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いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

宍道湖中海巡礼記2006

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掩体壕

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○美保関のかなたへ(3) 掩体壕 (平成18年8月15日)

太平洋戦争の末期になると日本は制空権を完全にアメリカに奪われ度重なる空爆を受けるようになる。
その攻撃から身を守るための防空壕が各地に作られた。爆撃から守るのは人だけではなく貴重となった航空機にも及んだ。
航空機を空爆から守るための防空壕、それが掩体壕。難しい漢字で読めない。「えんたいごう」と読むらしい。

境港(さかいみなと)を後にして県道285号線を米子方面に走ると米子空港にぶつかる。そこで県道47号線に入って空港をぐるっと迂回して南へ回り込む。
片道二車線で交通量も少なく普段は快走する道なのだが、今日はスピードを抑えてゆっくり流す。中海に近くなった畑の中にかまぼこ型のコンクリート製の妙な物置がある。それが掩体壕だ。

全体はかまぼこ型でかまぼこの切り口の部分に凸の形に空間がもうけられている。構造物の上面は草ぼうぼうになっているが、元々上空から見て隠すためなので土が盛られていたらしい。
今では内部の空間は物置になっているが、目的は戦闘機を隠すためだった。

空襲に来る敵機からどうして戦闘機を守らなければならなかったのか。当然、出撃して迎え撃つのが当たり前なのだが、既にそれもままならなくなっていたのだ。

当時は日本のレーダーは性能が劣っていた。情報戦の軽視も日本軍の失敗だったが、ともかくレーダーで何とか敵を捕捉したとする。
その後、師団が出動命令を下すのに約30分、出撃機が高度1万mに達するのに60分で、結局90分近くかかったらしい。ところが、レーダーに捉えられたB29が都市の上空へ出現するのに60分。間に合わない。

その上、B29がやってくる高度1万mに上昇できたとしても日本の戦闘機はその高度では飛んでいるのがやっとという状態だったという。上空の気流が強いとそのまま流されたり一気に高度を失ったりととても戦闘にならなかった。
エンジン開発の遅れから高度1万mという高高度で自由に飛行できる戦闘機は日本にはなかったのだ。アメリカは高度1万mで飛行できれば日本軍からの反撃の手段がないことを前提にB29を開発したとされる。そして、それはその通りだったのだ。

日本軍は迎撃機から座席の操縦士を守る防弾鋼板、燃料タンクに被弾した時に燃料が漏れて引火するのを防ぐための防弾ゴムなどをはずした。さらに銃、機関砲、弾薬も取り払った。とことん軽量化してようやく高度1万mで何とか自由に飛ぶことが出来るようになったという。ただし、空気密度約1/5、気温-40℃、軽量化のため酸素ボンベも簡易酸素発生装置になり、防寒対策もほとんどない。パイロットのへの負担は大きすぎる。

何もかも取り外した迎撃機での攻撃、それは特攻しか残っていない。しかし、空飛ぶ要塞と形容されたB29は多くの機関砲を装備していてほとんど死角がなかった。

そこまでして迎撃しようとするが、悲しいことに既に日本にはその航空機を自由に飛ばせるだけの燃料も残ってなかった。そのために、数少ない貴重な航空機を敵の空爆から守る掩体壕が必要になっていたのだ。

実はここの掩体壕は隠す飛行機がほとんどなく活躍する機会はあまりなかったという。
何ともいいようがないほど悲しい。

現在の米子空港は航空自衛隊美保基地と共用になっているが、太平洋戦争中には海軍の航空基地が置かれていた。そのためここに掩体壕が残っているのだ。
空港の南側の自衛隊敷地内にも掩体壕があるのが金網フェンス越しに見える。

今は農家の物置小屋となっている掩体壕、老朽化して危険となっているのでそろそろ撤去をという話が時々出ている。できれば戦争の語り部として残すのも意味があることだと思う。

直接は美保関事件とは関連がないが、太平洋戦争に関連する施設としてしばらく立ち止まった。


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