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所在地 静岡県焼津市焼津2-7-2
主祭神 日本武尊
創建 反正天皇4年(409)
【焼津神社】
<祭神>
本殿 日本武尊
相殿 吉備武彦命
大伴武日連命
七束脛命
<由緒>
当社は記紀所載の如く、第12代景行天皇40年7月、日本武尊が弟橘姫を伴い、吉備武彦、大伴武日連の武将を従え、七束脛を膳夫として東夷御征討の砌、此地で野火の難に逢われた際、天叢雲の剣で草を薙ぎ、向火を放って、悉く賊徒を討滅されたという御事蹟を伝える御社で、廷喜式神明帳登載の駿河国益津郡焼津神社は、即ち当社である。
駿河国諸郡神階帳によれば、神階正四位下に叙せられ、入江大明神とも称えられて諸民衆から崇敬されて来た。
創建は、駿河国風土記によれば、反正天皇4年己酉(西暦409年)と云われ、今川氏の代になって社領五百石の寄進をうけ、徳川氏に至り、家康は社殿を造営し、又代々七十石の朱印高が附せられている。
明治天皇御東幸の際は、官幣使差立の先触状があったが、官道より遠隔のため沙汰止みとなった。
明治6年3月22日郷社に、同16年6月25日県社に昇格、昭和41年7月1日別表神社に加列した。
(焼津神社略記より抜粋)
最寄駅はJR東海道本線焼津駅。
「焼津」の地名は、日本武尊(ヤマトタケル)が東征の途中で地元の賊衆に襲われた時、草薙剣で葦を薙ぎ倒し、そこで賊衆を迎えうち、火を放って難を逃れた様相が烈火のように見えた、あるいはその火で葦が焼け燃え盛ったという日本神話の伝承に由来。
駅からいちょう通りを南下。
焼津4丁目交差点を左折。
青島焼津街道に面して参道入り口があります。
鳥居。
参道西側に市営相撲場。
ヤマタノオロチかー!
参道を進む。
参道西側に郷魂祠(招魂社)。
由緒書。
第二次大戦中、東南アジアで鰹節製造業等を行うために設立された有限会社皇道産業焼津践団の殉職者300余柱を祀る。
南方開発團の歌。
拝殿が見えてきました。
手水舎。
奥に神武天皇像。
クローズアップ!
参道を挟んで反対側に日本武尊像。
クローズアップ!
歌碑?
万葉の植物。
大きな松の木。
根元に北白川神官祭主御手植の碑が建つ。
この松のことかな?
社務所。
裏に月冰殿。
社務所から手水舎の方を見る。
焼津御霊神社。
焼津天満宮。
東風ふかば…
牛くんです。
梅園に契りはし。
蔵。
獅子木遣り説明板。
社殿西側。
熊だ〰
御神木。
拝殿でお参り。
奥に幣殿と本殿。
本殿は慶長8年(1603)徳川家康により造営され、7種(万神・龍・松に鶴亀・笹に孔雀・花に鳥・獅子・牡丹)の彫刻が現存しているとか。
社殿東側に末社五社神社。
(市神社、天神社、天白神社、藤之宮神社、王子神社)
摂社市杵島姫命社。
さざれ石と末社七社合殿。
(浅間神社、竈神社、天王社、八幡社、橘姫社、春日社、稲荷社)
奥に末社稲荷神社。
さらにその奥に銅社。
筆塚。
手水舎。
境内を見る。
裏参道を進む。
碑が建ち並ぶ。
裏参道の鳥居。
振り返る。
境内を出る。
境外の関連施設を巡る。
いちょう通りへ戻り、シダックスの所を右折。
源義経が立ち寄ったと云う普門寺を通過。
少し先に御沓脱跡。
日本武尊が沓(くつ)を脱ぎ休息した場所と云う。
ここにも日本武尊像。
御沓脱跡から東へそのまま進み、静岡県道416号線を右折し南下すると飛地境内摂社須賀神社があります。
社殿。
天白稲荷社。
最後に、8月13日に行われる焼津神社の大祭「焼津荒祭り」で神輿が廻る御旅所へ。
南御旅所。
八雲通りの南端。
青峰山勝景院の門前。
近くに明治石造り防潮堤があります。
ここから北上し、中世には城館があったと云う城之腰を通過。
青島焼津街道との交差点を過ぎた辺りに北御旅所。
説明板。
付近には小泉八雲が滞在した家があったとか。
ここから東へ、海側へ行くと魚市場御旅所。
漁港を見る。
焼津御旅所は、戻って普門寺の南西隅を南下し、四区公会堂近くにあります。
最後に御朱印。
魚河岸シャツを着て荒祭りが見に行きたくなる焼津神社でした。
(おまけ)
JR焼津駅へ戻る。
駅前に天然温泉。
焼津は小泉八雲が毎年夏に滞在していた場所です。
駅のベーカリーキオスク。
まぐろメンチバーガーが看板商品。
おいしかったですが、なるとちゃんも気になる〰
なるとドッグです。
こちらの方がおいしかった。
やいちゃん。
焼津のまちを楽しんで下さい。
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