同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

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観音堂

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..五十五番、観音堂

「土庄から始めて順番に打ってこられたのならここで納経は全部終わりですよ。」
宝生院の納経場でそう言われた。
しかし納経帳を埋めるのではなく、札所は全部打つつもりでここまできたのだ。まだ自分の心の中では打ち終わっていない。

五十五番と五十六番はすこし歩かなければ行けないのは昨夜確認してある。さいわいまだ日は高い。徒歩で300mとなっているので宝生院にバイクを停めたまま歩き始める。
住宅街の中を進んでゆく。歩き始めたものの、ここの札所も案内書の地図が全然役に立たないことがわかる。しかたがないので道端の遍路道の表示を頼りに進んでゆく。それでもわかりにくい。道と勘違いした舗装は水の流れていない用水路だったりする。
途中で尋ねながら進むものの入り組んでいてなかなか着かない。登りきったところにあると聞きそれらしいところを息を切らせて登ったがはずれで、距離は100mもないが残暑と疲労の蓄積で残っていた最後の体力のほとんどを無駄に使ってしまった。
再び遍路みちの表示を発見して畑の畦道を歩きそして山道を登る。わずかな登りなのだがすでに一気に踏破する力は残ってない。
見上げるとそれらしい建物の屋根がのぞいている。虫取りをしている小学生の子供たちがいたので観音堂かどうか聞いてみた。
「知らん。何しに来たん?」
聞いたあとに気がついた。いくら地元といっても子供がお堂の名前まで知ってるはずがない。
何となく子供たちと合流して歩き出した。お堂らしく見えた建物はうれしいことに間違いなく札所だった。正直なところもしここも違っていたらどうしようと心配していたほど疲労困憊している。しばらく休まないともう動けない。しかし子供の前で弱みは見せられないため平静を装っておつとめを始める。息があがっているのを気づかれないようにしよう。
「何するん?」「お参りだよ」「・・・???」
この子供たちはお遍路を知らない。宝生院でおばさんから聞いた「お遍路が少なくなって」という言葉を思い出していた。お遍路が多ければお堂の名前は知らなくてもここが札所だということぐらいは知って育つだろう。遍路装束ではないのでわからなかったということでもなさそうだ。

見知らぬ旅人に興味を失ったらしく子供たちは元気に下へ降りていった。バテテ動けないのでベンチに座って涼みながらこの先の島遍路を考えると少し心配になった。
あの子たちが自分の年になったときにここの遍路はまだあるのだろうか。残っていたとしても道やお堂は廻れる状態なのだろうか。
四国遍路は多分なくならないだろうが全国のうつし遍路は消える運命にあるのかもしれない。

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