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三茶で買い物の途中で「アボガドライス」という看板を見かけた。今度ランチのときに行こうと思ったが、その場所が分らず半分諦め。ところが思いがけないときにその看板に再会して、店に入った。しかしすでにアボガドライスは売り切れで、代わりに頼んだグリーンカレーもおいしかったが、でもねアボガドライスってどんなものか食べて見たかった。よくマグロといっしょに丼にしたりするけど・・・ |

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こんにちは、ゲストさん
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三茶で買い物の途中で「アボガドライス」という看板を見かけた。今度ランチのときに行こうと思ったが、その場所が分らず半分諦め。ところが思いがけないときにその看板に再会して、店に入った。しかしすでにアボガドライスは売り切れで、代わりに頼んだグリーンカレーもおいしかったが、でもねアボガドライスってどんなものか食べて見たかった。よくマグロといっしょに丼にしたりするけど・・・ |
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昨日 帰宅途中 携帯が鳴った。 |
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ボスニアのスラジャーナからメールが来た。1995年10月停戦まぢかのボスニアで私は一人ぼっちになってしまった。そのとき助けてくれたのが当時赤十字の広報にいたスラジャーナだった。彼女の英語とわたしの英語 どちらも流暢ではなかったがそれだけがコミュニケーション手段だった。その後彼女を日本に招いた。平和な日本にカルチャーショックを受けたスラジャーナは赤十字をやめて外務省に入り、マドリードに赴任した。そこでハンサムは青年と結婚して二人のこどもをもうけ、ボスニアに帰国したところだ。私にボスニアのセルビア系難民を取材するなら、情報を集めて送ると言って来た。でもボスニア紛争から10年あまり、世界の悪者ということになっているセルビア側からの報道の企画を受け入れてくれるところはないだろう。ユーゴスラビアという国が崩壊して、NATOの空爆におわれ、野宿していた難民たち。大国の正義や政治家の誤算から住むところを失い、生命の危険に曝されていた。10月零下2度、雨の中で傘をさして焚き火に当たっていたおばあさん。「風邪ひいてない?」と聞いたら「今は大丈夫だけど もうすぐひくわ」という答えが返って来た。女たちはかたときも編み物を手を休めることはなかった。けれどそのときの映像は放送されないまま10年あまりの時が過ぎた。難民の大半は故郷にもどったが、そのまま収容施設に今もいる人もいるという。平和ボケの私にスラジャーナのメールはつかの間 世界でいまも様々な事態が起きていることを思い出させた。 |
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王子の紙の博物館でちりめん紙の展示会があるというチラシを見て きょう出かけた。 |
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何と施設長の許可が降りた!7月、8月の休職願い。 |
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