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能見城(甲斐国)

登城日  2014年 1月 4日(土)晴
難易度  ☆
場所   山梨県韮崎市穴山町3793


新府城から県道を北へ進み、穴山駅方面(七里岩ライン)へ向かう。
(この下を中央本線が通っている)
イメージ 1

能見城が見えてきました。
イメージ 2

山麓から見た能見城。
(この時、大事な遺構を見落としていたことに後で気付く)
イメージ 3

山麓の表記。
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登城口。
イメージ 5

だいぶ崩壊してしまったのかな。
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登って行きます。
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空堀や土塁跡が隠れていないかな。
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竹藪でさっぱり解からず。
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段差は曲輪の跡かな。
イメージ 10

頂上の平坦地に到着。
イメージ 11

土塁に囲まれているような気もするが。
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山頂の長靖寺。
住職いるのかな。
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頂上の一画。
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「能見城址」の看板。
イメージ 15

守屋一族発祥の地碑。
イメージ 16

【守屋一族発祥の地】

往時此の付近は武田信玄之家臣守屋新兵衛尉定知の守護し来りし地域也。
此の風光明媚なる勝地は万民等しく賞嘆し垂涎惜く能はざりし処咬籠は永く池中の者たらす茲に時期到来し万民の福祉昂揚の為吾等氏子相謀て神域開放の挙に賛スするに到る。
希は神霊此挙を嘉納し守護神として本土の繁栄に未来永劫に神徳灼力に万劫の鎮護の御手ヲ垂れ給うことを茲に能見城氏神域変革の経緯を記し本碑を建立す。

昭和35年4月11日

本郭なんだろうけども良く解らず。
イメージ 17

でも、これはやはり土塁跡でしょう。
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能見城を後にする。
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帰り道でもう一度竹藪を覗いてみた。
有るような無いような。
イメージ 20

新府城と富士山が見えた。
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穴山駅へ向かいます。
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山麓の窪地。
何か気になるなぁ〜
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穴山駅。
イメージ 24

韮崎市観光エリアマップ。
イメージ 25

能見城跡の説明を拡大。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_49?1419085338
「浅野文庫諸国古城之図」の 新府城。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_48?1419081409
スイッチバック跡の穴山さくら公園。
イメージ 26

説明板。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_50?1419086378
中央本線に西を通る県道17号線の西に西砦があった。
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能見城防塁は穴山さくら公園を横断。
イメージ 28

先程の窪地は新府城の外郭防衛ラインである能見城防塁だった。
イメージ 29

写真が前後するが、最初に通って来た七里岩ライン上に桝形虎口があった。
イメージ 30

桝形虎口の土塁跡。
イメージ 31

桝形虎口跡を振り返る。
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能見城防塁は北へ延びていた。
イメージ 33

穴山駅前から堀跡を見る。
南側。
イメージ 34

北側。
イメージ 35

この辺りから直角に東へ曲がる。
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竹藪の中へ。
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窪地があるような気もするが…
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能見城の北側を東西に横断。
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雑木林に分け入ってみる。
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土塁や、
イメージ 41

堀らしきものがあった。
この辺りにも桝形虎口があったらしい。
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御名方神社へ。
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神社は高台に位置する。
イメージ 44

狛犬と神門。
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社殿。
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赤松。
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蹄の滑石。
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能見城防塁は社殿背後を通っていた。
二重空濠が残る。
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御名方神社を出る。
イメージ 50

西へ進む。
イメージ 51

御名方神社の社叢を振り返る。
イメージ 52

ここをさらに西へ下りて行くと堂坂砦があったが行きそびれてしまった。
イメージ 53

能見城防塁は、武田氏滅亡の跡に新府城に入城した徳川家康が、若神子城に陣取る北条氏に対して築いたとも。
新府城とセットで見たい能見城でした。
もどる

見取図。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_35?1418518432
想定復元図。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_36?1418650267
新府城跡概要図。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_37?1418650267

南大手門から。
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東三の丸へ。
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東三の丸。
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西三の丸と東三の丸の間の土塁。
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西三の丸。
イメージ 5

西三の丸の西側の曲輪。
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二の丸へ向かう。
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馬出を通過。
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二の丸南側虎口。
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本丸の方を見る。
イメージ 10

二の丸南側の土塁。
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土塁上から見る。
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二の丸西側。
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二の丸西側から城下を見渡す。
イメージ 14

二の丸南側を見る。
イメージ 15

本丸を見る。
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二の丸を後にする。
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二の丸北側。
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曲輪が有るような無いような。
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搦手へ下って行く。
イメージ 20

やはり左側にもう一つ曲輪があったようだ。
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下って行く。
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井戸跡。
イメージ 23

説明板。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_40?1419063007
下って行く。
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帯郭へ到達。
まずは東へ。
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土塁。
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西出構。
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西出構から西側の堀跡を見る。
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東側の堀跡を見る。
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土塁が続く。
イメージ 30

東出構。
イメージ 31

その先は、本丸直下東側を通り南大手門方面へ続いている。
イメージ 32

戻る。
イメージ 33

再び二の丸から下って来た所から。
イメージ 34

今度は西へ。
空堀。
イメージ 35

空堀は北から延びてきて、
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直角に曲がって西へ。
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空堀西端の土橋を渡る。
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土橋の西側は七里岩の崖。
イメージ 39

土橋から空堀を見る。
イメージ 40

空堀北側の曲輪へ。
イメージ 41

土塁。
イメージ 42

帯曲輪を見る。
想定復元図によると橋が架かっていたらしい。
イメージ 43

搦手の方を見る。
イメージ 44

土塁。
イメージ 45

眼下に西堀が見えた。
イメージ 46

搦手の方を見る。
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搦手。
イメージ 48

搦手望楼台。
北方諏訪口を監視していた。
イメージ 49

空堀の方を見る。
イメージ 50

新府城下を見下ろす。
イメージ 51

説明板。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_41?1419068788
搦手虎口を見る。
手前に乾門があったらしい。
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搦手を振り返る。
イメージ 53

土橋から西堀を見る。
イメージ 54

西側はやはり七里岩の崖。
イメージ 55

土橋を渡った所で振り返る。
イメージ 56

ここにも説明板。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_42?1419069284
駐車場から新府城を見る。
イメージ 57

新府城跡北側の堀説明板。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_43?1419077782
西堀を西から見る。
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東から見る。
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駐車場にあるもう一つの説明板。
イメージ 60

【新府城跡の位置づけ】

新府城跡の本丸と二の丸の空間構成は、武田氏館(躑躅ヶ崎館)跡の方形の堀と土塁で囲まれた主郭と西曲輪の配置に類似した形態をなしており、新府城は武田氏の守護館を踏襲して造営されたと考えられる。
当時の文献史料においても、「新御館」「新館」「御館韮崎」「館」と記されており、軍事的施設という認識以上に、館を意識した城郭であったことが窺える。
館は領国支配の中心的な役割を果たし、政権を執行するための重要かつ公的な場所である。
新府城は、単に軍事的目的のためだけに築城されたものではなく、甲斐を中心に信濃・駿河・遠江・三河・西上野・美濃・飛騨に広がる武田領国を統治する政庁=館としてつくられたものである。

平成24年3月
文化庁・山梨県教育委員会・韮崎市教育委員会

新府城跡の景観と遺構。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_44?1419078098
家臣団の屋敷跡。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_45?1419078182
韮崎城図。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_46?1419078991
空堀を見る。
イメージ 61

横矢掛りの防塁。
イメージ 62

ほとんど埋まってしまっている中堀。
西を見る。
イメージ 63

東を見る。
イメージ 64

西出構。
イメージ 65

東堀。
イメージ 66

また説明板。
イメージ 67

説明板を拡大。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_47?1419079654
東出構。
イメージ 68

正面から見る。
イメージ 69

県道沿いに説明板。
イメージ 70

【新府城跡出構】

出構は城の外郭の一部を長方形に濠の中へ突出させた鉄砲陣地で、防禦上最も弱いと見られる北正面に向けて、東西に約100mへだてて平行に2本が築かれている。

昭和61年10月
韮崎市教育委員会
県道を南下すれば一周したことになる。
イメージ 71

新府城さようなら。
イメージ 72

県道を北上し能見城へ向かいます。
つづく
もどる

見取図。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_35?1418518432
想定復元図。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_36?1418650267
新府城跡概要図。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_37?1418650267

蔀の構から見た二の丸。
イメージ 1

本丸を見る。
イメージ 2

本丸西側の虎口下にある土塁。
見取図等では「植込」と書かれている辺り。
イメージ 3

内部の様子。
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本丸を見上げる。
イメージ 5

土塁上を進む。
イメージ 6

虎口付近を見上げる。
イメージ 7

その先は草茫々。
イメージ 8

振り返る。
イメージ 9

内から。
イメージ 10

土塁上から二の丸を見下ろす。
イメージ 11

道路で一部破壊されてしまった馬出を見る。
イメージ 12

二の丸南側土塁。
イメージ 13

二の丸南側虎口。
イメージ 14

土塁上から馬出を見下ろす。
イメージ 15

馬出。
イメージ 16

馬出から腰曲輪にかけての土塁。
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本丸を見上げる。
イメージ 18

西三の丸を見下ろす。
イメージ 19

ちょっと登って本丸南側直下へ。
イメージ 20

稲荷郭へ進む。
イメージ 21

本丸東側直下。
細い。
イメージ 22

進むと藤武神社境内に到達。
イメージ 23

戻る。
イメージ 24

再び馬出へ向かう。
イメージ 25

想定復元図によると腰曲輪への入り口があったようだ。
イメージ 26

馬出を見る。
イメージ 27

馬出。
イメージ 28

道路から馬出を振り返る。
イメージ 29

腰曲輪を見る。
イメージ 30

三の丸へ向かう。
イメージ 31

西三の丸。
イメージ 32

西三の丸の西側の曲輪。
イメージ 33

再び西三の丸。
イメージ 34

西三の丸と東三の丸の間の土塁。
イメージ 35

土塁上から東三の丸を見る。
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東三の丸。
イメージ 37

東三の丸から土塁を見上げる。
イメージ 38

帯曲輪への入り口があった所へ。
イメージ 39

この辺りにあったみたい。
想定復元図によると、左側には腰曲輪まで登り石垣ならぬ登り土塁があったのかな。
イメージ 40

進む。
イメージ 41

振り返る。
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帯曲輪があった所。
道路で破壊。
イメージ 43

その先。
イメージ 44

土塁跡かな。
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大手望楼台が見えたが、想定復元図のように帯曲輪からは行けない。
イメージ 46

城下を見る。
なだらかな斜面。
イメージ 47

戻る。
イメージ 48

振り返る。
イメージ 49

少し登って南大手門へ向かいます。
イメージ 50

説明板。
イメージ 51

【大手馬出し】

大手門の前に築かれた馬出しの跡である。
馬出しというのは城門の前に築いて、人馬の出入りを敵に知られぬよう、また城の内部を見通せないようにした土手をいう。
馬出しは甲州流築城法の特色の構である。

【大手望楼台】

物見などともいった展望台である。
片山口ともいい南方甲府盆地富士川河谷一帯を監視した場所である。

東三の丸から見下ろした大手望楼台。
イメージ 52

大手虎口。
イメージ 53

別角度。
イメージ 54

横から見る。
イメージ 55

大手虎口を抜けると丸馬出し。
イメージ 56

丸馬出しの前面に三日月堀。
イメージ 57

丸馬出し東側出口。
イメージ 58

三日月堀へ。
イメージ 59

三日月堀を西へ進む。
イメージ 60

三日月堀から南を見る。
緩やかな斜面。
イメージ 61

三日月堀から西を見る。
イメージ 62

振り返る。
イメージ 63

西側から丸馬出しへ。
イメージ 64

見下ろす。
イメージ 65

丸馬出しを横から見る。
イメージ 66

三日月堀を再び見下ろす。
イメージ 67

大手虎口へ。
イメージ 68

横から見る。
イメージ 69

大手望楼台から西を見る。
イメージ 70

西へ延びる土塁。
イメージ 71

西三の丸の下辺り。
イメージ 72

ここにも入り口があったようだ。
イメージ 73

丸馬出しへ戻る。
イメージ 74

二の丸へ戻り搦手へ向かいます。
つづく
登城日  1回目 2001年 5月(GW) 晴
     2回目 2014年 1月 4日(土)晴
難易度  ☆
場所   山梨県韮崎市中田町中條4787

甲斐武田氏最期の居城です。

詳しい地図で見る

最寄駅は新府駅。
イメージ 1

JR高尾駅から中央本線の普通で約2時間です。
イメージ 2

新府城は駅の東に位置しています。
イメージ 3

矢印に沿って進みます。
イメージ 4

この辺りは桃源郷。
春はきれいなんだろう。
遠くに富士山が見えました。
イメージ 5

駅から10分弱で新府城到着!
イメージ 6

本丸にある藤武神社参道入り口。
イメージ 7

参道を進むと、旧甲州街道と山梨県道17号線との間に大きな堀跡がある。
イメージ 8

南側。
イメージ 9

北側。
首洗池と命名されている。
イメージ 10

池の真ん中に小さな土塁跡。
イメージ 11

旧甲州街道を進む。
イメージ 12

堀を二分する大きな土塁。
イメージ 13

北側を見る。
この先で堀は直角に左へ曲がる。
イメージ 14

南側の首洗池を見る。
イメージ 15

土塁の斜面に石垣らしきものがあった。
イメージ 16

首洗池を南から見る。
底が畝っていて不思議な堀でした。
イメージ 17

県道を走る車に気を付けて新府城本丸へ向かいます。
イメージ 18

ここに説明板。
イメージ 19

【国指定史跡 新府城】
指定年月日 昭和48年7月21日
指定面積 23.87ha

新府城は正式には新府中韮崎城といい、天正9年(1581)春、 武田勝頼が甲斐府中として城地を七里岩南端韮崎の要害に相し、武将真田昌幸に命じて築かせた平山城である。
勝頼がこの地に築城を決意したのは、織田信長の甲斐侵攻に備え、韮崎に広大な新式の城郭を構えて府中を移し、これに拠って強敵を撃退し、 退勢の挽回を期した結果であろう。
築城工事は昼夜敢行で行われ、着工後約8ヶ月余りで竣工した。
ついで城下町も整ったので、新府韮崎城と名づけ、同年12月、甲府からここに移り、新体制を布いたのであった。
しかし、戦局は日に悪化して翌年3月、 勝頼は織田軍の侵攻を待たず、みずからこの城に火を放って退去するのやむなきに至り、天目山田野の里に滅亡の日を迎えたのであった。
廃墟と化したこの城も、同年6月本能寺の変で織田信長が滅び、徳川・北条両氏が甲州の覇権を争うと、家康はこの城跡を修築して本陣とし、 われに5倍する兵を率いて若神子に布陣する北条氏直を翻弄して有利に導き名城新府の真価を発揮したのである。
この城は八ヶ岳火山の泥流による七里岩の上にあり、 その地形を良く生かして築かれその城地の特色は城外から俯瞰されないことで縄張りの特徴は北方に東西2基の出構を築き、鉄砲陣地とした点で、 従来の城郭には見ることのない斬新な工夫である。
現存する主な遺構は、頂上の本丸を中心に西に二の丸、南に三の丸、大手、三ヶ月堀、馬出、 北に出構、搦手口、東に稲荷曲輪、帯曲輪があり北から東に堀が繞らされている。
史跡指定区域は約20ヘクタールにおよぶ広大なものであるが、 この外側には武将らの屋敷跡と伝えられる遺構、遺跡が散在している。

昭和59年12月25日
文化庁
山梨県教育委員会
韮崎市
韮崎市教育委員会
韮崎市観光協会

見取図。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_35?1418518432
当時は無かった参道の階段を登って行きます。
イメージ 20

帯郭に二の鳥居。
イメージ 21

帯郭北側。
新府城北側の出構へ行くことが出来ます。
イメージ 22

帯郭南側。
大手へ行くことが出来ます。
イメージ 23

さらに登って行きます。
イメージ 24

かなりの急斜面です。
イメージ 25

階段を登るのがしんどい人は、こちらも当時は無かったであろう乙女坂へ。
イメージ 26

本丸が見えてきました。
イメージ 27

振り返る。
東側はこのような急斜面。
西側は七里岩の断崖絶壁。
かなり攻城に手こずりますね。
イメージ 28

藤武神社へ。
イメージ 29

藤武神社境内。
藤井庄と武田庄とを前後に見下す所に在るので藤武神社というらしい。
武田勝頼が鎮守として祀ったが落城とともに焼失、その後徳川家康が再建したと云う。
イメージ 30

境内は稲荷郭。
稲荷郭にある舞殿。
イメージ 31

舞殿から稲荷郭を見る。
イメージ 32

稲荷郭を北へ。
イメージ 33

北東隅付近。
イメージ 34

北側は草茫々。
イメージ 35

再び藤武神社に戻り稲荷郭を見下ろす。
イメージ 36

藤武神社の脇から本丸へ。
イメージ 37

ここに想定復元図。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_36?1418650267
裏に新府城説明板。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_39?1418650267

本丸の様子。
イメージ 38

もう一つ説明板。
イメージ 39

【国指定史跡 新府城跡】
昭和48年7月21日指定

新府城は、天正10年3月織田軍の侵攻を前に、武田勝頼自ら火を放って東方郡内領岩殿城を指して落ちていった武田家滅亡の歴史を伝える悲劇の城跡である。
本城は南北600m、東西550m、外堀の水準と本丸の標高差80m。
形式は平山城で、近世城郭のような石垣は用いず、高さ約2.5mの土塁を巡らしている。
最高所は本丸で、東西90m、南北120m、本丸の西に蔀の構を隔てて二の丸があり馬出しに続く。
本丸の東に稲荷曲輪、二の丸を北方に下れば横矢掛りの防塁があり、その外側に堀を巡らしている。
堀は北西から北、北東へと巡り、北方の高地からの敵襲に備えて十字砲火を浴びせるための堅固な二ヶ所の出構が築かれている。
三の丸の南方には大手が開け望楼があり、三日月形の堀とその外側に馬出しの土塁が設けてある。
本丸と東西三の丸、三の丸と大手等の間には、帯曲輪、腰曲輪がある。
搦手にも望楼がある。
蔀の構、出構は新府城の特色で防御のために工夫されたもので、特に出構は鉄砲のような新鋭兵器をもって敵の攻撃に対抗するために工夫された構えといわれる。

昭和63年3月
文化庁
山梨県教育委員会
韮崎市教育委員会

新府城跡概要図。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_37?1418650267
北へ。
イメージ 40

武田勝頼公霊社。
イメージ 41

説明板。
イメージ 42

本丸北側の土塁。
イメージ 43

能見城を見下ろす。
イメージ 44

本丸を見渡す。
イメージ 45

腰曲輪を見下ろす。
イメージ 46

本丸西側の斜面は緩やか。
イメージ 47

土塁上を進む。
イメージ 48

この辺りは本丸西側の虎口かな。
イメージ 49

ここに虎口があったようだ。
イメージ 50

下の曲輪を見下ろす。
イメージ 51

本丸を見渡す。
イメージ 52

新府城本丸跡の碑。
イメージ 53

普請奉行は真田昌幸と原貞胤。
イメージ 54

武田勝頼の在城はわずか68日だった。
イメージ 55

昭和48年7月21日に史跡指定された。
イメージ 56

本丸東南隅の方を見る。
イメージ 57

本丸東側の土塁。
イメージ 58

稲荷郭方面を見下ろす。
こちらは急斜面。
イメージ 59

本丸西南隅の方を見る。
イメージ 60

本丸東南隅から本丸を見る。
イメージ 61

三の丸方面を見下ろす。
こちらはなだらかな斜面。
イメージ 62

本丸南側の土塁。
イメージ 63

土塁上を進む。
イメージ 64

振り返る。
内側を見る。
イメージ 65

外側を見る。
イメージ 66

再び三の丸方面を見下ろす。
腰曲輪があったらしい。
イメージ 67

本丸西南隅に蔀の構があった。
イメージ 68

説明板。
イメージ 69

蔀で城内が見えないように工夫していたとか。
イメージ 70

手前の土塁の先端は、車道建設時に破壊されている。
イメージ 71

蔀の構を進む。
イメージ 72

二の丸から三の丸へ向かいます。
イメージ 73

つづく
平成25年(2013)3月16日、東急東横線と東京メトロ副都心線が直結。
それに伴い、東急東横線代官山駅から渋谷駅の間が地下化。
廃止区間の1年半後を見に行って来ました。
まずは、代官山駅から。
イメージ 1

中目黒へ代官山トンネルを抜けて行く電車。
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先へ進む。
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おしゃれなベンチ。
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赤い花。
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渋谷1号踏切跡へ。
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渋谷1号踏切跡。
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まだ架線柱が残っている。
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覗いてみる。
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別角度。
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上から覗いてみる。
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別角度。
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少し進んで代官山方面を見る。
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渋谷方面へ進む。
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撤去された鉄橋跡。
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代官山駅方面を見る。
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渋谷駅方面を見る。
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大阪王将の宅配なんてあるんだ!
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JR山手線、埼京線と立体交差していた鉄橋。
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ここへはハチ公バスに乗って恵比寿西2丁目バス停下車。
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作業工程表。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_32?1415976961
鉄橋の西側。
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西側から鉄橋を見る。
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鉄橋を渡る電車を下から撮ろうと思ったがピントが合わなかった所。
もうすぐ見れなくなるんだなぁ〜
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今年中には撤去されるんだろうな。
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鉄道模型を見ているように見えた鉄橋。
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鉄橋を渋谷側にスライドするのかな?
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JRの線路を渡って東側へ。
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鉄橋の上に鉄橋。
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この辺りの高架は撤去中。
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高架の切れ端。
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コンクリートは崩され、柱が数本残っているだけ。
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高架もまもなく完全に無くなるだろう。
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渋谷清掃工場前のカーブを後にする。
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渋谷川沿いに渋谷駅へ向かっていた線路。
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並木橋の方から見る。
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並木橋駅跡。
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まだ僅かに高架の残骸が残っていました。
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渋谷駅方面を見る。
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高架の残骸を見上げる。
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渋谷川沿いを進む。
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新しいお店ですね〰
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徒歩橋。
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徒歩橋から並木橋方面を見る。
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まだ唯一残る高架の残骸。
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徒歩橋から渋谷駅方面を見る。
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ここにも新しい店が出来ていますね〰
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JR渋谷駅新南口付近から見た東横線鉄橋跡。
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八幡橋から代官山駅方面を見る。
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八幡橋から渋谷駅方面を見る。
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渋谷駅方面へ進む。
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金王橋から八幡橋方面を見る。
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工事の様子を覗く。
八幡橋方面。
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渋谷駅方面。
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高架下の路地だった所。
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貨物ホーム跡。
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稲荷橋から渋谷駅跡南端を見る。
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僅かに残る渋谷駅跡南端。
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正面から。
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側面から。
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国道246号線を跨ぐ鉄橋。
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下から。
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渋谷川と東横線廃線跡。
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東急東横線渋谷駅跡到着!
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駒場架道橋という名だった。
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別角度。
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高架が大分無くなっています。
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渋谷駅東口の未来。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_33?1416015854
南口跡。
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見上げる。
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壊された東急百貨店東館。
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正面口跡。
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ヒカリエへ。
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ヒカリエへ向かう途中で駅跡を覗きこむ。
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地下鉄銀座線を見る。
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ヒカリエから渋谷駅跡を見下ろす。
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もう少し高い所まで登ってみる。
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LINE株式会社がここに。
別世界ですね〰
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渋谷駅跡を見下ろす。
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望遠で。
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再び明治通りへ。
この下を東横線が走っています。
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金王橋の袂にある牛かつの店へリベンジ。
と思ったが、今日も大行列であきらめた。
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ビルが建ち出すと廃線跡が解らなくなりそうな、東急東横線渋谷駅跡でした。

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