|
日韓の過去の歴史には様々な悲劇がありました。
民族性の強要、自由の制限と不平等、基本的人権の軽視、参政権なき統治、奴隷的使役など。
ここで重要なのは、他者の悪いところを探す前にまず自分の何が悪くてこのような悲劇的な歴史をたどることになったのかをよく考えることだと思います。
侵略者側が道徳的に悪くなかったと言っているのではありません。
侵略は悪かと言われれば間違いなく悪です。
それはどうやっても言い逃れできるものではありません。
相手側のこともよく知るべきであり、なんらかの働きかけは必要です.
しかし結果は一方的な働きかけだけに因るのではなく双方の相互作用で引き起こされるものです。
アメリカは日本から矛先を向けられましたが日本からの侵略から逃れることができました。
侵略者側だけに注目して歴史を考えるだけでは自分達の将来に益することは少ないと思われます。
アメリカ人は日本に矛先を向けられたから自分達は不幸になったとは決して言わないでしょう。
日本に悪意を向けられたが自分達が主体となって日本の帝国主義をつぶし、平和主義を生み出してやったのだと答える人がほとんどなのではないでしょうか。
他者のせいにして他者の責任を追及することはある意味、気分が楽なものです。
しかし、自分達の責任を追及することなしに、将来の自分達の成長や変身はありえないと思います。
他者の責任にしたところでおそらく、他人は何もしてくれません。
責任を追求して非難に非難を重ね、それに莫大な時間を費やしても首相の参拝ひとつやめさせることはできていません。
過去の日本による朝鮮支配を許した背景として、朝鮮民族にどのような責任があるのか、朝鮮民族が何をしたのでこのような悲劇が起こったのか、軍事の不備、団結力の欠如、近代化を遅らせた先見性のなさ、他罰的な傾向など、考慮すべきことはたくさんあると思います。
|