同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

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素戔嗚尊と八岐大蛇 その10

雲根神社(出雲大津雲根神社)(平成20年7月6日)

平成20年7月6日。ここのところ急に暑くなった、梅雨明けはまだ発表されていないが昼間は連日30度を超えて、夜も熱帯夜になっている。夏本番に一気に突入したようだ。

国道9号線を西へ走り、斐伊川を越えて出雲市街地へ入って行く。橋を渡って直ぐに右手に見える小学校の交叉点を入る。学校の裏手の細い路地は車は一台しか通れない幅だが、他に行き方が分らないのでそこを入ると鳥居前に出た。道は間違ってなかった様だ。

雲根神社(くもね)は、周りは農地と住宅街が入り組んだ場所で社叢はなく境内を含めて明るい。直ぐ西は堤防でそこを斐伊川が流れる。

鳥居を抜けて進むと、南面する拝殿正面。鈴がない。本殿は大社系の造り。
拝殿の扉は鍵が掛かってないので、失礼して中に入らせてもらい参拝する。
拝殿内は土間で特別威厳のある風情はなく、むしろ事務所的な感じさえする。新しいからだ。

ここには周辺の氏神や祠が沢山合祀されている。現在でも堤防の隣で、斐伊川が暴れ川だった昔はこの辺りは氾濫に何度もあっているはずだ。明治の合祀令だけでなく、洪水に流れた神社も多かっただろことも合祀を進めたはずだ。社地も移動しているだろう。社叢が残っていないのも多分その様なことが関係しているに違いない。

社は新しいが神社の歴史自体は古いようで、風土記社の一つに比定されることもある。
由来によれば、斐伊川の中州の住民が開拓祖神として「ヒメ神」を祀ったのが始まりだとされる。その後、祭神が奇稲田媛命(くしなだひめ)と見なされるようになり稲田姫社(いなた)とか稲田神社と呼ばれていた。そして、近くにあった石塚社を合祀して石の異名である雲根を社号にしたとされる。

合祀された石塚社は石神社、石塚明神とも呼ばれ、素戔嗚尊(すさのお)と八岐大蛇(やまたのおろち)の伝説がある。
素戔嗚尊に退治された大蛇の頭がここへ流れ着き、それを哀れに思ったのか村人が埋めて石で塚を作り祀った。しかし、その後、塚から毎晩怪火出るようになり、恐れて困った村人が素盞鳴尊の神霊を祀ったところ、怪異がおさまったという話だ。

古事記や日本書紀の本文では、素戔嗚尊は八岐大蛇を斬り刻んだように書かれている。頭を斬り落としたかどうかは不明だが、書紀の一書には頭を切ったと、はっきり記されているので、あながち間違いではないだろう。それに、ビジュアル的にはやはり首を斬って頭を飛ばして欲しい。
具体的にはどこで八岐大蛇が討たれたのかは分らないが、斐伊川が血となって流れたらしいので、斐伊川の上流だ。それなら、首が下流のこの地に流されてきても不思議ではない。
血生臭く真っ赤に染まった斐伊川から巨大な大蛇の首が流れ着いたとすると、かなり怖い。これは丁寧に祀らなければ祟られると、村人が思っても不思議ではないだろう。

素戔嗚尊と大蛇の伝説があったからなのかどうかは確かではないが、石塚社の方が稲田姫社より住民の信仰に及ぼす影響が大きかったようで、合祀された石塚社が社号を取ってしまった格好になっている。それは、石塚社が有名になってこの辺り一帯を石塚と呼ぶようになっていたからだとされるが、どうも逆の気がする。

元々、この地域は石塚と呼ばれていて住民の氏神である石塚社があった。古来から斐伊川河口付近は氾濫と洪水に何度も遭っていて、当然ここも例外ではない。その度に社が流されただろう。再建するときに近くにあった稲田姫社に社地を移して雲根神社と号したとのことだが、稲田姫社に石塚社が合祀されたと言うよりは、稲田姫社の境内と社殿を石塚社が乗っ取ったと言う方が事実に近い気がする。
石塚の地名も、斐伊川からの堆積地だったため中には巨大な岩があったことから付けられたのではないだろうか。多分、その大岩なども度重なる洪水で流されてしまったのだろう。
稲田姫社の元の祭神の「ヒメ神」も、一般名としての「姫神」や祖先神ではなく、斐伊川を女神と見なして祀る社だったのではないだろうか。水の恵をもたらす神が暴れ洪水を起こさないように鎮めを祈願する社として。

本殿に向かって左には小さな速玉社という祠とお稲荷さんがある。
反対側である向かって右には荒神と思われる樹木と狛犬、さらに小さな石の祠や昭和荒神社、社日石標などが並び、その横に石神社の跡がある。
これが遷された石塚明神のようだ。石柱には、「石塚の社の神跡」、「八岐大蛇荒魂」などの文字も見えるが、その他は摩滅もあって読めない。八岐大蛇荒魂と言うのは、納められたのが頭ではなく荒御魂だったと言う話も伝わっているからだろう。
並びの中で一番大きなものは狛犬を従える荒神だ。一番端の石神はかなり小さい。この石が元々、石塚社にあったものだろう。石は大蛇の鎮めに置かれたはずだが、この石の大きさでは大蛇の頭を埋めた後に乗せても押さえ鎮められそうもない。怪しい妖火が毎晩出るようになった時に、石を大きなものにしようと思わなかったのだろうか。

合祀された社が多いが、その由来などは拝殿横の倉庫に説明板が掲げられていった。

神社名の雲根というのは「石」の意味だそうだ。
古代中国では「雲は石間より生ずる」とされ、雲は岩から湧き出したものだと考えられていた。石は、雲の元、つまり「根」であることから、石の異名を雲根と言ったのだそうだ。
新たに社号を付けた人は博識だ。

石塚社の旧社地は明治初年まで残っていたが、今は斐伊川の河川敷に出来た出雲ゴルフ倶楽部に埋まっているらしい。
ゴルファーはクラブを抱えて八岐大蛇の頭を地に踏みしめてプレーするのだろうか。それとも小さな碑でもあるのだろうか。


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