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素戔嗚尊と八岐大蛇 その9
水越峠(平成20年6月7日)
出雲市の南東、平成の市町村合併で雲南市(うんなん)の一部となった加茂町、そこを東から西へ流れる赤川が斐伊川(ひいかわ)に合流するあたりは長閑な農村風景が広がり、素戔嗚尊(すさのお)と八岐大蛇(やまたのおろち)の伝説が沢山残る。
加茂町の布須神社(ふす)のある延野(のぶの)の集落から戻った県道157号線周辺も、区画整理された水田が一面に広がっている。
以前は池があったのだが、昭和39年の水害で赤川の堤防が決壊し土砂が流れ込んでその後、現在のように田圃になっているらしい。今は池の痕跡は跡形もない。
消えた池の名前は、赤池。別名、血の池と呼ばれていたそうだ。
素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した後、切り刻んだ十拳剣(とつかのつるぎ)をその池で洗ったため大蛇の血で赤く染まったので、そのような名前が付いたとされる。
前を流れる川の名前が赤川なのも、大蛇を退治したときの血で川の流れが真っ赤になったことから呼ばれるようになったと伝えられる。
赤川に赤池。鉄鉱石で川底や池の土砂が赤茶けていたのではないかと考える人もいる。
中国地方、特に島根県東部と鳥取県西部は古来より踏鞴製鉄(たたら)で有名だ。明治以降西洋式の溶鉱炉による製鉄が広まるまでは全国一の産鉄地として知られた。その理由は、踏鞴製鉄の原料となる良質な砂鉄が豊富だったからとされている。
古代出雲を鉄の国と考え、国譲りを鉄を求めた大和朝廷の出雲侵攻とする見方は結構知られている。退治した八岐大蛇から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が出たこともそれを示唆するという。多分、赤川や赤池を岩肌が赤褐色の鉄鉱石の露出とする見方は、そういう古代出雲を鉄と深く結びつけた考えから来ているのだろう。鉄鉱石がごく身近にあったので製鉄に便が良かったのだと。
しかし、古代出雲、踏鞴製鉄、鉄鉱石、赤褐色の岩肌、といった連想には問題がある。踏鞴製鉄の原料は砂鉄で鉄鉱石ではないからだ。砂鉄には黒い正目(まさめ)と褐色の赤目(あかめ)といった種類があったようなので、赤褐色の砂があっても良いのだが、踏鞴で用いられた赤目は赤くない。黒い正目が主な原料で赤目は質が劣る砂鉄を称したようで、本当に赤褐色の砂鉄は使われていない。少なくとも中国地方の踏鞴製鉄が盛んになった以後は。
また、岩の赤褐色は必ずしも鉄鉱石を意味しない。川や池、または滝などで赤褐色になっているのはバクテリアによることが圧倒的に多い。鉄バクテリアの沈殿物で鉄鉱石ではない。もちろん砂鉄でもないので、そこからは製鉄は出来ない。鉄ですらなく、単なる赤、褐色などの色素を産生するバクテリアのことも少なくない。
古代出雲を鉄の国と見なすことには以前から少しひっかかるものを感じていて、考えれば考えるほど、踏鞴を知れば知るほど疑問が大きくなっているのだが、長くなるので、それはまた別の訪問地で想像することにした。
赤池のあったと思われるあたりから延野の集落の後ろに控える小高い山を眺める。真っ直ぐ伸びる車道は途中でなくなるがトレッキングなら鞍部を越えられる山道があるらしい。越えた先には加茂岩倉遺跡(かもいわくら)がある。その峠を水越峠(みずこしとうげ)と呼ぶ。
退治された八岐大蛇が横たわり斐伊川が堰き止められて川の水が溢れ、ついにそこの峠を越えたので水越峠と呼ばれるようになったと言い伝えがある。
古事記によると八岐大蛇は、八つの頭に八つの尾があり、その身には苔(こけ)や檜(ひのき)、杉が生え、長さは八つの谷、八つの峰(みね)にわたる、とある。これだけ巨大なら確かに斐伊川を堰き止められそうだ。
それにしても峠の標高は100mはありそうなので、大変な大洪水だ。大蛇が要求していたのは生贄の娘だけだったようなので、もしかすると、近隣住民にとっては大蛇の被害より甚大な災害となったかも知れない。スケールの桁外れな巨大生物を退治する時は色々と考慮しなければならない事が多そうだ。
消えて水田と化した赤池の近くに巨大な高い橋脚が立ち松江自動車道が南北に伸びる。今では車が水越峠の横を越えてゆく。
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深い考察とは、買いかぶりすぎです。単なる思い付きと勝手な空想です。
ただ、こうしてあちらこちらの古代史や神話に関する旧跡を訪ねて想像を膨らませると楽しいのです。
2013/1/10(木) 午後 9:46