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大国主命の舞台 その5
御岩宮祠(平成20年6月28日)
鳥取県西部、米子市(よなご)の北西、米子水鳥公園は西日本でも有数の野鳥の生息、越冬、飛来地となっているが、その隣に原生林で覆われた粟嶋(あわしま)と呼ばれる高さ30m程の小山がある。少彦名命(すくなひこな)の伝説のある山だ。
山頂に鎮座する粟嶋神社)を参拝した後、山裾を反時計方向に歩く。
島を1/4周程回ると、大岩宮の扁額の赤い鳥居がある。御岩宮祠(おいわきゅうし)という岩だ。お岩さん、とも呼ばれるらしく、何だか四谷怪談の様だが全く違う。
粟嶋は古くは中海(なかうみ)に浮かぶ小島だったが、埋め立てが進んだ現在は海辺に接した小山に変わっている。この岩も以前は粟嶋とつながるかどうかの距離に海から突き出ていたはずだ。
海の彼方からたどり着いた少彦名命が、ようやく着いた、と抱きついて初めて上陸した岩とされる。粟嶋の地名説話では、少彦名命が粟の穂に弾かれて常世国へ旅立ったので粟嶋と呼ぶようになったとされている。上陸した場所と、去った場所では大きな違いがある。随分と混乱があるようだ。
粟嶋は、出雲国風土記に登場する意宇郡の粟嶋がここに比定されている。ここは伯耆国で出雲国ではないのだが、出雲国風土記には弓ヶ浜も記されていて、風土記が作られた時代には律令制以後の旧国の境よりも出雲国はもう少し範囲が広かったと思われる。
しかし、風土記には他にも嶋根郡、出雲郡などにも粟嶋があり、特別な固有名詞というよりは普通にありふれた名前だったことが分る。遠くから見ると粟の実の様な小さな島という事だろう。
粟嶋は島全体が御神体として信仰されていた。木々は生い茂っているが全体は岩山で周囲は急な崖で囲まれている。これが海に浮かんでいると、上陸して登るのはなかなか困難だったろう。当然、重要な祭祀は頂上で行なったが、日常的な祀事は下で済ますようになった時に、依代(よりしろ)として祀られたのがこの岩、御岩宮祠、お岩さんだったのではないだろうか。
また、そこには客人信仰(まろうど)も加わっていたと想像できる。
客人信仰は、稀な人、つまり遠くから訪れる異邦人を神と見なす考え方で、全国に見られる。時に神は山を越えたり海の向こうからやって来た。
島はその名前の粟から容易に少彦名命と結び付く。少彦名命は海の向こうから訪れる客人の性格を持つ神なので、神を迎える依代としての役割を持つ岩とも結び付く。
粟島、少彦名命、依代などが形を変えながら粟嶋の伝説が形作られていったと思われる。
大岩神蹟とも呼ばれるようだが、大岩という呼べる程ほど大きな岩ではない。地面から見えるのは2m程だ。お岩さんと言うのは、多分、大岩から来たのだろう。
岩には木が数本生えていて、それに囲まれるように頂上に小さな祠が置かれている。祠の前には置物のような狛犬もある。
コンクリート製の階段が付けられていて、その続きが土台となり祠が乗っているので、正面から見ると岩らしくない。どうして、上り下りに使うのは猫くらいしかいなさそうな幅しかない小さな階段を付けてしまったのだろう。
岩は御神体か依代のはずなのだが、一部とはいえコンクリートの階段で覆って、頂上にも土台を作るのは、如何なものか。
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