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カネカ・カネミ油症50年記念行事「油症の経験を未来につなぐ集い」
■日時 2018年11月17日(土) ■場所 福江総合福祉保健センター(長崎県五島市三尾野1丁目7番1号) ■スケジュール
10時30分〜12時 第1部:記念式典 13時〜15時50分 第2部:分科会
分科会A:油症の医療と福祉を考える 分科会B:被害者と語り合い交流する 分科会C:食の安全と健康について考える 分科会D:油症について学び、伝える 関連行事 (1)現地交流会 ■日時 11月18日(日)8時30分〜16時30分 ■場所 奈留:9時30分〜11時30分、玉之浦:13時30分〜15時30分 (2)写真パネル・資料の展示 ■日時 11月17日(土)頃〜数日間 ■場所 福江総合福祉保健センター (3)カネミ油症について学ぶ市民講座 ■対象 中学生以上 ■期間 5月〜10月(全6回) ■場所 福江総合福祉保健センター 市民講座について詳しくは、市民講座チラシをご覧ください カネミ油症事件 - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/カネミ油症事件 - キャッシュ
カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年に、ポリ塩化ビフェニル(PCB)など が混入した食用油を摂取した人々に障害等が発生した、主として福岡 .... 者らには先に 受け取った仮払いの賠償金の返還義務が生じることになったが、既に生活費として使っ てしまっていたケースも多く、返還に窮した被害者の中からは自殺者も出るに至った。
mainichi.jp/articles/20170607/ddp/041/040/027000c
2017年6月7日 - 仮払金が払えずに自殺した人や、就職や結婚で差別されて生活苦に追い込まれた人、「 家族に『毒』を食べさせてしまった」と自分を責め続けている母親がいた。被害者の窮状 を知った人たちがカネミ油症被害者支援センター(東京)を結成し、 ... blogs.yahoo.co.jp/recordaday/7153593.html - キャッシュ
いじめ自殺>「自分傷つけないで」カネミ油症被害少女訴え 「自殺するなら 健康な体 私 にください」。長野県飯田市の自営業、塩沢正敏さん(83)が保存していた86年2月の 毎日新聞の記事にはそんな見出しがつけられていた。 記事は、68年 ... www.min-iren.gr.jp/?p=13833 - キャッシュ
駆け歩きレポート(36) カネミ油症は終わっていない 40年間も苦しむ被害者 長崎・五島 で聞きとり. 「カネミ油(ゆ)症(以下、油症)」を知っていますか ... 一家離散や自殺などの 悲劇も起こりました。 同市玉之浦町の永尾きみ子さん(75)は、一四 ... www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.../a164199.htm - キャッシュ
カネミ油症事件は、一九六八年に、福岡県や長崎県を中心に西日本一帯で発生した PCB(ポリ塩化ビフェニール)等の有毒物質 ... 返還免除等の措置について 1 被害者が 、国から、仮払金の返還を請求され、その被害者の中には自殺者や離婚者まで出て いる。
患者急増 まるで野戦病院 カネミ油症50年の証言 元准看護士、うめき声 今も耳に 命絶った青年に涙 病室に漂う膿(うみ)のにおい、苦痛にゆがむ患者の顔−。長崎県五島市玉之浦町の元准看護師、橋本たき子(80)は50年前を思い返すたびに、胸が締め付けられる。 1968(昭和43)年春。30歳のたき子は、同町の診療所で働いていた。3月の末、訪れる小中学生が急に増えた。総じて脱力感を訴え、待合室の長いすに寝そべっていた。「学校をサボりたいのかな」。いぶかったが、よく見ると子どもたちの皮膚には発疹が目立ち、ひどく目やにが出ている。腹痛を訴える子も少なくない。奇妙だった。 1カ月もたたないうちに成人患者も次々にやって来た。ほとんどが漁師。昼間は痛みに耐えて働き、夜、診療所の当直時間に人目を避けるように来院する。青年期の男性は症状が特にひどく、顔や背中、脇の下、内股などに、びっしりと重なるように吹き出物ができていた。患部に薬を塗ったりガーゼを取り換えたりしたが、膿は耐えがたいにおいを発した。 夏になると診療所は患者であふれ返った。医師の指示で解毒薬を患者に点滴したが、すぐに病室も、点滴袋をつるす器具も足りなくなった。廊下や待合室に畳を敷き、点滴袋は壁や戸に直接ぶら下げるしかなかった。当直の際は、痛みにうめく入院患者に何度も呼び出された。「まるで野戦病院」。昼夜なく駆け回りながら、途方に暮れた。 治療法はなく、病名すら付けられない状態。「このやぶ医者が!」。荒い漁師らは、一向に治らない“奇病”にいら立ち、医師に罵声を浴びせた。3人いた医師のうち、たき子と同年代で最も若い男性医師は特に怒りの矛先を向けられ、思い悩んでいた様子を覚えている。 原因が分かったのは10月。「北九州市で製造された食用米ぬか油『カネミライスオイル』に有害なPCB(ポリ塩化ビフェニール)が混入していた」。役場から診療所にそんな連絡が入った。予想もしなかった知らせに、たき子は驚いた。そして新たな恐怖が湧き上がった。「自分たち家族も食べている」 ◎黒い赤ちゃんに衝撃 自身と家族全員も重い症状 たき子の家族にも、来院患者と同じような症状が現れていた。 当時、夫と幼い1男3女の6人家族。全員の顔や背中、手脚などに吹き出物が出て、子どもたちは髪が抜けた。目が開かないほどの目やに、腹痛、鼻血−。学校は休みがちになった。 原因の食用油は自宅近くの商店で、一斗缶から一升ずつ量り売りで購入。豚カツや天ぷら、ドーナツなどを作って家族にたくさん食べさせていた。事件が発覚する10月までに一升瓶で約5本分を使った。 たき子自身、強い倦怠(けんたい)感や吹き出物に苦しみながら、患者が押し寄せる診療所で激務に追われる日々。家族や自らの体を顧みる余裕はなかった。 油症の影響は、新たな命にも及ぶ。お産があるたびに、たき子は診療所近くの母子センターで医師と立ち会っていた。68年の暮れ、その赤ちゃんを見た時、悲鳴を必死でこらえた。皮膚はコーヒーを塗ったように黒ずみ、弾力がない。産声も、か細い。覚えているだけで、同様の赤ちゃんは12、13人が生まれた。 集落ではいつの間にか「黒い赤ちゃんがまた生まれた」とうわさが広がった。皮膚の黒さは小学生になっても残り、歯がぼろぼろになる症状も目立っていた。 2、3年すると、診療所には大腸がんや胃がんなどのがん患者が増えた。痛みに苦しみ、亡くなっていく患者をみとる一方、たき子も初期の子宮がんを発症。73年に摘出手術を受けた。夫や子も内臓や目の疾患に悩まされ続けた。 長男を除く家族5人が油症と認定。国や原因企業カネミ倉庫、PCBを製造した鐘淵化学工業(現カネカ)の責任を問う集団訴訟では夫が1陣、たき子は2陣、娘3人が3陣に加わった。1陣の二審、3陣の一審では原告が勝訴し、夫と娘計4人の仮払金を国から受け取った。しかし、86年の2陣の二審判決で国とカネカの責任が否定されると、最高裁での敗訴の可能性が高まり、患者側は訴訟を取り下げた。10年後、国から仮払金返還を請求され、たき子夫妻は4人分の返済をほそぼそと続けた。長男は近年、油症認定された。 今も夜中に目が覚めると、診療所で夜聞いた患者のうめき声が耳の中で響く。幼い頃から知っている青年が症状に耐えられず、命を絶ったこともあった。思い出すと涙が出る。 「油症で人生を壊された人がいる。夢を持って生活していたのに突然絶たれた。その悲惨さを風化させてはいけない」。たき子の思いだ。 =文中敬称略= #高砂市西畑 #高砂市立高砂中学 #高砂西港 #pcb汚泥盛立地 #台湾油症認定基準 #カネミ油症被害者支援センター #排除のための検診 #カネカ・カネミ油症 #カネカ #鐘淵化学工業 #カネミ倉庫 #PCB #ダイオキシン #土壌汚染 #底質汚染 #高砂市 #高砂西港 #郭育良教授 #台湾大学 #カネミ油症 #健康被害 #免疫システム #先天性心臓病 #神経システム #免疫システム #内分泌ホルモン #油症被害者 #認定基準 #胎盤 #土壌汚染 #廃棄物投棄 |
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カネミ油症事件の経過
1)ダーク油事件;カネミ油症事件は予見できなかったのか 1968(昭和43)年2月20日ごろ、鹿児島県日置郡のブロイラー養鶏団地を
はじめ九州、四国、中国など西日本各地で奇病が発生した。鶏が急に元気が なくなり、食欲がなくなり、産卵しなくなり、体に浮腫が来、呼吸困難がき て口を開けて斃死した。その数は推定190万羽から210万羽といわれている。 連絡を受けた鹿児島県畜産課は家畜保健衛生所九州支場に原因究明を依頼 した。まず、死んだ鶏の解剖の結果、肝臓壊死、腎臓の尿細管拡張、腹水、 胸水、心囊水腫、浮腫、皮下浸潤、出血などの所見が明らかになり、ブロイ ラー大量斃死の原因は中毒であることが明らかになった。 3月14日県畜産課は農林省福岡肥飼料検査所に対して「原因は配合飼料に
あると考えられる」と報告した。この配合飼料を製造したのは東急エビス産 業の九州工場と林兼産業の下関工場の2社だけであった。 検査所の聞き取りでは東急エビス産業側は奇病発生の原因となった配合
飼料は二製品で、これらの二製品が他の製品と違うところは、北九州小倉区 東港町のカネミ倉庫の米ぬか油を製造する過程で副生するダーク油を材料に 使っていたことである」と述べている。さらに、このダーク油や飼料を鶏に 直接与えると鶏は全く同じような症状を示した。 すなわち、3月の中旬には鶏奇病の原因はカネミ倉庫のダーク油であることは明らかになった。検査所は3月15日、農林省畜産局流通飼料課に報告し、16日には二社に飼料の回収を命じた。3月18日には東急エビス中央研究所ではダーク油による動物実験を開始している。それによると、2月7日、14日に出荷したダーク油にのみ
毒性があることが分かっている。 3月22日、飼料課長ほか係員たちは、カネミ倉庫の本社工場を立ち入り調
査した。そして、カネミ倉庫の加藤三之輔社長に確かめたところ「ライスオ イルは飲むことが出来ます。私も飲んでいますが、何の異常もありません。 大丈夫です」と答えたという。ダーク油を製造する工程や製品の出荷状況な どについてはかなり詳しく事情聴取をしたらしいが、肝心の人が口にする米 ぬか油については追求されなかった。実際、患者の中には健康や美容によい という宣伝によって、飲用していた者がいたのである。保健所から勧められ たという者もいた。 5月には農林省家畜衛生試験場の小華和忠や勝屋茂美らはこれらの飼料を ひな鶏に食べさせて同じ症状が発症することを確認している。後でわかった ことだが、ダーク油には1300ppm のカネクロール400が含まれていた。 6月14日、問題の配合飼料とダーク油を使って農林省家畜衛生試験場で 行った再現試験の結果が検査所に報告された。それによると「原因はダーク 油の原料である油脂が変質したために起こった中毒である」というもので あった。この時、詳しい原料の化学的分析(たとえば、ガスクロマトグラフ によるなど)を行うべきであった。人の口に入れるものであるから一片の通
知と警告だけで済ませないで、さらなる経過観察を注意深く続けるべきで あった。 宮田秀明教授
当時、アメリカでは同じような鶏の水腫病(chick edema disease)
が多発し、‘60年代には多くの報告がアメリカの畜産関係専門書に報告され、 ある種の有機塩素系化合物が原因であることが推定されていたのである。す なわち、アメリカのCantrellらによって水腫病の原因はヘキサクロロベンゾ -P-ダイオキシンと同定されていたという。さらに、1956年にはハンブルグ大 学の皮膚科研究グループがダイオキシン類は塩素痤瘡を作ることを明らかに していた。1967年にすでに、Jensen(スエーデン)も環境中にPCB を発見 していた。すなわち、注意深く関係の専門家たちがその気になればいくつか の重要な情報はあったのだった。 この時、その鶏卵や汚染鶏を食べた者がどうなったかの調査もない。また
死んだ鶏の80%前後が地中に埋められたとみられる。それらは環境汚染を 起こしてはいないのか、決して腐敗しない化学物質だから現在も残留してい て厄介なはずである。 ダーク油の汚染が指摘された3月下旬から油症が発覚した10月までの約半 年間に国、北九州、カネミは何らかの対策がとれたはずであった。しかし、 何かの対策がとられた形跡はない。 九大油症研究班の倉恒匡徳は「ダーク油事件は油症事件が報道される約
8ヶ月も前に発生していたのである。鶏の病気は人に深刻な影響を与えるお それがある。農林省が、この誰しも考える“おそれ”に配慮して、この事件 を厚生省に連絡しておれば、油症の拡大もまた防げたことが考えられる」と 書いている。 長崎県の五島列島の玉之浦は人口4400人の集落であるが、113世帯、309人がカネミ油症の被害者となり、21人の黒い赤ちゃんが誕生した。玉之浦に犠牲者が多く出たのは、この地区の店でカネミオイルを盛んに宣伝し、安い値段でセールを行っていたからである。
カネミ油症患者の症状は醜く黒ずんだ皮膚症状が主であった。PCBは身体に長時間蓄積され慢性の症状を引き起こしたが、当時は長期的な危険性の認識は乏しかった。PCBは身体全体をむしばみながら、やがて死亡例が続出することになる。 PCB汚染による被害者は1万4000人に達していたが、カネミ油症の認定患者は症状が著明な1857人だけであった。また事件から5年以内に27人が死亡したが、認定患者であっても救済の手は差し伸べられなかった。そのため患者らが法廷闘争に立ち上がった。 2)油症発覚;食品衛生法違反では
ダーク油事件の当時、西日本の各地で体に黒い吹き出物がでる患者が多発 して各地の医療機関を訪れていた。汚染されたダーク油の出荷時期、ブロイ ラーの発病時期と問題のライスオイルの出荷時期、奇病の発症時期とは同じ だった。
1968年4月以来、ブロイラーの方は出荷停止によって発生が食い止
められた。しかし、ライスオイルの方は人間に関することであったが、発症 が発見されて、原因が分かるまでにさらに時間がかかった。その間、被害は 拡大していった。とくに、被害拡大防止こそが行政の最大の責任であったに もかかわらず、その懈怠によって被害が拡大した。 6月7日に九大皮膚科に3歳の女児が痤瘡(にきび)様皮疹と診断された
が、8月には家族全員が同様の症状となって受診した。しかし、食中毒事件 として捉えられていなかったか、少なくともそのような対応は見られていな い。それは、皮膚科は食品衛生法の処理に慣れていなかったこともある。そ の後、九大にライスオイルを持ち込んだ者がいたが問題にされないので、10 月3日、その米ぬか油を今度は大牟田保健所に届けた。そこで、やっと保健 所は翌日、福岡県衛生部に集団的奇病の発生を連絡した。 昭和43年1月度精製々品出来高
昭和43年3月度精製々品出来高
昭和43年4月度精製々品出来高
昭和43年4月度精製々品出来高
その以前から、九大と福岡県衛生部は事前に察知していたと思われる。九
大の五島応安医師は学会に発表するまで控えていたという。これは食品衛生 法の届出義務違反ではないか。 10月10日に朝日新聞で奇病発生が発表されると、翌11日、衛生部は九大病
院に派遣、調査を開始した。新聞は11日にはダーク油との関連を報道する。 一方、北九州市衛生局は11日にカネミ倉庫に立ち入り調査を実施し、サンプ
ルを採取して九大に分析を依頼した。この日、カネミ倉庫に対して原因がはっ きりするまで販売を中止するように勧告したが、会社側はそれを受け入れな かったために、15日食品衛生法によって1ヶ月の営業停止を通知した。 新聞に連日報道されると、疑いをもった人々が保健所に届出て、その数は 同日、30日には1万2270人に達した。 九州大学医学部、同薬学部、県衛生部合同の「油症研究班」が10月14日に結成され。19日には「油症患者診断基準」を決定した。まだ、原因が確定されていない時のもので、未知の疾患に対する診断基準であるからあくまで暫定的なものでなくてはならなかった。
3)病因物質の追求 10月14日に久留米大学の山口誠哉教授はヒ素中毒説を発表した(後否定) 10月18日、九大医学部に油症外来を開設して集団検診を始める。
10月19日に編成された油症研究班は班長、勝木司馬之助(内科、九大病院 長)、副班長は樋口謙太郎(九大皮膚科教授)と下野修(福岡県衛生部長)か らなり、部会として臨床部会(部会長樋口謙太郎)、分析専門部会(部会長塚 元久雄九大薬学部部長)、疫学部会(部会長倉恒匡徳・公衆衛生学教授)を置 いた。 10月22日、高知県衛生研究所がカネミ倉庫の米ぬか油から、27日には国立
衛生試験所がそれぞれ有機塩素系化合物を検出に成功した。米ぬか油から初 めて有機塩素系化合物が検出されたのであった。 11月4日には研究班の稲神農学部教授がカネミ油に含まれた有機塩素系化
合物のガスクロマトグラフのパターンがカネクロール400(鐘化)のパターン と一致することを証明した。原因が油に含まれるPCB とするとどこから混 入したかが問題になった。 11月6日には九大皮膚科の五島應安氏が油症被害と鶏のダーク油による被
害の原因が同じであることを実験的に証明し、11月4日には米ぬか油から、 11月16日にはダーク油から相次いでPCB が検出された。
11月16日、篠原久(化学機械工学)教授を団長とする九大調査団がカネミ
倉庫の製油部工場を立ち入り検査した。その結果、脱臭塔内を通っているス テンレスパイプに3箇所のピンホールを発見して、そこからカネクロールの 漏出が確認された(後にこれは訂正されるのだが)。これによって、原因究 明は終了したとされた。 しかし、1971年、アメリカのR.W.Risebrough博士の指摘によってカネクロール400にはPCBsの他にPCDFs、PCDDsなどが含まれていることが分かった。その結果、油症の主な原因はPCDFsによるものであることが明らかになった。いずれにしても、油症は単純な汚染の結果ではなく複合汚染によるものであった。したがって、その臨床像も複雑で前例のないものであることが推定された。
追跡調査(五島の患者たち)で分かったこと、生活の場でみる 2000年から2004年にかけて、長崎県五島列島の玉之浦町、奈留町の油症患
者61人(11人は九州在住)について、現地を訪れ検診と聞き取りを行った。 自主医療班は神経内科、精神科、皮膚科、婦人科、疫学、保健師(院生)、看 護師(院生)、社会福祉士からなる。 男性20人、女性41人。年齢は33歳から79歳。平均年齢は男性60.6歳、女性 は64.8歳でいずれも高齢者が多い。 事件が起こった1968年は、たまたま椿油が不作な年で、そこに、高級なカネミ油を格安で販売すると、カネミ油が島に持ち込まれました。あとでわかったことですが、再脱臭した劣悪なカネミ油が持ち込まれたので安かったのだと言われています。
何も知らない島民は、カネミ油で魚を天ぷらにして食べました。ダイオキシンの毒入り油で元気がなくなると、もっと精をつけようとさらに天ぷらを食べたり、美容に良いと、そのままカネミ油を飲んだ人もいました。 五島列島は隠れキリシタンの里です。島のあちこちに教会が立ち、異国情緒のただよう美しい島です。黒い赤ちゃんが多く生まれたのも、堕胎を避けるキリスト教の影響があったと言われています。 かくして、カネミ認定患者の約2割が五島市に集中したのです。 初めて自主検診やヒアリング調査に入った時は、多くの被害者は私たちを警戒しました。何の血縁も地縁もないよそ者が、事件から30年以上も経ってから、なんで来るんだというのが警戒の理由です。今では笑い話ですが、カネミ油症被害者五島市の会会長がこう言いました。「やって来た人たちは、今はやりのオレオレ詐欺の仲間だと思った」。 こんなこともありました。ある被害者の家に原田正純医師たちと訪問しました。その家の奥さんは複数の黒い赤ちゃんを生んだ人です。ぜひ原田先生に診てもらいたいというので訪問したのですが、家に入ったとたんに主人が出てきて、「お前ら、今ごろ何しにきた。来るなら仮払い金を払う前に来い」とどなり、殴りかからんばかりの勢いでした。私たちは急いで家を出ましたが、その家の奥さんが出てきて言うことには、「お父さんを許してください。カネミを食べる前は人一倍元気な人でした。健康な人を見ると悔しいんです」。
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カネミ油症事件 - クール・スーサン(音楽 芸術 医学 人生 歴史)www.cool-susan.com/2015/10/24/カネミ油症事件/ - キャッシュ
カネミ油症事件はPCB(ポリ塩化ビフェニール)による日本最大の食品中毒事件である。 昭和43 ..... 長崎県の五島列島の玉之浦は人口4400人の集落であるが、113世帯、 309人がカネミ油症の被害者となり、21人の黒い赤ちゃんが誕生した。
www.jea-navi.com/archives/2112 - キャッシュ
2018年8月10日 - 人類の愚行を二度も経験した」。長崎県五島市玉之浦町の中里益太郎さん(88)は大きな決断をした。長崎原爆の被爆者であると同時に、国内最大とされる食品公害「 カネミ油症」の被害者であると明かし証言していくと。油症は今年が発覚 ...
カネミ油症と台湾油症の比較 - NAOSITE - 長崎大学(Adobe PDF)naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/.../1/JJNUK5_2_04.pdf
2018年10月1日 - ... の比較考察への第一歩に位置づけられる。 キーワード:カネミ油症、台湾油症、化学性食中毒、認定基準、患者登録、食品公害 ...... No10、森田安子さん:女性、1953 年長崎県五島市玉之浦出生。現在福岡県大牟田市在住。 1968 年から、 ...
www.min-iren.gr.jp/?p=13833 - キャッシュ
駆け歩きレポート(36) カネミ油症は終わっていない 40年間も苦しむ被害者 長崎・五島で聞きとり. 「カネミ油(ゆ)症(以下、油 ... 同市玉之浦町の永尾きみ子さん(75)は、一四年前に未認定の夫がガンを患いました。生死をさまよい、職を失い ...
www.pref.nagasaki.jp/bunrui/anzen.../knemiyusyo/ - キャッシュ
2018年10月1日 - 2018年10月1日カネミ油症資料等の展示について(生活衛生課) ... また、長崎大学医学部を中心とする油症検診班は、五島市奈留町・玉之浦町及び長崎市における一斉検診を実施し、油症研究班は、治療に関する基礎的な臨床的研究等を行うと共に、適切な ...
www.nishinippon.co.jp > 西日本新聞 > ニュース > 社会 - キャッシュ
2018年8月9日 - 人類の愚行を二度も経験した」。長崎県五島市玉之浦町の中里益太郎さん(88)は大きな決断をした。長崎原爆の被爆者であると同時に、国内最大とされる食品公害「 カネミ油症」の被害者であると明かし証言していくと。油症は今年が発覚 ... www.nishinippon.co.jp > 西日本新聞 > ニュース > 社会 - キャッシュ
2018年10月4日 - カネミ油症」。自らの体調異変と同じ症状は、国内最大の食品公害として取り沙汰されていた。油に含まれる毒は、母乳や ... 同年末までに、同じ五島列島にある玉之浦地区は446人、長崎市とその周辺は336人が健康被害を届け出たが、奈留 ... www.huffingtonpost.jp/.../kanemi_disease_n_3629300.... - キャッシュ
1968年に西日本一帯で起きた食品公害・カネミ油症の被害が集中した長崎県五島市の玉之浦町と奈留町で、被害発生から10年にわたり死産率が通常の2倍超となっていたことを、岡山大大学院の頼藤貴志准教授(環境医学)らが20日までに ... www.47news.jp/2545921.html
2018年7月11日 - カネミ油症患者の健康状態を調べる本年度の油症検診が10日、五島市玉之浦町を皮切りに始まった。未認定患者の認定診査を兼ねており、同町では認定患者69人、未認定患者13人の計82人が受診。11月ごろまで ...
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http://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-11-18/2018111801_04_1.html
長崎・五島で式典 半世紀 教訓探る(写真)油症で亡くなった犠牲者を追悼し、献花台に花を供える人たち=17日、長崎県五島市 ダイオキシン類(PCDF)などに汚染された食用油による大規模な食中毒事件「カネミ油症」の発覚から50年になるのを記念し、改めて半世紀続く被害を見つめ直すことで未来に教訓を伝える式典が17日、油症被害の相次いだ長崎県五島市で開かれました。
油症患者や支援団体、五島市などでつくる実行委員会が「油症の経験を未来につなぐ集い」として主催。全国から集まった患者ら約200人が油症で亡くなった人を追悼しました。
下田守実行委員長は、長い苦難を生き抜いた被害者とともに、病苦などへの悲観で自死を選んだ人を含む犠牲者一人ひとりに話しかけるようにあいさつ。「差別や偏見から油症であることを知られたくないと、今も被害を隠し生きざるを得ない状況が続いている。50年は一つの区切りであっても決して終わりではない」と語りました。 カネミ油症被害者五島市の会の旭梶山英臣(あさひかじやま・ひでおみ)会長(68)は、血液中のPCDF濃度を重視する患者診断基準の下、症状はあっても油症と診断されない多くの未認定被害者が取り残されている現状を指摘。国などに「認定基準を改善していただきたい」とのべました。 来賓の坂口力元厚労相も「血中濃度が高くなくても、症状がある人もいて、(現行基準では)そういう人を救うことができない。症状の有る無しによって認定してもいいのではないか。もう一度、検討すべきことではないか」と認定の在り方を見直すよう訴えました。
式典後の分科会で、1979年発生の台湾油症事件の関係者らも交え、社会全体で被害者を支える態勢がある台湾と、企業の存続や経済を優先する日本との違いなどについて討論が交わされました。
日本共産党の江川美津子、橋本憲治両五島市議が参加しました。
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第3章 食中毒事件としての油症認定問題
日本でも、台湾でも、油症問題は「食中毒事件」である。 だが、日本の場合、通常の食中毒事件に対しては認定基準がない。食中毒で認定基準が あるのは水俣病とカネミ油症及びイタイイタイ病だけである。なお、水俣病とカネミ油症 は食環境が化学物質によって汚染されたために起きた化学性食中毒であり、長期にわたっ て深刻な影響を及ぼす大規模な健康被害である。 医学者津田敏秀によると、全国の食中毒事件に関する報告書をまとめた食中毒統計では、 大まかに原因を「原因施設」「原因食品」「病因物質」の3つに分けて集計している(津田2004)。 従って、油症の場合は、油症患者は以下のように決定される。 すなわち、認定申請を行って、「原因施設」(日本:カネミ倉庫KK 製油部。台湾:彰化油 脂企業製油部)産の「原因食品」(日本:ライスオイル、台湾:米ぬか油)を摂取していた 油症関連の症状がある患者の発症の原因が「病因物質」(日本:PCBs、PCQs、PCDFs 及び台 湾:PCBs、PCDFs)であるか否かを判断する。 なお、食品衛生法を適用する際に、病因物質の判明は必要条件ではない。原因食品と原 因施設が明らかであれば良い。理由は以下のようである。 「もし病因物質の判明を必要条件としてしまうと、水俣病事件のような未知の病因物 質による食中毒事件の際に、たとえ原因食品もしくは原因施設が明らかで対策可能であ っても、対策がとれなくなってしまうからだ。これは水俣病のような悲劇につながる。 また、たとえ既知の病因物質であっても、それを分析し検出している時間が長くなるほ ど、対策が遅れてしまい、それだけ患者の発生数は増加することになる。これは食中毒 事件対策において、致命的な遅れにつながる。」(津田2004:52) 水俣病公式発見は1956年、病因物質(有機水銀中毒)とわかったのは1959年のことであ る。1956年の熊本県における食品衛生法第4条(2003年以降の第6条にあたる)適用事例を見 ると、ネズミチフス菌(サルモネラ菌)やテトロドトキシン(ふぐ毒)のように病因物質の 明らかなものもあるが、病因物質が「不明」のものも少なくない。病因物質が不明でも、原 因食品が明らかであれば実際に規制している(戸田2006)。例えば、1942年3月から1950年に かけて静岡県の浜名湖アサリ貝食中毒事件は、病因物質が判明しなくても、関連対策を迅速 にとることができた。また、2002年11月から2003年7月にかけての重症急性呼吸器症候群 (SARS)事件は、病原体であるコロナウイルスが確認される前に感染防止対策が始まった。 カネミ油症の場合、1968 年10 月10 日に朝日新聞(西部版)夕刊で奇病発生が発表され
た。同年11 月6 日には九州大学属付属病院皮膚科において、五島慶安医師が油症被害とい
わゆるダーク油による鶏の被害の原因が同じであることを実験によって証明した(カネミ 油症被害者支援センター2006:73)。なお、8 月中旬から五島慶安はカネミ油が原因である ことを知っていたが、公衆衛生局に届けていない。食品衛生法では届け出ない場合は罰せら れるのである(原田正純2010:36)。1975 年九州大学の長山淳哉はPCBs からダイオキシン 類のPCDFs を検出した。1983 年油症研究班(九州大学医学部を中心とする研究グループ) はPCDFs が主原因であることを発表した。 津田敏秀は「カネミ油症事件では、事件当初から患者も医師もライスオイルが原因食品で あると認識できていた。しかし、九州大学医学部の医師たちは、事件による被害が拡大して いるにもかかわらず、また、病因物質までもが明らかになっているにもかかわらず、食品衛 生法に基づく届出を怠り、1968 年10 月に朝日新聞がスクープするまで対応しなかった… (中略)…通常の食中毒事件であれば患者たちが当然受けられるべき補償の権利を、認定制 度を運用することにより奪われている」と述べている(津田2004:185-186)。 従って、食中毒患者の判定に病因物質の特定は必須ではない。原因食品摂取の確認1つ以 上の症状が判定の要件と言える。なお、1つ以上の症状は、食品衛生法第58 条(カネミ油 症発症時の第27 条に相当)[注26]以下に明記され義務付けられている食品衛生法体系に 基づき調査を実行すればわかる。水俣病事件もカネミ油症事件も、この法律に義務付けられ た調査を行っていない(津田敏秀電子メール2017 年)。 しかしながら、第2 章に述べたように、認定、未認定、1 世及び2 世を問わず油症患者に 現れる症状は実に多様で個人差が大きい。毒物の摂取量及び排出量にも個人差がある。さら に、外部環境の変化及び年月の経過とともに症状が変わる。つまり、油症の場合、症状の特 徴によって、油症患者であるか否かを判断することは難しい。 認定基準については、カネミ油症の場合、1968 年10 月10 日、朝日新聞が油症の発症を 初めて報道している。10 月14 日に九州大学の油症研究班が発足して、18 日に油症外来が 開設され、その結果、106 名の受診者中、11 名が油症と診断された。そして、19 日に診断 認定基準が発表され、11 月1日、油症研究班は病因物質をPCBs と断定する。しかし、最初 の認定基準は皮膚症状が中心の診断基準となっており、PCBs 濃度の基準は明らかにされて いない。なお、カネミ油症は、自然発生的な食中毒ではなく、人為的行為によって発生した 食中毒事件であることが明らかになった。さらに、1969 年7 月2 日現在の厚生省の集計に よると、届出者1 万4,627 名のうち認定患者は913 名であった(カネミ油症40 年記念誌編 さん委員会2010:14)。すなわち、わずか6.2%しか認定されなかった。 1976 年の改正認定基準も皮膚症状中心の基準のままであったものの、「血液中のPCBs の 性状および濃度の異常」および「血液中のPCQs の性状および濃度の異常」が基準条件に追 加された。 2004 年の改正認定基準にはPCBs の汚染に加えて、PCBs とダイオキシン類(主にPCDFs) の複合汚染が付け加えられた。その診断基準によって新たに18 名が認定された。2012 年カ カネミ油症の場合、1968 年10 月10 日に朝日新聞(西部版)夕刊で奇病発生が発表され た。同年11 月6 日には九州大学属付属病院皮膚科において、五島慶安医師が油症被害とい
わゆるダーク油による鶏の被害の原因が同じであることを実験によって証明した(カネミ 油症被害者支援センター2006:73)。なお、8 月中旬から五島慶安はカネミ油が原因である ことを知っていたが、公衆衛生局に届けていない。食品衛生法では届け出ない場合は罰せら れるのである(原田正純2010:36)。1975 年九州大学の長山淳哉はPCBs からダイオキシン 類のPCDFs を検出した。1983 年油症研究班(九州大学医学部を中心とする研究グループ) はPCDFs が主原因であることを発表した。 津田敏秀は「カネミ油症事件では、事件当初から患者も医師もライスオイルが原因食品で あると認識できていた。しかし、九州大学医学部の医師たちは、事件による被害が拡大して いるにもかかわらず、また、病因物質までもが明らかになっているにもかかわらず、食品衛 生法に基づく届出を怠り、1968 年10 月に朝日新聞がスクープするまで対応しなかった… (中略)…通常の食中毒事件であれば患者たちが当然受けられるべき補償の権利を、認定制 度を運用することにより奪われている」と述べている(津田2004:185-186)。 従って、食中毒患者の判定に病因物質の特定は必須ではない。原因食品摂取の確認1つ以 上の症状が判定の要件と言える。なお、1つ以上の症状は、食品衛生法第58 条(カネミ油 症発症時の第27 条に相当)[注26]以下に明記され義務付けられている食品衛生法体系に 基づき調査を実行すればわかる。水俣病事件もカネミ油症事件も、この法律に義務付けられ た調査を行っていない(津田敏秀電子メール2017 年)。 しかしながら、第2 章に述べたように、認定、未認定、1 世及び2 世を問わず油症患者に 現れる症状は実に多様で個人差が大きい。毒物の摂取量及び排出量にも個人差がある。さら に、外部環境の変化及び年月の経過とともに症状が変わる。つまり、油症の場合、症状の特 徴によって、油症患者であるか否かを判断することは難しい。 認定基準については、カネミ油症の場合、1968 年10 月10 日、朝日新聞が油症の発症を 初めて報道している。10 月14 日に九州大学の油症研究班が発足して、18 日に油症外来が 開設され、その結果、106 名の受診者中、11 名が油症と診断された。そして、19 日に診断 認定基準が発表され、11 月1日、油症研究班は病因物質をPCBs と断定する。しかし、最初 の認定基準は皮膚症状が中心の診断基準となっており、PCBs 濃度の基準は明らかにされて いない。なお、カネミ油症は、自然発生的な食中毒ではなく、人為的行為によって発生した 食中毒事件であることが明らかになった。さらに、1969 年7 月2 日現在の厚生省の集計に よると、届出者1 万4,627 名のうち認定患者は913 名であった(カネミ油症40 年記念誌編 さん委員会2010:14)。すなわち、わずか6.2%しか認定されなかった。 1976 年の改正認定基準も皮膚症状中心の基準のままであったものの、「血液中のPCBs の 性状および濃度の異常」および「血液中のPCQs の性状および濃度の異常」が基準条件に追 加された。 2004 年の改正認定基準にはPCBs の汚染に加えて、PCBs とダイオキシン類(主にPCDFs) の複合汚染が付け加えられた。その診断基準によって新たに18 名が認定された。2012 年カ ネミ救済法の同居家族積極認定を経ても、認定は2,307 名(2017 年3 月31 日現在、死亡者
も含む)にとどまっている。 認定基準について、原田正純は次のように述べている。 「食中毒事件においては「認定基準」などはいらない。申請などしていなくとも原因食 品を食べた可能性があれば、自宅にいても保健所の職員が調査にきてくれる。極言すれば 食品衛生法からは認定審査会も認定基準、制度そのものが不要ということになる。カネミ 油を食べ、何か健康障害があれば油症として登録(認定)されるべきであった。」(原田正 純2010:36) 食品衛生法上、認定基準がない中で、カネミ油症被害者が認定基準によって選別されて いることは違法とは言えないのだろうか。 津田敏秀は次のように述べている。 「通常は、行政が積極的に曝露者数・油症者数、全数を把握するために、申請や認定な ど必要ないのである。くり返すが食中毒調査の際は全体の調査が原則であるので、患者把 握に申請手続きは必要がない。そもそもカネミ油症事件の認定制度には法的裏付けがな いのである。」(津田敏秀電子メール2017 年) しかし、保田行雄弁護士は、カネミ油症は食品衛生法上「制度上の空白」地帯におかれて いるとする(食品衛生法には慢性中毒としての被害の救済に関する規定がない)。「既成事実 化」したカネミ油症の認定制度を単純に食品衛生法に沿っていないから「違法」であると直 ちに言い切れるかということは、なかなか難しいが、国を相手として行政訴訟を提起しても、 勝訴する可能性は低い(違法であれば、裁判の提起も可能である)と述べている(仲千穂子 あて電子メール2017 年)。 一般に食中毒は自然毒や細菌感染を含む飲食物を摂取した結果として起こる下痢や発熱 などの疾病を指す。その原因になった因子物質によって5 つに分類される。①細菌性食中毒 (黄色ブドウ球菌など)、②ウイルス性食中毒(ノロウイルスなど)、③自然毒食中毒(有毒 キノコ、フグなど)、④寄生虫性食中毒(ジストマなど)、⑤化学性食中毒(農薬、メチル水 銀など)。 化学性食中毒としては、農薬中毒などがあり、水俣病、カネミ油症及びイタイイタイ病も このカテゴリーになる。しかし、油症問題の特徴は、①症状の複雑さ(現在まで治療法は不 明)、②慢性的(PCBs、PCDFs、PCQs などの有毒化学物質は体外に排出しにくく、毒性が長期 間体内に残留する)、③継世代性(被害は2、3 世代に広がっている)、④社会的特徴(被害 は生物的弱者から始まって、社会的弱者に集中する(宮本2017)[注27]、⑤生活障害(健 康問題だけではなく、精神的・心理的・経済的問題も生じている)の多岐にわたる。 社会学者宇田和子によれば、油症は典型的食中毒よりも、むしろ「公害」の被害に親和性
をもっている(宇田2015:56)。食品公害とは「事業活動その他の人の活動に伴って生ずる、 自然に由来しない有害物質による食品の汚染によって、もしくは原因不明の食品の有害化 によって、相当範囲にわたる人々の健康又は生活環境に係わる被害が生ずることであり、特 に汚染された食品の摂取に起因する病の治癒、汚染物質の排出、及び生活環境の復元が困難 な被害が生ずること、典型的食中毒からは逸脱する特質をもった被害が生ずること」と定義 されている(宇田2015:58)。従って、カネミ油症事件は大気汚染、水質汚濁、土壌汚染を 経由しないので法律上の「公害」ではなく、法律的には「食中毒」(化学性食中毒)である が、典型的な食中毒(ブドウ球菌食中毒など)とは相違点が多く、水俣病などの公害事件と の類似点が多いので、「食品公害」という新たなカテゴリーを設けてはどうかというのが宇 田和子の主張である。なお、カネミ油症事件は森永砒素ミルク事件(1955 年)と同じ、「食 品公害」の代表例とされてきた(宇田2015)。昭和電工トリプトファン事件(1989 年)もよ く言及される。 しかし、カネミ油症は水俣病と同様に、化学物質を病因物質とする食中毒事件である(津 田2004、石原2016)。油症も水俣病も食中毒事件として対処するべきだというのが津田敏秀 と石原信夫の主張である。油症問題が長期に渡っていること、治療が困難なこと、被害が胎 児にも及んでいるという点は同じく化学性食中毒である水俣病と類似するので、カネミ油 症問題の学問的に適切な解決策は「水俣病の1971 年認定基準」と台湾油症の「登録制」(自 らの症状などを根拠に申請して被害者として登録する)を参考にすることができるだろう。 皮膚症状に偏らずに全身の症状を列挙し「汚染食品の摂取」と「いずれかの症状」があれば 認定とするべきであろう。さらに、津田敏秀によれば、胎児性患者は摂食していないので、 食品衛生法の調査対象にはならない。従って、食品衛生法か食品衛生法施行令の若干の見直 しが必要である(津田敏秀電子メール2017 年)。 この点について、新大塚いずみ法律事務所の仲千穂子事務局長は次のように提案した。 「カネミ油症事件を契機として、食品衛生法の改正、または、未知の物質により国民が 被害をうけた際の新たな法の制定が必要である。この点、「食品安全基本法」が平成15年 に制定されているが、理念法に留まっており、カネミ油症のような事件が起こった際の救 済法としては不十分なままである。被害が発生した際に、国民の命を守るための補償をす る法律に改正させていく運動が必要である。」(仲千穂子電子メール2017年) 以上、カネミ油症被害に対する認定制度を概観してきた。カネミ油症は空間的な環境汚染 (大気汚染、水質汚濁、土壌汚染)を経由しなかったので、「環境基本法」及び「公害健康 被害の補償等に関する法律」(以下「公健法」と呼ぶ)の対象外になる。また、「食品衛生法」 は短期間で軽快する中毒を想定している法律(宇田2015:56)なので、典型的食中毒と異な る性質を持つカネミ油症を救済するには不備な点が多い。 一方、カネミ油症のような問題を解決するためには、3つの方法が考えられる。①現在の
食品衛生法または食品衛生法施行令を若干見直すこと。②カネミ油症は慢性疾患である点 などが公害に似ているので、マスコミや市民運動などから「食品公害」と呼ばれることが少 なくない。それをきっかけとして、「食品公害」を新しいタイプとして法律上の定義をし、 「食品公害」という新たなカテゴリーを設けること。③現在の公害の法的定義を拡張して、 カネミ油症のような特質をもった被害を公害病に認定すること。なお、解決には政治の力が 必要なのは言うまでもない(山田2017b)。 一方、水俣病は法的な位置づけとしては食中毒(食品衛生法)および公害(環境基本法) である。認定・救済の場合、公害を優先して、「公害健康被害補償法」「水俣病補償協定」に 基づいて、被害者を認定・救済している(当初の中毒報告は「食品衛生法」、患者認定は「公 害健康被害補償法」)。カネミ油症は法的な位置づけとしては食中毒(食品衛生法)である。 上記方法により、カネミ油症は、法的な位置づけとしては食中毒及び食品公害であれば、新 たな食品公害に関する制度を設けて、認定・救済の場合、食品公害を優先して、被害者を認 定・救済することはできないだろうか。 なお、当初の水俣病の認定基準(1959〜1970 年)は重症患者を念頭においた「狭い」もの であったが、1971 年の認定要件(当時の環境庁長官は大石武一、医師)では、汚染地域に住 んで魚介類を食べ、知覚障害などのうち「いずれかの症状」があれば水俣病に認定するとし ている。そのため認定患者数は大きく増えた。大量棄却によって多くの未認定患者を作り出 したのは、「症候の組み合わせ」を求める1977 年判断条件(当時の環境庁長官は石原慎太 郎、作家)である。背景には補償金支払額「急増」への「不安」があったと多くの人は推察 している(戸田2006)。 食品衛生法では、有害食品を食べて症状のあった人(曝露有症者)はすべて救済しなけれ ばならない。症状の組み合わせで選別してはならない(津田2004a:75)。「食中毒患者の認 定制度」という奇異なものは、水俣病(熊本と新潟)とカネミ油症の他に例を見ない。すな わち、「1万人を越える未認定食中毒患者」という異常事態はこの2 つの事件の他にない(津 田2004b)。水俣病では、救済の枠を拡大した1971 年の認定要件は選別、切り捨てにつなが らなかったので、科学的にも法的にも妥当と思われる(科学論争はあるが、日本精神神経学 会は1998 年以来、1977 年の判断条件が「科学的に誤り」であると指摘し続けている)。し かし、1959 年(認定制度の正式な発足)から1971 年の認定要件採用までと、1977 年判断条 件採用から現在までは、食品衛生法の趣旨に反する状態が続いているのではないだろうか (戸田2006)。 従って、カネミ油症は食品公害としての認定基準は水俣病の1971 年の認定基準を参考に することが妥当だろう。 台湾の場合、2011 年までに、政府は油症被害の存在は認めたが、具体的な登録の目安と なる症状は定めなかった。自らの症状などを根拠として申請し、油症患者として登録する。 これは「登録制」と呼ばれる制度である。しかし、患者自らが申請しない場合もある。その 背後には、患者になることで予想される社会的差別を恐れている可能性がある。なお、登録
しても、補助金などの救済が非常に少ないことも理由の1 つに考えられる。 しかし、この制度は、第1 世代の患者の人数が増えないことを前提としている。多くの患 者が、表面化されないままになった。 2011 年、台湾政府は「台湾省政府七十一年度PCBs 中毒患者無料医療及生活救済計書実施 要点」を公布した。なお、これは国民健康署からの行政指導で、政権が交代すると破棄され る可能性があった。この公布によって、1 世は1979 年12 月31 日以前に出生した者、2 世は 1980 年1月1 日以降に生まれ、実母が第一世代油症患者である者と定義された。未登録者 は登録するために、1 世は原因食品及び病因物質への暴露と表5 における症状に関する証明 書類を準備する。2 世は1980 年1月1 日以降に生まれ、実母が第1 世代油症患者である者 に関する証明書類を準備する。両者とも地方衛生局の主管機関に申請して事前審査を受け た後に、すなわち、国民健康署が本審査にあたる。 2015 年、政府は「油症患者健康照護服務条例」を公布した。この条例は正式な「総統令」、 政権が交代しても効力を持つものであった。それによって、1、2 世代油症患者の定義が変 更された。すなわち、1世は1980 年1月1日から1980 年12 月31 日までに生まれ、実母は 第一世代油症患者という認定基準になった。つまり、1世に属する患者の数が増えることを 意味する。2 世は1981 年1月1 日以降に出生した者で、実母は第1 世代油症患者であるこ ととされた。上記の「台湾省政府七十一年度PCBs 中毒患者無料医療及生活救済計書実施要 点」に血液検査(PCBs、PCDFs 数値)を必要条件として加えた(2016 年、血液検査は不要と なる)。 2016 年公布の「台湾における未認定患者申請判定プログラム」[注28]の骨子は、未認定 患者は関係資料を準備して、地方衛生局に提出することである。地方衛生局は資料の内容を 確認して、中央国民健康署に報告する。その後、国民健康署専門家会議による審査を行って、 油症患者であるか否かを判定する。しかし、国民健康署専門家会議は具体的な判定基準を持 っていない。結果として「行政裁量」にとどまってしまう。中国語では「行政裁量」は「自 由裁量権」を意味する。従って、行政権力が強く影響していると考えられる。 湖南省沅陵県人民裁判所趙月欣所長著「浅谈法官自由裁量权」は「自由裁量権」について 次のように述べている。 「自由裁量権の危険性は次のように表現されている:1、裁判官が職権を濫用する可能 性がある。法治精神及び目的に違反する可能性がある。2、同類の事件において、違う裁 判結果が出る可能性がある。3、個々の裁判官は自由裁量権の名目で、消極的な裁判をす る、法を曲げる、法律の実施を妨げる。または、報復する可能性がある。」[注29] しかし、台湾油症の「患者登録」は、上記の税務機関及び裁判機関の「行政裁量」ではな い。「行政裁量」の核心である「自ら判断し、自主的に選択する行政の権力が大きい」とい うことは「患者登録」制度の特徴だと考えられる。つまり、「自由裁量権」の幅は広いので、
危険性も高いと思われる。例えば、台湾油症患者に支給されている見舞金は地方政府により 違う。これは地方政府が自らで制定した制度なので、首長が変わると、制度も変更される可 能性がある。 言い換えれば、台湾の患者登録制度は行政裁量の範囲の問題であろう。 筆者は2017 年2 月と8 月に台湾国民健康署ほかを訪問した際、関係職員から、当初から 登録制度は被害者にとって登録しやすかったとの回答を得ている。2014 年までの認定 基準のハードルは高くなかった。すなわち、認定(登録)基準は米ぬか油を食用にした年月 だけの証明で十分であった。2015 年に、血液検査が必要条件となった。認定申請患者は2 万 4,000 元(約8 万9,000 円)を支払わなければならない。認定された場合には返却される。 しかし、その間、申請した患者は1 名だけであった。2017 年2 月まで、1 名のみが申請し て、認定された。2016 年の改訂版条例により、血液検査は不要になった。2014 年までの認 定基準と同じ、疑い油症患者は米ぬか油を食用にした年月だけの証明を地方衛生局に提出 し、確認されたら、国民健康署専門家会議による審査を行って、油症患者であるか否かを判 断する。 その間、台湾油症受害者支持協会は「2015 年油症患者生活現状調査報告」を公表した。 2013 年から、毎年台中市各地衛生所が油症患者健康検査をする際に、連絡先を残した油症 患者の名簿を作成した。この報告書によれば、2015 年2 月から同年末まで、名簿に登録さ れた油症患者は695 名であり64 回の電話訪問と32 回の家庭訪問を行った。このうち、油 症患者301 名(台中県291 名、彰化県10 名)の状況が把握されている。登録患者は226 名、 未登録患者は37 名、ほかの38 名は不明である。 また、台湾油症受害者支持協会事務局長廖脱如によると、「現在の患者登録制度は曖昧だ が、日本の厳しい認定基準よりいいと思います。しかし、現在の患者登録制度の「行政裁量」 の権限が大きいことに不安を抱えています。従って、現在未登録被害者数を明確にして、登 録患者の認定基準の幅を客観的に確立することが必要です」と提言している。 一方、郭育良は父親の油症患者も子どもに影響を与えることがあると推測している(カネ ミ油症被害者支援センター2006 年編の『カネミ油症は終わっていない――家族票に見る油 症被害』の中で、油症患者である父親は子どもに影響を与えるケースはいくつかある)。現 在、台湾油症受害者支持協会は未登録被害者の状況を把握するために、調査を行っており、 2018 年の油症会議の中で、1世油症患者である父親の子どもは自動的に2 世と登録される ことを提案する予定である。 一方、台湾における食品安全に関する法律に関しては、「食品安全衛生管理法」及び「公 害紛争処理法」があるが、被害救済に積極的ではない。2015 年から施行されている「油症 患者健康照護服務条例」は医療費免除の規定、人権保護規定と罰則規定及び死亡者へ見舞金 を支払う規定があるが、経済的な補償に関する規定がない。それは、油症被害者及び支援者 が政府の関係部門に救済を要求する運動をしないからであろう。 なお、第3 世代油症患者については、台湾でも、日本でも、具体的な認定基準がない。将
来にわたって追跡調査及び研究が必要だと考えられる。
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