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○道の駅、久米の里 (平成16年7月24日)
後醍醐天皇のことを考えるとはなしに思い出しながら、津山に向かう途中、国道181号線にある道の駅「久米の里」に立ち寄る。寄り道ではなく単なる休憩だ。
ここでは広場に立つZガンダムの身長7mの巨大モビルスーツがひときわ目を引く。アニメの設定の1/3モデルだそうだ。ガンダム世代のお父さんもその子供も、またドライブ途中のカップルもモビルスーツの足元で記念写真を撮っている。知るひとぞ知る有名な写真スポットだ。何故ここにガンダムなのか。ニュータイプではないので知る由もない。
個人的には特産物販売所の仙人館のほうが気になる。特産物や販売所に興味があるわけでなく久米の仙人の話が気にかかるのだ。仙人館の名前はもちろん久米の仙人から付けられている。
昔、厳しい修行の末に飛行術を修めた久米の仙人と呼ばれる人がいた。ある日、空を飛んでいる最中に、川で洗濯をしている若い娘の腿が目に入り、むらむらと欲望がわいたため神通力を失って落ちてしまったという話が今昔物語に記されている。これが久米の仙人の話なのだが、その仙人の落ちたところがこの久米町だと説明してある。しかし一般的には、奈良県近鉄橿原神宮前駅に近い久米寺が舞台とされる。意外な場所に「逸話の本家はここだ」といった話が伝わっているのはなかなか興味深い。
久米という地名は、古代豪族久米氏に因んでいるのだろうか。領地や勢力範囲、一族の移り住んだ地など、全国各地にある。ここも古代久米一族がいたのか。
久米氏は九州の隼人出身とされ、大和時代の最大軍事氏族の一つ大伴氏と深いつながりがある。大和朝廷は吉備の国から中国山地を通って出雲の国を平定したという説があるが、その時の軍事行動との関連はどうだろう。しかし出雲、吉備、美作の地と大伴氏や久米氏との深いつながりを示すものはあまりなさそうだ。もう少し興味が湧けば調べてみたい。
古代久米氏と大伴氏の歌は天皇の兵としての参戦賛美や戦意高揚などに第二次大戦中使われた歴史がある。「撃ちてしやまむ」は有名な久米歌の一節で、「海ゆかば水漬く屍」は大伴家持の歌だ。しかしどちらも少し曲解されているように思われる。
「みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 臭韮(かみら)一本(ひともと) そねが本 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ」
(久米部の者たちの作っている粟畑には、臭気の強いニラが一本生えている。そいつの根と芽と一緒に引き抜くように、数珠繋ぎに敵を捕らえて、撃ち取ってしまうぞ)
これは久米歌の一つ。確かに勇猛果敢な戦士と宣言する面も持っているが、素直に読めばもっと素朴な印象を受ける。酒でも飲みながら宴会を盛り上げつつ景気付けに、我が氏族は勇猛果敢だぞ、と自慢しているような姿が想像されるのだ。
「海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍、大君の辺にこそ死なめ、顧みはせじ。」
これも戦争を知る人たちには良い印象がないだろう。
家持の弁護をすると、必ずしも天皇に尽くすことだけを賛美して歌ったわけではない。
天平21年(749)、東大寺に国家威信で大仏を作り上げたものの、仕上げとして表面に塗る金に困っていた聖武天皇の元に陸奥の国で黄金が出て献上された。天皇は東大寺に行幸して黄金産出を大仏の前に報告したが、越中国司の家持もそれを喜んで「陸奥国より金を出せる詔書を賀(ほ)く」長歌を詠んだ。その長歌の後半部分の一節が問題の「海ゆかば」でお祝いの歌の一部分に過ぎない。ところで、この時の聖武天皇の感激は大変なもので、天平感宝と改元までしている。もっとも、この年の7月2日、聖武天皇は娘の阿倍内親王に譲位し孝謙天皇が新たに即位したため天平勝宝となり一年の間に二度も改元されている。
ガンダムに立ち寄ったせいで久米から大伴氏まで寄り道してしまった。モビルスーツなので軍事氏族の連想に発展してしまったのだろうか。
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