同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

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後醍醐天皇にまつわる史蹟 その4

箆津海岸 (平成19年10月13日)

逢坂八幡、木ノ根神社、お船頭山のある交叉点から、国道9号線を更に東へ5-6km。赤碕の町の手前の直線道路のところが箆津(のつ)だ。

山側には田圃が広がる。反対の海側にも別に観光ポイントとなるようのあ場所も目に付かない。しかし、敢えて大きな酒造工場の横の小道を海岸に向かって入る。

海岸へ出ると砂浜が広がり風が強い。
眼前には、荒れていると言う程ではないが白波が目立つ日本海が広がり、何もない殺風景な浜に波が寄せては返す。見渡す限り民家もなく、荒涼とした印象を受ける浜辺だ。

ここからも空気が澄んでいれば当然、隠岐島(おきのしま)が見える。
後醍醐天皇(ごだいご)が隠岐を脱出して伯耆国(ほうき)、今の鳥取県西部の海岸に着いたことは歴史的な事実だが、何処から上陸したのかは諸説ある。要するに分かってないのだが、一番有名なのは、名和の御来屋(2005年、後醍醐天皇にまつわる史蹟1、後醍醐天皇腰掛石)。そして、逢坂もそれなりに知られている(2005年、後醍醐天皇にまつわる史蹟1、隠岐の神塚)。実は、ここ箆津海岸も候補地の一つなのだ。
しかし、前の二ヶ所と違って、ここはほとんど知られていない。記念碑らしきものもないようだ。少なくとも調べた範囲ではそうだった。そして、こうして浜に来てあたりを眺めるのだが、やはり、後醍醐天皇を連想させるような物は何もない。

決死の思いで隠岐を逃げてきた天皇の一団が、堂々と港に入ったとは思えない。難民の違法入国と同じなので、船を付けるのは人里から離れた場所が良い。自然の磯は船を着岸し難いので浜を選びたいところだ(2005年、後醍醐天皇にまつわる史蹟1、隠岐の神塚)。
そんなことを考えていた天皇と側近には箆津の浜辺はぴったりの場所と言えるだろう。

浜の西向こうは崖になって連なっている。台地の上には戦国時代には城があったらしい。箆津城址と言われるものだ。後醍醐天皇の時代にはなかったので、安心して上陸できる。
更に、近くには弥生時代の遺跡などもあるらしいが、場所は未確認だ。
人影はなく寂しい浜だが、昔から少し行けば集落があったということだ。
無事に伯耆国に上陸したあと様子を窺いに行ったのだろうか。


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