同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

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白壁の町並み、柳井

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○白壁の町並み、柳井 (平成18年8月5日)

これから先しばらく札所が遠くなる。移動を考えると本当は2泊3日である程度まとめて廻りたいところだが休みが取れそうにない。今まで通り週末の一泊を繰り返すことに決めた。少々効率が悪いが仕方がない。
平成18年8月5日早朝、空が明るくなり始めた頃に出発。国道180号線から183号線と進んで庄原IC(しょうばら)へ向かう。西方面への移動に使ういつものルートだ。途中の国道はあちらこちらで片側一車線の交互通行になっていて崖の補修工事が行われている。今年の梅雨の大雨、平成18年7月豪雨の爪痕だ。

七塚原SA(ななつかはら)に7時半到着、休憩した後、広島を目指して走る。途中の中国山地では霧が所々出ていて気温も22℃で涼しい。中国道に入っても霧は続いていて全身がしっとりと濡れる。メッシュウエアにインナーを付けてきて正解だった。

個人的に庄原から広島へ向かう中国道は心に引っかかる思い出があるため、いつ走っても少し気分が晴れない。早く通り過ぎたいためか思わずスピードが上がってしまう。

広島自動車道を経て山陽自動車道へ向かう。
広島北JCTを過ぎたところで空が一気に晴れた。宮島SAで二回目の休憩を取る。
ここには鳥居のある展望所があってそこからに宮島が拝めるはずだが、あいにく霞んでいてはっきりとは見えない。思えば宮島の大聖院を打ったのは一年以上前なのだ。巡礼はかなりのご無沙汰だ。
気温も急上昇してきたためウエアのインナーをはずしたりして暑さ対策をする。

玖珂IC(くが)から県道70号柳井玖珂線を南下して柳井市内(やない)に入った。観光案内所の場所を、散歩中の老人に尋ねたたら案内所の前だったという間抜けた状況ではあったが無事に到着した。明治40年(1907)、周防銀行本店として建てられた洋風建築の洒落た建物なので、案内所とは思わなかったのだ。町並み資料館、町並みふれあい館も兼ねている。
案内所に来たのは大休憩と小観光のための情報収集だ。柳井の町はこれから行く般若寺と深い関係があるのでぜひ見ておきたい場所がある。

バイクは停めたまま、歩いて町を散策する。
住宅街の路地を70mほど入ったところに湘江庵という小さなお寺がある。もとは隣の誓光寺の一部だったように見えるが今は別経営のようだ。ここに、柳井の地名発祥となった柳と井戸がある。

欽明天皇(きんめい)の時代、豊後の国、臼杵(うすき)の炭焼き小五郎は満野長者(まののちょうじゃ)とも呼ばれ、彼には菩薩の再来と賞賛される美しい姫がいた。名前を般若姫(はんにゃひめ)という。その噂を聞いた橘豊日皇子(たちばなとのとよひ)は豊後を訪れ結婚の約束をして都へ帰った。皇子は後の用命天皇(ようめい)で聖徳太子の父として有名だ。
姫は多くの者を伴にして船で都へ向かったが、柳井とその沖の周防大島(すおうおうしま)の間にある大畠の瀬戸で遭難し、そこで海を鎮め船を守るため神仏に祈り自ら荒海に身を投げた。幸に伴の者に助けられ船も陸に着くことが出来た。上陸後、姫は里の者に案内され清水をもらったところそれが大変おいしいと、お礼に持っていた不老長寿の楊枝を井戸のそばに差したところ一夜で芽を出してやがて柳の大木になった。そこで、その柳と井戸から柳井の地名が生まれたのだという。
しかし、姫は衰弱激しくこの地で亡くなり神峰山に葬られた。欽明天皇となった皇子は後に勅命して満野長者に姫の菩提を弔う寺を建てさせた。それが今から向かう般若寺だ。
いわゆる般若姫伝説のハイライトで柳井と般若寺との関係が語られている。伝説自体はもっと長く、さらにこの前後に満野長者である炭焼き小五郎の話が付いていたりするらしいが詳しくは知らない。とりあえず柳井と般若寺の関係だけはわかる。炭焼き小五郎が主人公の話では満野長者は真名野長者(まなのちょうじゃ)と呼ばれることが多いようだ。

姫が荒れた海を沈めるため身を投げる話は記紀の日本武尊(やまとたける)の東征での話とほぼ類似している。
天皇の命で日本武尊は東の蛮族を討ちに遠征するが、走水(はしりみず)の海、今の浦賀水道で海神の怒りをかい海は荒れて難破しそうになる。そこで同行していた后の弟橘媛(おとたちばな)は海神の怒りを鎮めるために海に身を投げる。それによて荒波は穏かになり船は無事渡れたとされる。
伝説ではなく記録としては、魏志倭人伝には持衰(じすい)という役目らしきものが記されている。航海中は断食などさせて精進させ、無事船が着けば褒美を与えて、もし海が荒れれば責任を取らされて殺されたされる。これから荒海を鎮めるために人を犠牲にするのは日本では非常に古くからあった風習なのがうかがわれる。

小さな境内の中央にある柳と井戸を眺めていると庭掃除中の老人が寄ってきていわれの説明を始めた。大体のことは知ってますとも言えないので、相槌を打ちながら聞く。
話し好きなようで完全に捕まってしまった。ここを訪れる観光客は多くないのだろう。久々の聞き手を見つけた老人はなかなか話が終わらない。
「般若寺へ行く予定です。」話の流れでこの後の行き先を聞かれたのでそう答えたところ、「ここへは研究か何かで?」と訊ねられた。
柳井の柳と井戸を見学して般若寺へ行くというのはどうやらあまり一般的な観光ではないようだ。

四代目の切り株が残されているので現在の柳は五代目らしいが、初代は本当に飛鳥時代の木だったのだろうか。
本堂と思われるお堂が開いているので簡単にお勤めをさせて頂く。
正面は1mほどの十一面観音立像、左脇侍が薬師如来で右脇侍が虚空蔵菩薩となっていて非常にかわった組み合わせだ。本来安置された三尊ではないのかも知れない。
こういっては失礼だが、小さなお堂にはもったいないほど像はなかなか美しく整った優雅なもので歴史を感じさせるものだ。

江戸時代の商家を保存してあるむろやの園の前を戻り、白壁の町並みを歩く。入母屋、妻入で、漆喰、土蔵の家並が続く。道路もレンガ舗装で非常に美しい通りだ。
旧町並みの保存を行っているところは様々あるが、この柳井の町も観光案内所とこの周辺はよく整備されていて統一された落ち着きのある景観を作り出している。
もちろん古くからの町並みそのものではなく観光を意識して整えられている。テーマパークの様だといえばその通りで、それを作り物と呼んでしまう人もいるようだが、個人的には嫌いではない。本当に昔ながら状態の町屋や街道では現在の生活に非常に不便になるのは間違いないからだ。ある程度の近代化されたリフォームは仕方がないだろう。

人通りが少ない。もっと観光客が多くてもよさそうだが知名度やアクセスの問題だろうか、それとも時間が少し早いのか。
町の特産の金魚ちょうちんがずらっと軒に吊られているのも夏らしい風情だ。もう一度、のんびりと時間をかけて散策したい町だ。

観光案内所に戻って般若寺への道順を聞く。とても親切に説明してもらう。巡礼案内書ではかなり山の中らしく書かれていた。少々心配なので道路状況も訊ねる。
「道は悪いですか。」「車ですか?車なら大丈夫。」
「バイクです。」「ああ。楽勝楽勝!大型トラックだとちょっと苦しいですけどね。」
大型トラックで観光して回る人もいないと思うが、ともかく自家用車程度なら問題なく行けるということだ。
職員の対応も丁寧でますます柳井は好印象の町となった。
それにしても気温はどんどん上がり暑くなって既にバテ気味。朝の中国山地の涼しさはどこへ行ったのだ。

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