|
○伊邪那美命陵と比婆山比定 その5 熊野大社 (平成18年11月5日)
絶好の秋の行楽日和となった三連休の最終日、平成18年11月5日の午後。県道53号大東東出雲線(だいとうひがしいずも)に松江の南から合流し奥に向けて走り熊野大社(くまの)を目指す。平地はまだ紅葉には早いようだ。
熊野神社には八雲温泉の施設が隣にありカラオケ大会真っ最中のようでやけに賑やかだ。
参道を進み正面から参拝する。数年ぶりだ。大きな鳥居を抜けて意宇川(いう)にかかる朱の欄干の橋を渡ると拝殿が見えてくる。
社叢に囲まれ厳かな雰囲気の中静かに社殿が建っている。もちろん本殿は大きく風格のある大社造。
熊野といえば蟻の熊野詣で知られる南紀の熊野三山が有名だ。全国にある熊野神社はその熊野詣が盛んになったことで広まったものが多いのだが、ここは少し違う。出雲国風土記に既に熊野という地名と社が記されているのだ。紀州の熊野から勧請したわけではないようだ。
記紀では紀州熊野と出雲は両方とも黄泉の国とみなされているようだが、熊野の名にも両者の関連がうかがわれる。
古代大和朝廷が全国支配をするための制度が国造なのは教科書にも書かれている。地方の有力豪族を国造として任命して朝廷の支配下に置き、その地の反発を和らげつつ中央集権を実現しようとした。
国造は通常「くにのみやつこ」と読むが、出雲国造家の場合は「こくぞう」と呼び、地元では「こくそう」と濁らずに呼ぶらしい。
出雲国造は、国譲りで派遣された天穂日尊(あめのほひ)を祖先とする伝承を持ち出雲地方の政治と祭祀を支配していた。
出雲国造家は代が替わりるごとに都へ出向き出雲国造神賀詞(かむよごと)などを天皇に奏上していたとされる。さらに大化の改新以後は律令制の確立と共に国造制が徐々に廃止されるにも関わらず出雲国造家はその後も祭祀を管理し続け現在まで続いている。
「こくそう」の呼び方だけでなく他の国造とは明らかに一線を隔した扱いを受けているようだ。これは古代出雲を大和朝廷が手厚く扱っていたことを示すものとされる。
出雲国一の宮は出雲大社だ。しかし、実は古くはここ熊野大社が一の宮とされた。出雲国造家は本来この熊野大社の祭祀を取り仕切り出雲国府跡を含む意宇郡に勢力を持つ氏族だったと考えられている。
それが何故か後に杵築大社(きづき)、いわゆる出雲大社へ本拠地を移してしまう。
しかし、出雲国造家は熊野大社を捨てたわけではない。
鑚火祭(さんかさい)という有名な行事がある。出雲国造家が行う新嘗祭(にいなめさい)で、そのときの食事の調理に使われる神聖な火を熾す臼と杵、つまり火起し器をこの熊野大社から受けるのだ。
出雲大社から神職が火鑚(ひきり)の臼と杵を借りる代償として巨大な餅を持ってきて納めようとすると熊野大社側の亀太夫と呼ばれる神職が餅の出来が悪いと難癖を付ける。もちろん最後には亀太夫は承知して餅を受け取り、出雲大社からの使者はかわりに火鑚の臼と杵を受け取るという神事だ。
この時、熊野大社の亀太夫は一方的に出雲大社からの使者に文句を言い出雲大社の神職はひたすら承るという体裁をとる。明らかに熊野大社が優位に立っている。これは出雲国造の本拠地が熊野大社だったことと無関係ではないだろう。
本殿に向かって左に鑚火祭の舞台となる鑚火殿がある。茅葺で小さな伊勢神宮のような印象を受ける建物だ。そう思うのは出雲には切妻平入の社が少ないことも影響しているのだろう。実際の神事がどの様に行われるのかは知らない。
本殿の主祭神は「加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)と称える素戔嗚尊(すさのをのみこと)」。長すぎる。要するに櫛御気野命という別名で呼ばれる素戔嗚尊ということだ。
しかし、出雲国風土記では熊野大神とされ、出雲国造神賀詞では熊野大神である櫛御気野命とされる。これから本来は熊野大神と呼ばれていたことがわかる。多分それが後に穀物神、農業神と結びつき櫛御気野命とされたようだ。
櫛御気野命とは「奇(く)し御饌(みけ)」なのは間違いない。御饌というのは神饌、神様に捧げる食事のことだ。この名前は鑚火祭とも関連するのがわかる。
風土記にも神賀詞にも、どちらも熊野大神は伊邪那岐命(いざなぎ)の御子であるとはっきり述べられている。そのため記紀の影響下に素戔嗚尊と同一神とされるようになったと考えられる。素戔嗚尊は伊邪那岐命が伊邪那美命(いざなみ)を訪ねて黄泉から帰ったときに禊で生まれた。つまり伊邪那岐命の御子とされるからだ。
現在、一般的には熊野大社の祭神は素戔嗚尊とされるが、それはかなり時代が下ってからということのようだ。
本殿の鑚火殿の反対側には奇稲田媛命(くしなだひめ)を祀る稲田神社、稲荷神社などの末社もある。奇稲田媛命は素戔嗚尊の后神なので祀られて当然だが、奇稲田媛命も「奇し稲田」で穀物神なことと無関係ではないと思う。
ちなみに「奇(く)し」というのは、霊妙なとか神聖で通常ではないもの、珍しく有難いものといったことを意味する。
出雲国造家と古代出雲、さらに祭神など熊野大社にはまだまだ沢山の気になる点はあるのだがきりがない。熊野大社は古代出雲の謎と密接に結びついている。出雲大社も謎だらけだが、むしろ出雲大社より熊野退社のほうが奥が深そうだ。熊野大社を解明できれば古代出雲の全容が見えてくるような気がしてならないが相手が大きすぎる。しかも、今日の目的は少し違う。
本殿に向かって左の奥に摂社がある。伊邪那美神社。以前は気にもしなかったので全く目にとまっていなかった。ここには多分伊邪那美命も祀ってあるはずだと予想していたが、やはりあった
古事記では伊邪那美命は出雲と伯耆の間の比婆山に、日本書紀では紀伊国熊野の有馬村に葬られたことになっている。そのため比婆山、熊野、伊邪那美命、この組み合わせは頻繁に見られる。特に、熊野の名前の付くところには必ずといってよいほど伊邪那美命に関連するものがあるのだ。
出雲の熊野と伊邪那美命、これが今回の興味の中心だ。これは一体何を意味するのか。
|
隣の安来市に伊邪那美命の御神陵があるためスサノオは熊野大社に祀られているのはなんとなく分かります。
2008/3/16(日) 午後 11:06 [ 鉄鍛人 ]