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民族性の問題はいろんな要素があってややこしいですね。
確実に言えることは、誰がどのような民族性を身につけようとするにせよ、
◎『民族性については、非道徳的な行為をするのでなければ、個人の自由である。』
ということです。誰も強制的にその自由を奪うことはできません。
また、
◎『何らかの不当な圧力に屈し、自分の持ちたい民族性をみずから放棄することがあるならば、何らかの安全と引き換えに、その人は自分の尊厳を自ら放り投げることによる不利益を被ることになる』
でしょう。
次に、
◎『もし韓国の民族性を完全に引き継ぐべきならば、韓国語をマスターする必要がある。』
ということも、確実に真であると言えると思います。
そして、この命題が真ならば、この命題の対偶である次の命題も真ということになります。
◎『もし韓国語をマスターする必要がないならば、韓国の民族性を完全に引き継ぐべきではない。』
ただし部分的に引き継ぐべきかどうかはこのことからはなんとも言えませんね。
また、在日韓国人が韓国語をマスターする必要があるのかないのかは別に考える必要があります。
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うん、言わんとする論旨は理解できますが、個人として、国家や民族を自分の中に「私」を持っていればそんなの、関係ないと、思いますが、名前と、言葉って、その人の人間、そのものの立つべきところだと、私は思います。(論点がずれてるのは理解してます)言葉を理解することで、意訳や、翻訳されたものではなく、自身が直接、己の根っこの文化を知り、人と接して、その中から、是々非々で自分を見直せると私は思っています。
2006/11/22(水) 午前 10:15
名前と、言葉って車の両輪だと。孫正義みたいに、自分が自分の名前で生きる、そんな国、自分になれば、、そこが、ないまま、論じたら、皆、根っこの無い話にならないかな?
2006/11/22(水) 午前 10:15
ファピーさんどうもです。言葉が文化にとって最も重要なものの一つだと 私も思います。名前と自分の言語が関係あるのかどうか、考えてみる必要がありそうですね。
2006/11/22(水) 午後 9:49
姓と民族性についてさらに考えてみました。→ http://blogs.yahoo.co.jp/kankokutarou2005/43765835.html やはり姓は民族性の要素にはならないと思いました。
2006/11/22(水) 午後 11:37
ここに難しい問題があります ある在日が韓国語を習ったとします ソウル標準語を勉強しました でもその人の出身は済州島でした チェサも習慣も違いました どうすればよいのでしょう
2006/11/28(火) 午後 6:42
韓国では全羅道の人に対する差別がありますが在日も真似をするんでしょうか 女の人は公然とタバコを吸ってはならないという習慣がありますが、チェサでは女の人は料理ばかり作らされて正式には参加できず ご馳走も台所で食べるとか こんなことも真似するんですか
2006/11/28(火) 午後 6:45
在日がおかしいことはおかしいと言ったとして本国の人は耳を傾けてくれるんでしょうか パンチョッパリが何をぬかすかというのがかれらの態度ではないでしょうか
2006/11/28(火) 午後 6:50
日本には部落差別も存在しますが、日本人はみんな部落差別をするんですかね。また、在外邦人もみんな部落の人々を差別するんでしょうか。白人はみんな黒人差別をする?ナチスが犯罪組織ならばドイツ人はみんなユダヤ人を差別するんでしょうか。人によって違いますよね。自分の民族性で人格まで決まるわけではありませんし、そういう考え方こそ差別や偏見につながると思います。
2006/11/29(水) 午前 8:57
なるほどお説の通りですね 失礼しました
2007/4/12(木) 午後 2:25
また済州島の言葉と料理と習慣をを少しずつ習うところから始めては如何ですか?ソウルマルで勉強しても嫁いでから地方に住んでいる日本の女性達は方言と郷土料理も覚えながら生活しています。
2007/5/1(火) 午後 7:49 [ ジニママ ]