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いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

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伊邪那美命と比婆山 その9

熊野神社(比婆山熊野神社)(平成20年8月2日)

国道180号線からJR比婆山駅の近くの県道254号線で入り、どん詰まりのような山の奥深い場所に背後に比婆山系を従えるように大鳥居が建つ。実際は道はそのまま続いて広島県民の森へ続く県道256号比婆山県民の森線につながる舗装林道となっているらしい。あちこちに林間公園が整備されるのは、トレッキングやハイキング好きにはうれしい。

大鳥居には「比婆大社」の額。鳥居の向こうに聳える三角形の山頂が比婆山御陵で、この神社が御陵の遥拝所の役目を果たしているはずだ。そう思っていたのだが、後で地図を眺めると、どうも後ろの山は竜王山で御陵を仰ぎ見るのはこの位置では難しそうだ。
遥拝所と言うからには眺められなければならない気がするのだが、直接拝めない遥拝所は多い。以前はそれを不思議に思っていたが、昔の人は遠くから仰ぎ見る場合でも、直接だと畏れ多いと感じていたため、わざと見えない場所を遥拝所にしたのではないかと考えるようになった。まあ、直接見えなければならないと決めるのが現代人の思考なのかも知れない。神聖さとは心の中にあるものだから、見えようと見えまいと関係ないのだろう

境内は山の斜面にあるため参道は鳥居から登って行く形になる。
両側に巨大な杉並木が迎えてくれる。県の天然記念物、熊野神社の老杉群だ。幹周囲が、5m以上が11本、4m以上のものでも55本もあり、中には8mを越える巨木もあるそうだ。樹齢1000年を越えるものもあるとされ、さすがにその迫力と生命力には圧倒される。
深い山懐に周囲を杉の巨木とそれを囲む森は静かで深遠な気配が漂う。人の気配が全くなく、鳥やセミの鳴き声しか聞こえてこない。深い社叢で陽も差し込まない木陰の中。まさしく神域と呼ぶに相応しい場所だ。最近流行のスピリチュアル好きだと何か感じるのかも知れない。

途中の右手には玉垣に囲まれた他と比べてもいっそう太い杉があり「天狗の休み木」と呼ばれている。天狗とのつながりは熊野ではなく鞍馬のほうが強いと思うのだが、高い枝に天狗が立っていても不思議ではない雰囲気はある。説明には、地元では別の巨杉を天狗の休み木と伝えているともあり、どの杉の木で天狗は休んでいたのか正確には分からないようだ。ただ、どの杉も幹は太く、どれでも好きな枝で大丈夫だろう。

それにしても誰一人として見かけない。何年か前に比婆山をトレッキングをした際に立ち寄った時には登山者など、もっと多くの参拝者が歩いていたのだが。そういえば、駐車場の前の茶屋も閉まっていた。季節的には閉店時期ではないと思うのだが、一体何時賑わうのだろう。

拝殿手前の隋神門には神像はなく幣が納められているだけだった。
更に石段を登る。拝殿はそれ程特徴のない平入りの建物。ここの額は熊野大権現。
後ろの本殿は拝殿より一段と高い石垣の上にあり、拝殿から長い登廊でつながっている。登廊は橋のように高架状に架けられていて、その下には御神水がちょろちょろと湧いていた。

左手に背後の山へ登る小道が続く。そちらに進んで横から本殿を眺めると、本殿だと思っていた建物の後ろに小さな社が更につながっている。どうやら、それが本当の本殿で、その前は幣殿のようだ。造りの複雑さが古来よりの格式の高さを思わせる。
本殿は基本的には大社系の造に見える。やはり、熊野や比婆山、伊邪那美命となると大社系が相応しい。

案内があり、比婆山御陵まで7km。鳥尾の滝、別名、那智の滝700m。滝までもそれなりの登山道になるので、さすがにちょっと遠すぎる。しかし、途中の道沿いに小さな社があるはずなのでそれを確認するため、少しだけ登ってみる。

杉林に囲まれた道をゆっくり進む。植林されたものも混じっているのだろうが、巨木が多い。杉は比較的育つのが早いので想像するほど古くはないのかもしれないが、それでも神社の歴史を感じさせるには十分だ。
登山道へ進んで行く。鳥居があってまず出現するのが三宝荒神社と牛馬荒神社の小さな祠だ。

更に登ると二宮神社が見えてくる。その手前には一辺がは4-5mで高さは3m弱の巨大な箱型の四角い巨石がある。岩の前に金蔵神社(金倉)と書かれた祠がある。岩境として祭祀されていたとのことだ。典型的な磐座信仰の霊地だ。原始の祭祀場だったようだ。ここから出発し熊野神社が発展したと考えられそうだ。
もしかすると、比婆山頂の伊邪那美命御陵とされる磐座の遥拝所として里宮としての機能も備えていたのかもしれない。

そばには、別伝の天狗の休み杉がある。拝殿までの参道にあった杉でもこちらでも、どちらも大きな杉なので、天狗は好きな方に腰掛けて休める。その時の気分で休む場所を変えたのかもしれない。

更に100mほど上に三宮神社がある。鳥尾の滝は更に500mはあるだろう。完全な軽登山、あるいはトレッキングになるので、今回はここで引き返した。

伊邪那美命の御陵、比婆山、熊野神社はセットとなって何度も出現している。しかし、実は本家の紀州熊野には比婆山はないし、熊野三山も伊邪那美命を主祭神として祀ってもいない。

平安中期には法皇や上皇の行幸が盛んで、蟻の熊野詣と称された熊野参詣。そして現在、その道は熊野古道として世界遺産になっている。
熊野詣の一番の目的は熊野神社、つまり熊野本宮への参詣だが、熊野信仰は熊野本宮だけでなく主に三つの霊地で成り立っている。それは熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社で、総称して熊野三山と呼ばれる。三山と称されるように仏教的な要素が強く典型的な神仏混肴の信仰で、吉野金峰山寺と高野山金剛峯寺とを結ぶ修験道の道を抜きにしては存在しない。しかしそこには伊邪那美命の出番は全くない。主祭神としても登場しない。
本宮は家都御子神(けつみこ)、速玉大社は熊野速玉神(はやたま)、那智大社は熊野夫須美神(ふすみ)を主祭神とする(2006年、伊邪那美命陵と比婆山比定、その5)。
ここには、本殿の他に二宮、三宮があるので、それぞれ熊野三山に対応しているのかと思ったが、違った。本社は伊邪那美命、二宮は速玉男神(速玉之男神)、三宮は黄泉事解男神(事解之男神)。速玉男神と黄泉事解男神は、日本書紀によれば黄泉の国から追われた伊邪那岐命が厄を祓った時に出現した神だ。大本の熊野三山とは速玉之男神しか一致してない。

熊野神社と称する限りは、紀州の熊野三山に対応した神々を祀るのが本筋なのだが、実は、伊邪那美命や比婆山とセットになっている熊野神社の場合は対応してないことも多い。そもそも、紀州の熊野三山が伊邪那美命とほとんど関係していないので、どうしようもないのだ。
全国にある熊野神社は、熊野三山が知れ渡り熊野信仰が広がった結果で、伊邪那美命から出てきたものではないことが良く分る。

社伝によると、「創建不詳、和銅6年(713)までは比婆大神社と称し、嘉祥元年(848)社号を熊野神社と改称す」とのこと。もちろん、比婆山にあるので比婆大神社ということだろう。しかし、天平5年(733年)に完成した出雲国風土記には、備後国今の広島県との境としての山の名前に比婆山は登場せず、比婆山系の一つ、烏帽子山が遊託山(ゆたやま)と記されるのみなので、失礼ながら神社のこの由来は信じられない。比婆山は古名が美古登山だということも知られていて、比婆山と呼ばれるのがそれほど古いことではないのだ。社伝の説明には少し無理があるようだ。

比婆山系が現在のように比婆山と呼ばれるようになった後に記紀の影響で伊邪那美命の葬られた場所の記載から熊野という名前と結びついたと今まで考えていたが、ひょっとすると逆かも知れないとの思いが浮かんだ。
熊野という地名が先にあって、伊邪那美命と結びつき、その影響で後ろの山系が比婆山と見なされるようになったのではないだろうか。それなら出雲国風土記に比婆山の名前も伊邪那美命の話も登場しないのも納得できる。


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