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○神社紀行 玉作湯神社(平成17年11月20日)
観音像の拝観はかなわなかったがせっかくなので玉作湯神社(たまつくりゆ)を参拝することにした。近くなので歩く。
参道鳥居に向かって右手に史跡出雲玉作跡がある。どうやらこの神社境内と周辺が玉作りの跡らしい。玉というのはもちろん勾玉(まがたま)のことだ。勾玉の工房があったことから玉造(たまつくり)の地名になっている。地名は玉造だが神社は玉作。
史跡の表示はあるが残念ながら単なる空き地。公園として整備される予定らしいがその気配もなく地方自治体の苦しい経済状況を考えると、このままで終わりそうな雰囲気が漂っている。元々遺跡というのは華やかさがないが、更にそれが忘れ去られたようになっているとかなり寂しい。
箱が設置してあり中に説明のパンフレットが入っている。珍しいことだ。ひょっとすると本当に史跡公園にする予定があるのか。
参道脇の説明によると主祭神は玉造の神である櫛明玉命(くしあかるだま)、国作りと温泉療法の神の大名持命(大国主命)、さらに温泉守護の神である少彦名命となっている。
大国主命は因幡の素兎の神話にもあるように剥かれた皮を治したことから医療の神様として知られる。また、被害者ではあるが八十神の迫害で命を落とした時に生き返ったことも治療の神様として祀られることに関係しているだろう。
風土記では大国主命と少彦名命は協同して出雲の国作りを行い、農耕や医療を広めたとされている。古来温泉といえば湯治であり医療行為の一種であった。そのため、ニ柱ともに温泉の神様として知られ多くの温泉で祀られる。
ところで玉作りの神というと玉祖命(たまみおや)なのだが櫛明玉命とどう違うのだろうか。神社の由来書には櫛明玉命は天明玉、豊玉、羽明玉、玉祖命などの異称を持つとある。後で統合したようで何となく混乱が見られる。各地で勾玉を製作していた玉作部(たまつくりべ)が奉じていた神はいろいろだったということかも知れない。もしそうなら玉作部は単一の部族ではなく、それぞれの土地の技術者集団が統合総称されたものだったとも考えられる。結構急な石段の参道を登りながら想像は尽きない。
参道の階段途中に出土品の収蔵庫が建っている。社務所へ申し出ると見せてもらえるらしい。古代土器の破片や古代ガラス球の一部などが弥生時代にまでさかのぼるらしいとの説明がある。連絡してまで見学したいほど出土品には興味がない。
拝殿には何故か鈴がない。本殿は大社造のようだ。
境内はよく整えられている。向かって右には小社が立ち並ぶ一角がある。一つは稲荷で狐の像がかわいい。その左に御仮殿という倉庫のような建物があるが何だろうか。
さらに本殿裏には板葺きで覆われた四角い場所がある。周囲は注連縄で囲ってある。基礎と礎石のようなので本殿建替えの時の仮殿だった場所だろう。
ひょっとすると古墳が神域とされているのかもしれない。
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