|
○瑠璃光寺 (平成18年8月5日)
香山公園(こうざん)を進むと瑠璃光寺(るりこうじ)の五重塔が見えてくる。どこまでが公園でどこから境内かはっきりしない。一応道を横切るのでそこが境界なのだろう。
五重塔とそのまわりの庭園にはさすがに観光客が多い。廻ってきた中国観音札所の各寺とは大違いだ。ボランティアガイドの周囲で沢山の人が説明を聞いている。山口市の一二を争う観光地であることを実感する。それと同時に急に俗世間に戻った気がした。
美しい刈り込みの向こうにすっくと立つ国宝五重塔は記念写真定番の図で団体客用のお立ち台が用意されている。また、池から眺める塔もやはり観光パンフレット必携の構図。どちらにせよありきたりの絵なのだが、それはそれでやはり美しく写真に残したくなる。
五重塔は現存する大内文化の最高傑作とされる。室町時代の建立で京都の醍醐寺(だいごじ)、奈良の法隆寺のものとならんで日本三名塔とされるらしい。確かに見事なプロポーションで美しく、眺めていても飽きない。
山口に旅行に来てここへ来ないということはありえない。かなり以前に訪れたことがあるのだが塔しか覚えてない。正直言って瑠璃光寺はほとんど記憶から抜け落ちている。本堂としてのお寺は印象に残るほどの寺院ではないからだろうか。観光客も本堂に足を伸ばす人は少ない。五重塔の印象が強すぎるためなのだろう。
瑠璃光寺の前身は室町時代に大内義弘(よしひろ)が現在の地に建立した香積寺(こうせきじ)とされる。義弘が応永の乱で足利義満(よしみつ)に破れた後、五重塔は弟の盛見(もりはる)が兄の菩提を弔うためにに建設が開始された。関ケ原後には防府長門(ほうふながと)を与えられた毛利輝元(てるもと)が萩に居城し香積寺もそれとともに移された。そして、その跡地に大内氏の重臣、陶弘房(すえひろふさ)を弔うため弘房夫人がに建立した安養寺(あんようじ)の後を継ぐ仁保瑠璃光寺を移転したのがこの寺らしい。何だか複雑で一度聞いてもさっぱり理解できない。
要するに、五重塔のある香積寺という寺があったが、寺が萩へ移った跡に、別の場所にあった瑠璃光寺という寺をここへもって来たということらしい。現在では瑠璃光寺の五重塔と呼んでいるが、正確には瑠璃光寺にあるもと香積寺の五重塔というべきか。
塔のと寺の変遷はともかく、ここが大内文化を伝える寺院と建物であることは確かなようだ。
御本尊は金色も鮮やかな薬師如来。これは新しそうだ。あまりにきらびやか過ぎて少しありがたみが薄れるが、開かれた本堂に堂々と安置してあり誰でも気兼ねなく拝顔できるのは気持ちがいい。
|