同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

中国観音霊場(第7回)

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松陰神社

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○松陰神社 (平成18年8月27日)

萩市内を抜けるため国道191号線を走っていると松下村塾(しょうかそんじゅく)、松陰神社(しょういん)の案内板が目についた。
今日はこれから一般道を延々と走る予定なのであまり道草を食っている時間はない。それに初めての場所でもない。そのまま通過しようと思ったのだが国道から近すぎる。立ち寄るという誘惑に勝てず思わず入ってしまう。

さすがに指月公園(しづき)と並ぶ萩の観光名所。駐車場は自家用車の他に観光バスも一杯だ。ちらほらとツーリングライダーの姿も見られる。

境内を散策するが正直記憶の中の印象とずいぶん違う。もっと人が少なく閑静な境内に落ち着いた社殿が建っていた気がしていた。しかし、実際は多くの観光客の訪れる新しい観光施設といった感じだ。

よく考えればこれだけ有名な観光名所が閑散としているはずがない。神社も明治以後に建てられたものなので古い社叢などあるはずもない。
新しい本殿は特徴に乏しく古社寺趣味にとっては魅力にかける。昭和の再建らしい。綺麗に整備されているのだが歴史の重みの感じられないのは明治神宮など新しい神社の特徴ともいえる。

祀られているのは当然のこと吉田松陰(よしだしょういん)。
松陰といえば幕末に主宰していた松下村塾で多くの藩士に影響を与えた。その中から木戸孝允(きどこういん)、高杉晋作(しんさく)、久坂玄瑞(くさかげんずい)、伊藤博文、山県有朋(ありとも)など倒幕維新を推し進めた指導者が多く排出されていることで知られる。
間違いなく明治維新の功労者の一人なのだが、個人的にはそれほど好きな偉人ではない。単なる好みの問題に過ぎないが。

松陰は21歳で藩校の教授となるなど秀才だったようだが行動には多少疑問が残る。
嘉永6(1853)年6月、ペリーが浦賀に来航する。その黒船を見て幕藩体制が長くないと悟り海外の実情を知りたいと渡航を思い立つ。また、これからの国家のあり方などのを思索するようになるのなど頭の回転は鋭い。しかし、やることといったら無茶苦茶としか思えない。
まず長崎来航中のロシア艦に乗り込もうとしたが失敗。その後、日米和親条約締結で再びやって来たペリーの船に密航しようとして拒否され、しかも密航を自首して捕まる。
そして幕府が朝廷の許可なく日米修好通商条約を結ぶとこれに抗議、挙句は老中の間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を企てる。
結局、危険思想の持ち主ということで投獄され、安政の大獄で死罪になる。

やってる事を見ると秀才に良くありがちな理想論での猪突猛進のような気がしてならない。老中暗殺計画などはその典型で「誰もやらねば俺がやる。」「俺がやれば後には皆がついて来る。」といった独りよがりの思い込みがあったとしか考えられない。
思想としては過激で泰平の世なら自滅するタイプの人物だ。しかし、時代は幕末動乱期であり血気盛んな理想に燃える若者たちのカリスマになったといったところか。皮肉すぎる見方かも知れないがそんな風にしか思えないのだ。

敷地内に松下村塾が移築されてある。松陰幽囚の旧宅やゆかりの品の展示館などもあり神社というより史跡公園といった様相を呈している。
ここが良くも悪くも萩の一大観光地であることは確かだ。

見たいものがそれほどなく、心配したほど道草できなかったため時間を意外に消費することなく出発。


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