同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

出雲國神仏霊場(第1回)

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「火」 第十五番 熊野大社
八重垣神社(やえがき)から国道432号線に戻り南へ走る。国道を2-3km進み県道53号大東東出雲線(だいとうひがしいずも)へ入って意宇川(いう)沿いを溯りしばらくすると熊野大社に到着する。
 
相変わらずここまで市街地を離れると一気に田舎になり喧騒とは無縁となる。神橋を渡って境内に進むと、ひっそりと静かに熊野大社は立っている。
 
今までに何度も訪れていて、2年程前にも上宮旧社地や本宮遥拝所などを含めてじっくり回ったので、今回はここで何か特別に考えることはない。
さすがに、どこでも立ち寄るたびに下らない空想や想像が浮かぶわけではないのだ。
 
ゆっくりと正面拝殿に進んで行き参拝を済ませる。出雲国、旧一宮だけに堂々とした立派な大社造の社殿だ。少し立派過ぎて、塀で囲まれているため本殿に近づけないのが惜しい。いつものように隙間に顔を近づけて本殿の様子を窺う。
 
境内の左手に華麗な本殿とは対照的なかなり地味な社が建っている。屋根は茅葺で四方の壁は桧皮(ひわだ)で、一見すると古代遺跡の住居を復元したのかと錯覚しそうな建物だ。切妻平入で棟持柱が建物の外側にある、いわゆる神明造(しんめいつくり)になっている。
それが鑚火殿(さんかでん)で、この霊場のシンボル文字「火」の元になっている。
 
イメージ 1
 
出雲大社は出雲国造家(いずもこくそう)と呼ばる家系が祭祀を取り仕切っている。その国造家は、最初、ここ熊野大社を本拠地としていて、後に出雲の杵築(きづき)へ出たとされる。そのため今でもここは国造家が神職を務めるはずだ。
 
国造家は天穂日尊(あめのほひ)を先祖として、天皇家と同等かあるいはもっと古いと称する歴史を持つ。それが事実かどうかは別にして、古来より続く氏族であることは間違いなく、祭祀儀式も古代の様式を引き継いでいるとされる。いわゆる各地にあった国造とは少し性格が異なるようだ。
 
そして、国造家にとって最も重要な儀式である、火継式(ひつぎ)の舞台がここだ。火継式とは国造の代替わり、つまり継承式として行なわれる。
儀式の詳細は必ずしも明らかではないが、鑚火殿に納められている、火鑚臼(ひきりうす)と火鑚杵(ひきりぎね)で、火を熾すことが大切な要素になっている。
火鑚臼と火鑚杵というのは古代の発火道具だ。類似のものは遺跡からも出土するので、一般的な発火道具だったと思われる。
使用法は小学校などで古代の生活などという社会科の勉強で見たことがあるはずだ。
少し穴を掘った木の板に直径2cm程の棒状の木を立てて強く押し付けながら両手で棒を揉むようにして錐揉みに回す。これを根気よく続けると摩擦熱でそのうち発火するのだ。この作業は火をきりだすと呼ばれる。
もちろん穴と棒の近くに着火しやすい火種を置く必要がある。火鑚臼や火鑚杵自体がいきなり燃え出す訳ではない。この点は勘違いしている人が非常に多い気がする。
 
きり出された火は聖なる火、つまり浄火であり、それで調理された食物を神に捧げ自らも食すことで神職の資格を得て後継者となる儀式だ。祖先神、天穂日尊の霊力をも受ける意味もあるとされる。
継承式の他に、新嘗祭(にいなめ)では出雲大社で神事に用いられる火をきり出すために、火鑚臼と火鑚杵が送り出される鑚火祭という神事が行なわれる。火継式と内容的には同様の儀式だ。
火継式と鑚火祭では火鑚臼と火鑚杵が使われる場所が違うのだが、出雲国造家の本貫地は熊野大社だったとされているため、元々は両儀式ともここで行なわれていたはずで、共に聖なる火で調理された贄を神と共に食し霊力を授かるというものだ。
 
代替わりと新嘗祭に神人共食を行なうのは皇室神事でも同様で、神に饗された食事を共に摂ることで、神との一体や神霊を身体に摂り込むというのは、古来より行なわれていた日本の風習と考えられている。
ただし、一般には直会(なおらい)と呼ばれることが多く、共食というより、お供え物のお裾分けを頂いて御加護、御利益を得るという感じだ。おかげを分けてもらうということだろうか。
 
御朱印を頂に行くと朱印帳を持っているかどうか尋ねられ、持っていれば差し出すように言われた。
何度も書いているように、この霊場は朱印帳が袋状になっていて既に半紙に書かれて用意されている御朱印を頂き、そこへ差し込めば良いようになっている。朱印帳に書いてもらう訳ではないので特に差し出す必要はないはずなのだ。もちろん今までも朱印帳の有無を尋ねられたことはない。
何だかわらないまま手渡すと、「お守りを貼りますから。」とのこと。
戻された朱印帳には、御朱印が挟んであり、その半紙の上に小さな赤いお守りのような御札が貼ってあった。とても粋な処理だ。
 
境内にひっそりと素戔嗚尊(すさのお)の八重垣の歌碑があった。
伝承では、大蛇退治後に宮を造ったのはここだと伝わっているらしい。しかし、ここの伝承は知る人が少ないようだ。
 
境内の一番前に祓所を見つけた。瑞垣で囲まれた一画は一面苔むしていて、前には石の台がある。方角的には熊野神社元宮の遥拝ではなさそうだが、何の神域なのだろう。神社には余所者には分らない謎が多い。


 

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