過ぎる。 また金仏。 金仏前から参道を見る。 蝋梅。 山門から出る。 山門から円覚寺弁天茶屋を見る。 最後に御朱印。 中世の家庭裁判所だった東慶寺でした。 (おまけ) 参道脇の鎌倉街道沿いにある建物。 建物の前に建つ木碑。 「かけこみ寺 旧跡 松ケ岡」 「松ヶ岡御所寺役所」 「縁切寺旧蹟松ヶ岡」 今ではイタリア料理の店らしい。 「タケル クインディチ」という人気店だそうです。 とても入れる雰囲気では無かったです。 (つづく)
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