同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

宍道湖中海巡礼記2006

[ リスト ]

熊野大社上宮旧社地

イメージ 1

○伊邪那美命陵と比婆山比定 その5 熊野大社上宮旧社地 (平成18年11月5日)

熊野大社は県道53号大東東出雲線(だいとうひがしいずも)に沿う意宇川(いう)の流れる谷間にある。神社の南東側に天狗山という山がある。古くは熊野山と呼ばれ熊野大社はその山の頂に祀られたのが起源だとされる。

正確な時期は不明だが山上にあった熊野大社は中世には里に降って上宮と下宮の二社の形をとっていたとされる。そして1881年に両宮が下の宮に合祀された。それが現在の熊野大社だそうだ。古い由緒のわりには今の姿になったのは明治のことだったのだ。

享保2年(1717)に松江藩で編纂された雲陽誌という出雲の地誌によると、速玉、事解男、伊弉冉(伊邪那美命)三神が上の社、天照大神、素戔嗚尊、五男三女が下の社に祀られているとあるらしい。そして上宮は熊野権現(熊野三社)、下宮は伊勢宮と呼ばれていたとのことだ。
もっと詳しく知りたいのだが雲陽誌が手元にないので仕方がない。もっとも、あったところで読めないので同じなのだが。

上下の二社ある場合、本来の社は上宮であることがほとんどだ。そしてどうやら上宮が伊邪那美命(いざなみ)と関連していたらしいと知った。当然、上宮を訪ねなければ。しかし、事前に調べたが正確な位置は分らなかった。
ともかく今の熊野大社の前を流れる意宇川の上流500mほどのところに上宮があったらしいので探す。
川沿いの県道を登ってゆくが何の案内もない。距離的に通り過ぎたと思われるところでバック。川向こうに大きな杉がこんもりとしているあたりがどうやらそうらしい。少し下流で川を渡り見当をつけたあたりへ細い道を入って行くと確かにそうだった。集落から離れている。

古い社叢に囲まれ落ち葉に覆われた空き地がある。参道らしきものも残っている。
山を背後にして石段を組んで一段と高くなった平地があり、そこに旧社を示す石柱が立っている。

中央が伊邪那美神社跡。向かってその左に事解男神社、向かって右には速玉神社、五所社、八所社とある。
ひっそりと静まり返った神社跡は紀州熊野の熊野三山の中心、熊野本宮大社の旧社地、大斎原(おおゆのはら)を思い出す。熊野という名前のせいで一層そう思わせるようだ。社殿が横に並んでいる形式も熊野本宮と似ている。一棟になっていたのか全く別々の建物だったのかはもちろんわからないが。

伊邪那美神社、事解男神社、速玉神社の三社に摂社が二社という構成だったようだ。速玉之男神、事解之男神、伊邪那美命の三神が上の社に祀られているという記載と合致する。そして、その社殿配置から中央の伊邪那美命神社が主祭神と考えられる。

ここは伊邪那美命が祀られた社だったのだ。
そうすると元々鎮座していた熊野山は伊邪那美命陵なのか。熊野山は実は比婆山なのか。
これは可能性があるかも知れないと一人で納得する。

実は祭神に関してはそんなに単純ではないことは直ぐに気がつく。
勝手に仮説をたてて自分で自説に疑問を投げかけるという。完全に一人相撲だ。

紀州熊野三山というのは熊野本宮大社(ほんぐう)、熊野速玉大社(はやたま)、熊野那智大社(なち)を指すのは説明するまでもない。
祭神は異説も多く神仏習合が院政期に進み仏教思想も混在して大変複雑だ。しかも非常に多くの神が祀られている。正直、理解できてない。本宮は家都御子神(けつみこ)、速玉大社は熊野速玉神(はやたま)、那智大社は熊野夫須美神(ふすみ)を主祭神として、この三神を熊野三所権現と呼びその総称を熊野大神とも称する。この熊野三所権現は熊野三山の全てで主祭神と同等に祀られている。そのほか熊野十二所権現と呼ばれる多くの神々も同時に祀られている。

このうち家都御子神は素戔嗚尊(すさのお)のこととされる。
御饌を供したり食物を司る神を総称して御食神、御饌津神(みけつかみ)と呼んだりする。よく知られるのは伊勢神宮の内宮(ないくう)に祭られる天照大神(あまてらす)の神饌を供する伊勢外宮(げくう)の豊受大神(とようけのおおかみ)や稲荷神などだ。
また神饌を奉る地域を御食国(みけつくに)と呼んだりする。
つまり「みけつ」の「け」は「饌」のこと、つまり神饌を表す。「み」は尊称で「つ」は「何々の」という意味なので、家都御子神は「饌の御子」ということだろう。
家都御子神が御饌津神であることがわかる。

出雲熊野大社の櫛御気野命(くしみけぬ)も「みけ」つまり「御饌(みけ)」の神で御饌津神だ。そこから家都御子神は櫛御気野命と同じに考えられたようだ。読み方も似ている。さらに櫛御気野命は素戔嗚尊と同一神とされることから、紀州熊野の家都御子神も素戔嗚尊とされるようになったと考えられている。

また、熊野速玉神は伊邪那岐命(いざなぎ)、熊野夫須美神は伊邪那美命ともされる。しかし、これも後から出てきた説だ。
熊野速玉神はたぶん速玉之神(はやたま)だろう。日本書紀では伊邪那岐命が伊邪那美命に会いに黄泉を訪問した時に縁切りの誓いの言葉とともに吐いた唾から生まれたとされる。
熊野夫須美神は牟須美(むすび)ともされて「むすび(むすひ)」は生まれ出るというような生成の意味で、植物の発生から穀物神を現すのではないかともされている。

祭神の詳細はともかく、熊野三所権現は「家都御子神、熊野速玉神、熊野夫須美神」あるいは「素戔嗚尊、伊邪那岐命、伊邪那美命」ということになるが、ここでは「速玉之男神、事解之男神、伊邪那美命」となっていて対応してない。
しかも、紀州熊野三山の一番の基本は家都御子神ではないかとされているが、ここでは伊邪那美命が中央に位置する。
ちなみに事解男とは事解之男(ことわけのお)で、日本書紀では速玉之神が生まれた後に祓った神だ。紀州熊野では十二所権現の一柱とされる。

紀州熊野三山の祭神や出雲熊野大社の祭神など興味が尽きない。

実は、熊野大社の里宮は元来は下宮で上宮は紀州熊野が全国的に広がるのにあわせてここへ勧請されたものだととも伝わっている。そうすると、ここの熊野大社は紀州熊野と全く関係がなくなってしまう。調べれば調べるほど謎は深まってゆくようだ。
もっとも、元宮が里に下りたときに上宮でなく下宮になるというのは納得しにくいが。

とりあえず今回は熊野山の麓に伊邪那美神社というそのものずばりの社があったことで十分満足だ。

閉じる コメント(6)

顔アイコン

出雲王だとも言われるイザナミの神陵地は色々とありますが、八雲町の隣の安来市のものが気になります。安来は鋼も有名ですがなにか鉄に関連する神話がありそうな気がします。

2008/10/25(土) 午後 7:32 [ 山陰観光ファン ]

顔アイコン

出雲には伊邪那美命とされる陵が本当にたくさんあります。その、それぞれに結構興味をそそられてしまいます。
鉄の伝説も継続中ですので、よろしければどうぞ。

2008/10/25(土) 午後 9:59 同行二輪

顔アイコン

そうですね。この安来という名前はスサノオノミコトが命名したと出雲国風土記には書いてあります。山陰、中海一帯は、多くの神話がありそうですね。

2009/5/25(月) 午後 0:07 [ 考古学ファン ]

顔アイコン

雲伯っていい言葉ですね。山陰は白けますね。

2010/11/8(月) 午後 10:36 [ 語部 ]

顔アイコン

古事記にも記された、「故、神避りし伊邪那美の神は出雲国と伯耆国の堺、比婆の山に葬しまつりき。」とは本社のイザナミの神陵のことである。すなわち、安来というところは根之堅洲国であり、その西方にはイザナギ神とイザナミ神が別れた黄泉平坂があり揖夜神社というこれもまたイザナミ神を祀っている。神話的にはこのように、スサノオ神が支配していた拠点とも考えられ、考古学的にも古墳時代以前に作られた弥生大型墳丘墓の一つ四隅突出墳丘墓の発掘数が全国一集中し、当時近畿では使われていなかった鉄器も北部九州に準ずる発掘が成されている地域でもある。

2011/10/23(日) 午後 1:14 [ 無敵鋼人 ]

顔アイコン

いいですね。鳥取の白兎海岸でオオクニヌシは白ウサギを助け、南部町の赤猪岩神社で八十神にいじめられ、島根県安来市の須賀神社あたりでスサノオの試練を受けて、松江市の黄泉比良坂をぬけて出雲大社に至ったと古事記では描かれています。そのルートを来年はたどってみたいなと思います。

2011/12/17(土) 午後 6:49 [ 山陰旅行ロマン人 ]


.
同行二輪
同行二輪
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事