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いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

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○第四番、医王山、感神院、木山寺 (平成16年7月24日)

国道に戻り更に進むと今度は木山寺の看板が現れる。部落の中の少々狭い道を山に向かって進む。木山神社の里宮と木山寺は事前に調べた限り数百メートルしか離れていないはずなのだがなかなか着かない。どんどん山に入って行く。山道を1km程登った山上に駐車場が見えた。この道は少し判りにくい。

木山寺は430mの木山山頂にあり周囲は老木で囲まれ、規模は違うが高野山や比叡山などの山岳寺院の雰囲気がないでもない。何件か民家が見られるが人の気配はほとんどなく静かで落ち着いていてのんびりと心が癒されるようだ。
ここでも伽藍の立派さに驚く。今でこそ中国山地の鄙びた集落に過ぎないが、以前はここが大変な信仰を集めていたことが実感される。古社寺巡りをしていると小さな町に壮大な規模の社寺があり驚くことがよくある。現代の市街規模が昔、特に中世以前を反映していないことにそのたびごとに気づかされる。

ただここで一番興味を引くのは寺院の大きさでなくその一風変わった伽藍様式と祀られている神仏だ。他に類を見ないのではないだろうか。
まず神仏習合の別当寺だったことを示すような赤い鳥居が迎えてくれる。前に広がる蓮池には弁財天が祀られている。寺というより神社に近い。寺に赤い鳥居のお稲荷さんの組み合わせはここ以外でもしばしばあるので鳥居には驚きはしないが本堂の裏に回ったところで頭の中に疑問符が浮かぶ。
そこには神社本殿のような社殿が建っていた。さほど大きくはないが二間四方の全面に精密な彫刻を施し、本堂の真後ろに一段高くなって向拝に階段がついた社がある。入母屋平入りに千鳥破風をつけて、正面左右と三面が入母屋の様に見える。全体にかなり凝った造りになっている。組みものの基部に建っていてまるで御神輿のようだ。
その社が本堂の真後ろにあって、あたかも本堂が神社の拝殿のような位置関係になっている。本堂の後ろにこのような建築物が附属するのを今まで見たことがない。

本堂正面の寺額に牛頭天王(ごづてんのう)と善覚稲荷のニ神が刻まれているのがこの謎を解く鍵になっている。
明治の神仏分離の際に神仏習合だった木山寺は基本的に神社にされた。そのとき稲荷神も社格へしてもらう認定を政府に請求したが、善覚稲荷は神ではないとの達しがあったため神社と分離し社殿をそのまま木山寺に迎えたのが現在の寺構という。社をそのまま残してお寺とした苦心の対応がしのばれる。このような形で社殿を残した例は極めて珍しいだろう。
現在では御本尊は薬師如来とされ、牛頭天王と善覚稲荷を鎮守神として祀る。寺伝によれば815年(弘仁6)に弘法大師によって開かれ、907年(延喜7)牛頭天王を鎮守として祀り、1814年(正徳4)京都伏見稲荷より稲荷神を勧請したという。善覚稲荷の名前は勧請した当時の住職である善覚にちなむ。
牛頭天王の本地は薬師如来、善覚稲荷の本地は十一面観音とされる。そしてこの十一面観音が縁となり中国観音霊場札所となっているのだ。少々複雑だが、伽藍と共に祀られる神と本尊にも神仏習合の伝統がそのまま現在に息づいている。

特に観音堂というものがあるわけでなく、本殿に薬師如来と観音菩薩が二尊ともに本尊として安置されているので、お勤めは本堂で行えばよいようだ。

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