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赤松則良の墓がある寺

太田道灌が建てた寺です。

詳しい地図で見る

住みたい街ランキング第一位の吉祥寺。
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駅前には闇市の名残「ハモニカ横丁」。
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駅周辺には東急百貨店など商業施設が複数あり買い物に便利。
また、南側には井の頭恩賜公園があり憩いの場となっている。
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しかし、この駅周辺には吉祥寺はない。
吉祥寺は江戸時代初期には駿河台にあった。
明暦の大火(1657年)によって焼失し、吉祥寺門前町の住民が代替地としてこの地を与えられ移住してきた際に名付けたのが由来。
駿河台へ行ってみる。
最寄駅は水道橋。
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水道橋の名は、この橋の少し下流に神田上水の懸樋があったことに由来。
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神田上水の懸樋跡。
神田上水は現在の吉祥寺にある井の頭池を水源とする上水道。
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水道橋の北側に吉祥寺があり、当時は吉祥寺橋と呼ばれていたと云う。
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吉祥寺は、長禄2年(1458)に太田道灌が江戸城築城に際し和田倉付近の井戸から「吉祥吉祥増上」と刻銘した金印を得、これを瑞祥として青巌を請じて西の丸に建立されたおが起源と云う。
諏訪山という山号は創建された地が諏訪神社の社地であったことによる。
その後、徳川家康の関東入府にともなって駿河台(現在の都立工芸高校辺り)に移された。
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付近を歩いてみましたが、吉祥寺の痕跡は見つけられませんでした。
旧町名の案内板。
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【旧 元町】
(昭和40年までの町名)

もとは本郷村。
江戸初期は御弓同心の組屋敷であった。
その後この組屋敷は大塚辺に移された。
元禄4年(1691)徳川家康の江戸入りに従って三河から来た供衆が、内神田の三河町からここは移って来た。
元禄9年(1696)町屋を開いたが、この辺の拝領地としては、最も古い方なので元町と名づけたという。
明治2年、町内を東西に分けて、上町を1丁目、下町を2丁目とした。
同5年、旧高松藩松平氏邸および付近を合併した。
現在の昭和第一高校前の神田川に、神田上水の懸樋が渡されて、江戸っ子に飲料水が贈られた。

都立工芸高校に北にある讃岐金刀羅宮東京分社。
旧高松藩松平氏邸跡に建つ。
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説明板。
吉祥寺が明暦の大火(1657年)によって焼失後、高松藩松平家の下屋敷となった。
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/15300908/img_54?1518419936

その後、3回目の移転先が本駒込です。
行ってみる。
最寄駅は東京メトロ南北線本駒込駅。
旧町名案内。
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【旧 駒込吉祥寺町】
(昭和41年までの町名)

むかしは駒込村の農地であった。
江戸時代初期に、越後村上城主堀丹後守の下屋敷となった。
明暦3年(1657)の振袖火事(明暦の大火)後、水道橋(もと吉祥寺橋)の北側一帯にあった吉祥寺が移って来た。
そして岩槻街道(日光将軍御成道)に沿って門前町屋が開かれた。
延享2年(1745)から町奉行支配となった。
明治2年、吉祥寺門前町と吉祥寺境内の全域を併せて、駒込吉祥寺町とした。
江戸時代、吉祥寺には旃檀林といって、曹洞宗の学問所があった。
学寮、寮舎をもって常時1,000人余の学僧がいた(現在の駒澤大学に発展)。
二宮尊徳、榎本武揚、鳥居耀蔵、や川上眉山らの墓がある。

所在地  東京都文京区本駒込3-19-17
山号   諏訪山
宗派   曹洞宗
本尊   釈迦如来
創建   長禄2年(1458)
開基   青巌周陽

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山門。
享和2年(1802)再建。
旃檀林の扁額が掛かっている。
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参道の枝垂れ桜。
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少し早かったかな。
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茗荷稲荷。
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説明板。
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/15300908/img_55?1518434884
八百屋お七・吉三郎の比翼塚と六地蔵。
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ぬれ仏のお釈迦様。
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二宮尊徳の墓碑。
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境内を見渡す。
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本堂。
かつては七堂伽藍を誇っていたが、戦災で山門と経蔵以外を焼失。
昭和39年に再建されたもの。
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諏訪山の山号。
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縁結び吉祥観音。
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書院と寺務所。
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書院前の枝垂れ桜の花。
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センダン。
初夏に薄紫色の花を咲かせ、秋には黄色い実をつけます。
「楝」(おうち)の別名を持ち、邪気を払う霊木としても知られている。
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鐘楼。
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鐘楼脇の枝垂れ桜。
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枝垂れ桜の花。
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小出浩平先生顕彰歌碑。
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経蔵。
文化2年(1804)再建。
旃檀林の図書収蔵庫。
文京区指定文化財。
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満開のソメイヨシノ。
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ソメイヨシノの花。
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経蔵のそばに赤松則良の墓。
ここには、森鴎外と離縁し他家に嫁いだ長女・登志子も眠っている。
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榎本武揚の墓。
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駒込吉祥寺を後にする。
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最後に御朱印。
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地名由来の寺、駒澤大学の前身、そして赤松家由緒の寺、吉祥寺でした。
所在地  神奈川県鎌倉市山ノ内1503
山号   宝亀山
宗派   臨済宗建長寺派
本尊   観音菩薩
創建   伝・南北朝時代初期
開基   古先印元、伝・足利基氏(開山)  

足利尊氏の邸宅跡と云う。

詳しい地図で見る

北鎌倉駅から建長寺へ向かう途中にあります。
季節、曜日限定で特別拝観されます。
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説明板と石塔を背負った亀趺。
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【長寿寺】

足利尊氏が邸跡に建武3年(1336)創建し、諸山第一位の列に定めました。
尊氏没後、父の菩提を弔うため鎌倉公方足利基氏によって七堂伽藍を備えた堂宇が建立されました。
尊氏の法名を京都では等持院殿、関東においては長寿寺殿と称します。
開山は古先印元禅師。
正面本堂に足利尊氏坐像と古先印元禅師坐像が祀られています。
右奥の観音堂は奈良の古刹忍辱山円成寺の多宝塔を大正時代に移築、改造したものです。
境内奥に尊氏の遺髪を埋葬したお墓があります。

反対側に地蔵さま。
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山門。
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山門から境内を見る。
正面に本堂。
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本堂。
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左手に亀ヶ谷坂への門。
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右へ曲がる。
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本堂脇の玄関から入る。
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本堂でお参り。
中央に新たに祀られた釈迦如来坐像。
両脇に開山の古先印元坐像と開基の足利尊氏坐像が安置されている。
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本堂から山門を見る。
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玄関前の庭園を見る。
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方丈へ。
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方丈。
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昼尚暗。
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ひょうたんのランプ。
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書院へ。
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書院の庭。
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秋はもみじがきれいなのだろう。
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まったりした後、戻る。
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玄関から出て観音堂へ向かう。
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山門の方へ戻る。
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左へ曲がる。
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方丈を見る。
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観音堂。
大正時代に奈良の円成寺の多宝塔を移築したもの。
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元本堂で観音菩薩を祀る。
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奥へ進む。
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足利尊氏の墓。
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遺髪を納めた宝篋印塔。
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青もみじ。
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書院の庭の方へ下りて行く。
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シャガ
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書院の庭。
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書院を見る。
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庭を進む。
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本堂裏に駐車場。
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ここにもシャガ。
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山門の方へ戻る。
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紫蘭。
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かえる。
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最後に御朱印。
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新緑と苔庭がきれいな長寿寺でした。
所在地  神奈川県鎌倉市扇ヶ谷1-17-7
山号   亀谷山
宗派   臨済宗建長寺派
本尊   釈迦如来
創建   正治2年(1200)
開基   北条政子、栄西(開山)

鎌倉五山第3位の寺です。

詳しい地図で見る

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【寿福寺】

源頼朝が没した翌年、妻の北条政子が明菴栄西を開山に招いて建立した鎌倉五山第三位の寺です。
鎌倉幕府三代将軍の源実朝も、再三参詣しました。
栄西は日本に初めて臨済宗を伝えた禅僧で、『喫茶養生記』を著すなど、お茶を飲む習慣を日本に伝えたことでも知られています。
裏山の「やぐら」(中世の横穴墳墓)には、源実朝、母・政子の墓といわれる五輪塔があります。
墓地には、俳人・高浜虚子や作家・大佛次郎などが眠っています。

寿福寺境内説明板。
ここは、源義朝の館があった所と云う。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_109?1467207043
文学案内板。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_110?1478140259
総門。
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総門前に碑が建っています。
脇に源実朝生誕800年記念の碑。
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説明。
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参道を進む。
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美しい石畳の参道の先に中門。
通常非公開。
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たまに公開。
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扁額。
正式名称は「壽福金剛禅寺」。
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境内の様子。
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仏殿。
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鐘楼。
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創建当時は七堂伽藍を擁し、14の塔頭を有する大寺院だったが、現在の境内はあまり広くない。
境内を出る。
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参道を戻る。
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つつじ。
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総門へ戻ってきました。
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別の日。
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山号の扁額。
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参道。
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参道の梅。
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参道を進む。
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中門。
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今日は閉まっていた。
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境内を覗く。
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頭上注意!
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中門前を右へ進む。
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庫裏で御朱印を頂く。
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鐘楼。
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参道を戻る。
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総門の左脇を進む。
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足元注意!
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落石の危険があるため、迂回して進む。
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墓地の奥に源実朝の供養塔。
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その横に北条政子の供養塔。
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北条政子、源実朝ゆかりの梛の葉。
どこ?
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墓地には、陸奥宗光、高浜虚子、大佛次郎などの著名人も眠る。
最後に御朱印。
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国指定史跡の寿福寺でした。

(おまけ)

寿福寺総門の南に位置する八坂大神。
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由緒書。
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【八坂大神(相馬天王)由緒】

鎮座地 鎌倉市扇ヶ谷1-13-45
祭神  素戔雄尊 桓武天皇 葛原親王 高望王
例祭  7月12日

<由緒> 

建久3年、相馬次郎師常、己が邸内に守護神として勧請して崇敬したのに始まる。
その後、現在の地に奉遷する。
世に相馬天王と称するのはこの故である。
神幸式は、5日、12日の両日に行われていたが、今では12日のみとなった。
中世御神幸の神輿荒ぶるを以て師常館の岩窟に納め、新たに調進したと傳へられる。
独特の六角神輿は、宗社である京都祇園八坂神社の形を伝承したものである。
享和元年、慶應元年に社殿の改築が行われた。
明治6年、村社に列格される。

相馬氏は千葉氏の一族なので、千葉氏の守護神である「牛頭天王」を祭っていたのかな。
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社殿。
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相馬師常邸は、もう少し南にあったそうです。
行ってみる。
鎌倉駅方面へ南下。
途中に結の蔵。
秋田県湯沢市に明治21年(1888)に建てられ、平成16年(2004)に現在地に移築された。
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巽神社。
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由緒書。
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【巽神社(巽荒神)由緒】

鎮座地 鎌倉市扇ヶ谷1-9-7
祭神  奥津日女命 奥津日子命 火産霊命
例祭  11月28日

<由緒>

御祭神は竈の神、火の神として霊験あらたかな神で、延暦20年、坂上田村麻呂東夷鎮換の際、葛原岡に勧請したと伝えられる。
永承4年に源頼義が社殿を改築す。
その後(年代不詳)現在の地に遷座された。
古くは壽福寺の鎮守神として崇敬され、その位置が壽福寺の巽の方に当るので巽荒神と称された。
天正19年に社領1貫文を賜った。
近世に至って浄光明寺の持ちとなり、明治6年に村社に列格された

巽神社。
寿福寺の東南に位置する。
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ここまで寿福寺の境内だったのかな?
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隣りに相馬師常の邸宅があったそうです。
所在地  神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-16-3
山号   東光山
宗派   浄土宗
本尊   阿弥陀三尊像
創建   寛永13年(1636)
開基   英勝院尼、玉峯清因尼(開山)

太田道灌邸跡地に建つ尼寺です。

詳しい地図で見る

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【英勝寺】

初期の江戸城を築城した太田道灌の子孫で、徳川家康に仕えたお梶の方(英勝院)が道灌の屋敷跡に建てた尼寺です。
お梶の方が一緒に行くと戦に勝利したことから、改名して、お勝という名になったそうです。
お勝の方は、水戸将軍家の初代頼房の養母であったことから代々水戸家の姫が住職を務めています。
江戸時代は水戸御殿と呼ばれたほど格式が高く、総門には三葉葵の紋を掲げ、さながら武家屋敷のような境内でした。
仏殿、祠堂、唐門、鐘楼は江戸時代初期の建築で、これだけよくそろい、当時のままで残っている寺は少なく貴重です。

ここは太田道灌邸跡です。
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総門前に碑が建っています。
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【太田道灌邸舊蹟】

此の地は武略文藻兼ね備え忝くも
武藏野は萱原の野と聞きしかどかかる言葉の花もあるかな
てふ叡感にさえ預りたる道灌太田持資が江戸築城前の邸址なり
寛永11年(1634)今の英勝寺と為る其の創立者水戸藩祖頼房の准母英勝院は道灌の嫡流太田康資の女なるより晩年将軍家光より特に此の地を授りて之に住するに至れるなり
孤鞍雨を衝いて茅茨を叩く少女為に遣る花一枝の詩趣ある逸話は道灌が壮年猶此に在りし日に於て演ぜられし所のものなり

大正10年3月建之
鎌倉町青年會

惣門から約60m北に入り口。
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入り口から境内を見る。
あまり広くない。
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小仏様。
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鐘楼へ向かう。
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梅林の梅。
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鐘楼。
国の重要文化財。
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説明板。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_105?1466339755
別角度。
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奥に惣門。
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惣門を境外から見る。
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鐘楼と惣門。
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山門へ。
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山門。
関東大震災後売却され鎌倉市小町の私有地に移築されたが、平成23年(2011)に、旧部材を用いて復興された。
国の重要文化財。
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山門に掲げられた扁額。
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山門越しに仏殿を見る。
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仏殿。
国の重要文化財。
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説明板。
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祠堂へ。
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唐門。
国の重要文化財。
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説明板。
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祠堂はさや堂によって守られている。
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国の重要文化財。
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仏殿へ戻る。
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本尊、阿弥陀如来立像。
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仏殿から山門を見る。
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寒っ〰
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春はもうすぐ。
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庫裏へ。
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庫裏から仏殿を見る。
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最後に御朱印。
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国の重要文化財がたくさんある英勝寺でした。

(おまけ)

境内をさらに北へ。
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阿仏尼卵塔。
十六夜日記の作者、阿仏尼の墓と伝えられる。
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その横に智岸寺稲荷。
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説明板。
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ここも英勝寺の管理地。
通り過ぎてしまいそう。
所在地  神奈川県鎌倉市扇ガ谷4-18−8
山号   扇谷山
宗派   臨済宗建長寺派
本尊   薬師如来
創建   建長5年(1253) 、中興 応永元年(1394)
開基   宗尊親王、藤原仲能(開山)、中興 上杉氏定、心昭空外(開山)  

扇ガ谷の奥にある水の寺です。

詳しい地図で見る

仮粧坂切通入り口から扇ガ谷をさらに奥に進む。
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境内入り口。
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寺標。
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参道脇に説明板。
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【海蔵寺】

鎌倉時代、七堂伽藍を持つ規模の大きい寺があったと伝えられますが、鎌倉幕府滅亡時に焼失し、その後、応永元年(1394)に鎌倉公方足利氏満の命で、上杉氏定が心昭空外を招いて再建され、扇ガ谷上杉氏の保護を受けて栄えました。
この寺には多くの言い伝えがあります。
空外は「那須の殺生石」の話で有名です。
仏殿の薬師如来坐像は「啼薬師」、「児護薬師」といわれ、胎内には仏面を収めており、啼薬師伝説があります。
門前には、「千代能が いただく桶の 底脱けて 水たまらねば 月もやどらじ」と歌われたと伝えられる「底脱の井」や、鎌倉時代の遺跡である「十六の井」もあり、水の寺といわれています。

脇の文学案内板。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_90?1439893430
馬酔木。
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参道脇に底脱の井。
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説明板。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_91?1439893681
鎌倉十井の一つ。
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山門へ。
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脇に小さな門。
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山門は四脚門。
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扁額。
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山門から境内を見る。
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清水基吉句碑。
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境内右手に鐘楼。
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鐘楼。
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3月は境内に梅が咲き誇る。
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近づく。
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鐘楼の芝。
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南天。
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山門脇の門への石畳。
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庫裏。
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ここが朱印所。
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御朱印をもらう。
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温室かな。
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庫裏を後にする。
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本堂へ。
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本堂と庫裏の間の廊下にある玄関。
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覗いてみる。
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奥に庭園があるが、通常非公開。
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本堂前の海棠。
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東国花の寺百ヶ寺の一つです。
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本堂。
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龍護殿ともいいます。
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十一面観世音菩薩を安置。
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本堂から境内を見渡す。
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釣灯篭。
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本堂脇のやぐら。
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宇賀神の像が祀られている雨宝殿。
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復興寄師芳君之碑。
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仏殿 (薬師堂) 。
浄智寺から移築したものだそうです。
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苔の道。
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梅。
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石像。
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十六の井へ向かいます。
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境内で拝観料を納める。
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パン工房くるみるく。
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やぐらのあるトンネルを抜ける。
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十六の井。
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内部の様子。
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戻る。
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きれいに刳り貫かれた蜜柑。
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山門前へ。
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シダ。
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参道へ戻ってきました。
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もう一度山門から境内を覗いてみる。
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最後に御朱印。
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扇ヶ谷の奥にある海蔵寺でした。

(おまけ)

参道を戻り、横須賀線のガードを潜った所にある岩船地蔵堂。
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源頼朝の息女大姫の守本尊である岩船地蔵尊を安置。
日本三大岩船地蔵の一つ。
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-dd-61/kanezane3/folder/463061/08/13087208/img_92?1441771272

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