常楽寺 館林 願かけ不動尊

お寺とフライフィッシングと四方山話

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館林側から見たところ
新たに看板設置しました!!うれしい!!!
館林足利線にある木戸中央という常楽寺入り口にあたる信号のそばに設置しました。

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足利側から見たところ
常楽寺は館林足利線から少し入った所にあります。
車の交通量はかなりあります。
でも館林木戸町に足を止める人はほとんどないでしょう。
木戸町に常楽寺という寺が存在することを知る人も少ないわけです。
少しでも多くの方に常楽寺を知っていただきたいということで昨年一つ看板を設置しました。

今回の看板を合わせて二つの看板が館林足利線にたったことになります。
なぜこんな看板を立てるのか?
それはもちろん多くの方にお寺に来てお参りしていただきたいからです。館林には歴史を感じられるスポットがある事を知っていただきたいのです。

常楽寺ってどんな寺なのか?
常楽寺は鎌倉〜江戸期の古仏を多数お祀りしている古刹です。
鎌倉期に創建し近隣18カ寺の中本寺として醍醐三宝院系の慈猛流(じみょうりゅう)という関東一円に栄えた法流(拝み方の流派)を伝える重要な寺でした。本堂も古く歴史を感じていただけるお寺です。

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常楽寺の阿弥陀如来初公開です。身丈1メートルあまりの荘厳なお姿です。
破損しているお厨子(仏龕ぶつがん)には勢至菩薩、観音菩薩が描かれています。
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勢至菩薩
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観音菩薩

しかし正直に言って現在の常楽寺は往時の面影を残すばかりとなっております。満身創痍といっても言い過ぎではありません。

なぜ常楽寺が衰微したのか?

明治の廃仏で本寺末寺の解体により中本寺の寺格を失うとともに(総本山の伝法院流に統一されましたので慈猛流の中本寺としての意味を失いました)寺領(寺の経済基盤)の没収、神事への関与禁止と寺の基盤をことごとく失います。
さらに戦後わずかに残った寺領を農地解放で再び失います。

この辺りのいきさつは一人常楽寺ばかりではありません。
全国のお寺は存亡の危機に直面しました。
持ちこたえられずに廃寺になった寺は数しれません。
現に近所にあったはずの地蔵院という寺は今では何処にあったのかもわからないほどです。役所で記録さえ抹消されたのです。

常楽寺は中本寺であったために栄えたといえます。
しかし様々なものをうしなった今伽藍の維持が困難な状況なのです。
つまり檀家さんの数にたいして伽藍(本堂)が大きすぎるのです。
雨漏りもしています汗
ほっておいたら「昔は大きな本堂があったんだよ」なんてことになるでしょう。
私も檀家さんも非常な危機感をもっております。

常楽寺は歴史的に考えましても、檀家さんのためだけに存在してきたわけではありません。祈祷寺として近隣の多くの方に支えられてきた寺でもあったのです。

今再び多くの方々が気持ちよく参詣していただける寺として再生の道を模索しております。
多くの方に常楽寺を知っていただくなかに生き残っていく道があると
信じています。
先ずは宣伝というわけで看板設置とあいなったわけです。

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常楽寺法流 根本開祖 法印宥尊阿闍梨様
以来四十世の先師尊霊
私が常に楽しいお寺、常楽寺を再生させてみせます。
見守ってください!!!







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廃仏毀釈が無かったらどれだけのすばらしい国宝級の物が残っていたことか、考えると残念で残念で仕方がありません。

今に残されている仏様も昔のお坊様方が命からがらお守りくださったのでしょうね。


お寺の再興頑張ってください!!!!


わたしも目標があり、絶対に成し遂げたいと思っております。

目標があるのはとても楽しいことですね!

2011/2/26(土) 午後 9:47 [ ∞ひなた∞ ]

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歴史は一方向から見ても2Dです。反対側からみればまた違った見解もありますよね。3Dで時代を眺める事ができればと思っています。寺門興隆は人心の復興と一体だと思っています。
私も不勉強ですが今後いろいろな方と交流するなかで復興の道を模索していきたいと思います。
応援してくださるかたがいてとても勇気づけられます。ありがとうございます。

2011/2/26(土) 午後 10:01 [ kanman ]


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