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○第二十五番、浮浪山、一乗院、鰐淵寺 (平成18年10月15日)
昼食中に今回は出雲大社へは寄らないことに決めたので国道431号線に出たあと平田(ひらた)へ向い進路を東へ取る。平田の市街地手前で県道250号鰐淵寺線に入り島根半島を北へ横断して日本海へ出る。それから案内にしたがって再び島根半島の山の中へ入って行く。
道が少し狭まる。島根半島は日本海に面した北側はリアス式の海岸となっているため平地がほとんどなく海の近くまで山が迫る。そのため海から少し離れただけで急に深い谷に入り込んだような地形となる。
久しぶりだが道路事情は変わっていない。道幅は広くないがすれ違いが困難というほどではないので交通量がほとんどな今の時期は大丈夫だ。鰐淵寺(がくえんじ)は紅葉の名所として名高い。まだ色付いてもいないので人影もまばらだ。あと数週間後には大変な人出となる。シーズンには交通規制がしかれるはずだ。
川が道に沿って門前まで続く。苔むした岩が転がったり岩床を渓流が流れたりと小さな渓谷になっている。駐車場は伽藍まで少々遠い。森林浴など楽しみながら歩くものだが、人の姿もないことなので、仁王門まで進んで道端に停めさせてもらった。本当は駐車場ではないので駄目なのだろうだが。
海から3kmほどしか離れていないとは思えないほど山深く感じられる。中国自然歩道へ続く山道が脇にある。ここは出雲大社と山を隔てた場所に位置するため山を越えてゆけば出雲大社の方へ出られる。鰐淵寺が出雲大社の別当寺だったときは大社へ行く僧も参拝者も山道を歩いただろう。現在は鰐淵寺と出雲大社を結ぶ交通は今日走ってきた道しかないが、山を越えるのが最も近いのだ。
紅葉の名所だけあって境内には紅葉の巨木が多い。石段の続く参道には両側から伸びた紅葉の枝が天を覆っている。
境内に点在する石垣は昔の塔頭(たっちゅう)や僧坊の跡で往時の隆盛をうかがわせる。
平安末期の俗謡、いわゆる流行歌を集めた梁塵秘抄(りょうじんひしょう)に
「聖の住所はどこどこぞ、箕面よ勝尾よ、播磨なる書写の山、出雲の鰐淵や日の御崎、南は熊野の那智とかや。」
とある。出雲の鰐淵というのが鰐淵寺のことだ。今は伽藍もわずかになって寂れた田舎寺院のようになっているが当時は都にまで知れ渡る程の有数な寺だったことが知れる。
余談だが、この歌からは、神と仏、神社と寺院が同列に述べられていて、古来は神仏混肴が普通だったことがわかる。また、日御碕神社(ひのみさき)はあるが出雲大社はない。当時は鰐淵寺は出雲大社の別当寺で出雲大社も含めた寺だと考えられていたことが察せられる。
ゆっくり長い石段を登ってゆくと正面が本堂だ。根本堂と呼ばれる本堂は立派な建物だ。基本は素木なのだが組み物より上の、升や肘木、地垂木(ぢだるき)と飛檐垂木(ひえんだるき)、さらに破風(はふ)などは朱塗りになっている。
参道を登って行くと石段の上に本堂の巨大な入母屋の屋根と唐破風向拝が紅葉の繁った枝と重なって姿を現わしてくるのだが、それはちょうど建物の上部の朱塗りの部分とのコントラストでとても美しく映える。視覚効果をあらかじめ考えて建ててあるかのようだ。
本堂に向かって右にはいわゆる弁慶(べんけい)の鐘で有名な鐘楼堂。弁慶が伯耆(ほうき)の大山寺(だいせんじ)から奪って一夜で運んできたという伝説がある。今の鐘は新しいものに代わっている。
平田や松江周辺には何故か弁慶伝説が多い。弁慶の生誕地や母の墓なども伝わっている。ただ一般的には全く無名で地元でも知る人ぞ知る状態だ。その中で少し知名度があるのがこの釣鐘の話だ。
釣鐘を運ぶのはいくら怪力でも一夜では無理だろう。両寺の間は直線距離でも80kmはある。ただ歩くだけでも大変だ。
本堂向かって左は建物の跡の空き地で、さらにその左には神社が建っている。寺と別経営ではないようなので神仏混肴そのままだ。さらに奥には稲荷神社もある。
神社は大社造で摩陀多羅神社(またら)とある。普通は摩多羅神と書かれる。踊る童子を二人連れた狩衣(かりぎぬ)姿に描かれる神で主に天台宗で阿弥陀堂(あみだどう)の守護神とされる。出自は不明だが典型的な神仏習合の神だ。単独で摩多羅神を祀る神社は珍しい。
出雲大社の裏に祀られていたのを明治に移したものらしい。出雲大社と鰐淵寺との強い関係がうかがわれる。寺が引き取ったのだろう。明治政府は神仏分離の時に摩多羅神を神道系の神とは認めなかったわけだ。
摩多羅神は大黒天や素盞嗚尊(すさのお)とみなされることもる。大黒天はその「だいこく」という読みから大国主命(おおくにぬし)とされた。出雲大社の祭神は大国主命なのでその関係で祀られたのか。また祭神が素盞嗚尊とされたこともあったのでその時期に祀られたのか。いずれにせよ鰐淵寺の支配下の時に出雲大社の本地のような位置付けだったのではないだろうか。
実は拝殿に見える建物は常行堂で、その後ろが摩陀多羅神社とも知った。常行堂とは阿弥陀如来を安置し念じて修法を行うお堂のことだ。天台宗では摩多羅神は阿弥陀如来の化身とされて一緒に祀ることがあるらしい。それで常行堂の後ろに移築したのだろうか。なかなか複雑な歴史がありそうだ。
他であまり眼にしないものとして石段を登りきった根本堂正面の石灯籠の形も珍しい。
屋根の四方を唐破風にしてその上に相輪(そうりん)を乗せる。とても凝った作りだ。
さらに、おやっと思うのは亀の上に灯篭が乗っていることだ。墓石が亀の上に乗っていることがあるが灯篭では初めて眼にした。
この亀は今まで知らなかったが亀趺(きふ)というものらしい。正確には亀型の台座を亀趺と呼ぶので亀の呼び名ではない。亀に見えるが牙があったりして本当は亀ではなく贔屓(ひいき)という中国の空想上の霊獣だという。贔屓は龍の子供で死者の霊を守るとされることから墓石の台座に使われるようだ。
贔屓というのは「彼をを贔屓にする。」などと使われるあの「ひいき」で、亀趺として下から支えることから来ていると知ってまた驚いた。
境内への道とは別に、寺の発祥であり奥の院とされる浮浪滝(ふろうたき)への鬱蒼とした小道が続いているのが見える。滝の裏の岩窟に不動堂と呼ばれるお堂がはまり込んだように建てられていて水量は少ないが滝はそのお堂の前を今日も落ちているはずだ。
「はずだ。」と、いうのは以前そうだったからで今回は確認してない。山道を10分あまり歩いて登らなければならないので遠慮させてもらったのだ。
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2008/5/6(火) 午後 4:23 [ ゆかりん ]
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2008/5/7(水) 午前 1:41 [ ムーミンパパ ]