同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

中国観音霊場(第6回)

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大内氏遺跡

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○大内氏遺跡 (平成18年8月5日)

観光歴史探訪で山口県といえばやはり高杉晋作に代表される幕末維新の時代だろう。しかし、その主な舞台は長府と萩で山口市内には維新関連の史跡は少ない。山口市は毛利氏支配となる前の大内氏の都だからだ。維新の主役である長州は有名で目立つが、その前の大内氏の陰は薄い。

大内氏は南北朝時代の弘世(ひろよ)の代に周防(すおう)の守護として頭角を現す。長門(ながと)、石見(いわみ)、安芸(あき)を支配下に治めさらに九州へと勢力を伸ばした。本拠を山口に移し京都の街に倣って都市整備が進められる。息子の義弘(よしひろ)は朝鮮貿易などでさらに国力を伸ばすが将軍足利義満(よしみつ)との争いで敗死した後、大内氏は一時衰退する。しかし、戦国時代に入り当時の中国の明にまで伸ばした海外貿易でつけた経済力も背景にして有力大名として大きく成長する。
歴代大内氏が文治的、貴族的、懐古的趣味の大名だったことから、山口は文化都市として繁栄していった。特に応仁の乱の後は荒れた京都を避けて多くの文化人が移ってくるようになり雅な京風の大内文化を発展させることになる。雪舟(せっしゅう)や連歌師の宗祇(そうぎ)などは山口へ移ってきた代表だ。彼らゆかりの雪舟庭園や宗祇水などが県下にある。
15世紀から16世紀前半の義興(よしおき)、義隆(よしたか)のころ大内文化は最盛期となって京都と並ぶ文化都市という意味で山口は「西の京」と呼ばれるようになる。
以上は今回勉強した内容そのまま。大内氏と西の京という言葉くらいしか知らなかったので少し学習してみた。主な趣味が古代史なので源平の合戦以後の歴史は非常に弱いからだ。
詳しいことはともかく、この本州の西の端に京文化を継承する絢爛な都市があったということだ。その名残が瑠璃光寺の五重塔であり、大内塗り、大内人形などの工芸品だ。

洞春寺(とうしゅんじ)まで戻り国道9号へ出て横切るとすぐに八坂神社(やさか)がある。そして、一帯にある八坂神社、築山神社(つきやま)、築山跡、龍福寺(りゅうふくじ)、大内氏館跡などが大内氏遺跡として指定してある。西の京の中心地であった場所だ。
八坂神社はもちろん大内氏が京都から勧請した。ここの祭りが鷺の舞(さぎ)で有名な山口祇園祭だそうだ。京都の八坂神社は明治以降の名前で、それまで祇園感神院(かんじいん)や祇園社と呼ばれていたのが神仏分離令で改められたものなので、多分ここも祇園社と呼ばれていたに違いない。
本殿は三間社流造で国の重文らしい。最近出雲文化圏の神社を多く見慣れているので大社造でない大きな本殿が少し新鮮だ。
隣には足場を組んで屋根を修復中でシートのかけてある神社が寂しげに建っている。築山神社とある。
ここら八坂神社一帯は築山跡と呼ばれる場所で大内氏の別邸で賓客を迎えるのに使われたとされる築山館の跡らしい。築山神社の由来は書かれてないが築山館跡にちなんでつけられた名前だろうから、かなり時代が下ってからのものと思う。八坂神社も江戸時代に毛利がこの地へ移したという。
築山館跡で今日目に出来るのはこの二つの神社だけで当時の面影を偲ばせるものは他に何もない。

山口の市街は区画されている。このあたのは路地は狭いが格子状に配置されている。西の京と呼ばれた時代から街路は大きく変わっていないのかもしれない。当時を今に伝えるのはこの直行する路地だけなのか。

八坂神社の少し南に大内館跡がある。大内氏が政務を摂った地だ。百間四方の堀と土塁に囲まれていたという。大内氏滅亡の後、毛利氏が菩提を弔うため建立した龍福寺が建っている。本堂は現在覆屋に覆われて修復中だ。平日なら修復中の作業現場の見学ができるらしいが生憎と今日は土曜日。修理もお休みで作業員もいない。隣の庫裏で何か拝観できるのかも知れないが何となく近寄りがたくあきらめる。

石畳、左右の刈り込み、両脇の木々など参道からの趣はとてもいいのだが、庭が少々手狭で植木が密集しすぎている感じがある。
夕暮れが近づくためか、人影がないためか、庭に華やかさが欠けるためか、それとも先ほどの築山跡が寂しかったからか、「つわものどもがゆめのあと」の句が心に浮かぶ。感傷的になるのは栄華を極め敗れ去っていった大内氏の遺構だと知っているからなのだろうか。

大内館の発掘調査や復元計画があり少しずつ進められているようだが、お寺の墓地が広くて調査はどうにもなりそうにない。まさか墓地を掘り起こして発掘するわけにはいかないだろう。
寺に接して墓地の隅に枯山水庭園が復元してあるが狭すぎる。大内館にあった庭のごく一部なのはわかるがこんなに狭くしか復元できないのなら説明板だけで済ませてもいいような気がする。かえって侘しい。

大内氏の栄光の跡を見学して本日の宿のある湯田温泉へ向かう。湯田温泉は山口を代表する温泉だが山口市街の西にあり、一般市街地の続きようであまり情緒はない。

途中でGSに寄り給油したのはいいが、タンクバッグを道のど真ん中に落としてしまった。給油のためにタンクバッグをはずして後ろの荷物の上に乗せてたまま、もとに戻さずに走り出してしまったのだ。道路に出て走り始めたところで後ろで「ドスッ」という鈍い音がした。そして、バックミラーに落ちたバッグが。あやうく後続の車にバッグを轢かれるところだった。
さらに少し左へ傾いた道端に停めたバイクが引き起こせなくて苦労する。相当疲れている。
何とか無事にプラザホテル寿へ到着。

夕食は近くのファミレスでとる。相変わらず食事にはこだわりがないのでこんなものだ。そしてゆっくり温泉につかって疲れを癒す。やはり、何はなくとも旅には大きなお風呂があるとうれしい。本日370km走破。


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