同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

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一森神社

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○一森神社(平成18年10月15日)

県道51号線に戻り出雲市方面へ進んで行く。道が広いのは禅定寺への入り口があるところまでで後は1-1.5車線の山間道路となる。山を越えるとそこは稗原(ひえばら)。

以前に何度か仕事の手伝いに来たことがあるところだ。そこは隣の神社の神主を兼ねている。神社へは一度も足を伸ばしたことがないので寄り道してみることにした。
出会うと話が長くなって逃げられなくなる恐れがある。留守だとは思うが見つからないようにこそこそとバイクを停めて神社へ急ぐ。

林の中を登ってゆく長い整備された参道にまず驚いた。そこからさらに伸びる石段途中にはしっかりと八脚門。社殿の大きさにもただ驚くばかり。
境内の摂社を含めて全ての建物が白木で新しく建替えられている。本殿は立派な大社造。これほどの神社の神主だとは思っても見なかった。綺麗とは言い難いが社域に池も二三あっていかにも由緒正しそうな神社だ。正直これほどの規模の神社だとは想像してなかった。見くびりすぎていた。
失礼ながらこのあたりは典型的な老人の過疎の村だ。これだけの造営が氏子だけで出来るのだろうか。不思議なものを見た気分だ。

不思議といえば参道石段を登りつめた拝殿前に鳥居ではないものが建っている。両側の柱の頂上近くに一本の横木が通されたものだ。鳥居だと両側の柱の上にもう一本横に渡される笠木がある。
これは以前に尾道の西国寺で見て、何だろうと思ったものだ。最近になってこれは門の一種の冠木門(かぶきもん)というものらしいと知った。これで西国寺の謎は解けたが、ここは神社なのにどうして鳥居でなくわざわざ門にしたのか。

説明板によれば主祭神は阿陀加夜怒志多岐吉比売命(あだかやぬしたききひめ)、父神は大国主命(おおくにぬし)、母神は玉邑比売命(たまのむらひめ)。全く馴染みがない。
もとは出雲国風土記の加夜社とされ、やはり風土記の保乃加社を合祀して現在の地で同形同大の二つの本殿で祀っていたのが今の一社になったものだとも記されている。その他少々複雑な経緯も述べられているが、とにかく由緒正しい社であることは確かなようだ。

参道の入り口近くに摂社がある。小さな日吉、秋葉、武内神社などの社が建っている。
境内の中央に岩がありその上に五角柱の石柱が据えられている。石柱には天照大神(あまてらす)、大名持命(おおなもち)など刻まれているが残りは読めない。社日(しゃにち)と呼ばれるもので一般的には天照皇大神、大己貴命、稲倉魂命(うかのみたま)、埴安媛命(はにやすひめ)、少彦名命(すくなひこな)の五柱が多いらしいが、その組み合わせの理由はわからない。
ここでは磐座と産土の社日が合体したもののようだ。ひょっとすると一森神社のこちらが元々の本体ではないだろうか。

後日、見知らない祭神に興味がわいたので少し調べた。
阿陀加夜怒志多岐吉比売命は出雲国風土記にしか登場しない。出雲市の西に多伎(たき)という地がある。風土記には阿陀加夜努志多伎吉比賣命が鎮座されるから「たき」と呼ばれると記されている。多伎神社がそれに比定される。多伎吉比賣(たききひめ)とは「たき」の「ひめ」という意味のようだ。
一方、阿陀加夜怒志(あだかやぬし)というのは「あだかや」の「ぬし」、つまり「あだかやの王」のことだと思われる。

興味深いのは松江市の東にある東出雲町に出雲郷と書いて「あだかえ」と読む地があることだ。そこにはこの女神が祀られている阿太加夜神社があり、それは風土記にも載る由緒のある神社だ。ところが阿太加夜神社がある「あだかえ」の郷は出雲郷ではなく国引き神話の舞台である意宇の杜の候補地ともされた場所に近い。つまり意宇郡にある。風土記で出雲郷というのは現代の出雲市に近い斐川町の西側あたりを指す。つまり出雲郷でもないところに出雲郷とかいて「あだかえ」という地名があることになるのだ。両者は30km以上離れている。

どうやっても出雲郷を「あだかえ」とは読めない。
出雲郷からの移住者の集団が一族の神である阿陀加夜怒志多岐吉比売命を祀った阿太加夜社を奉じていたことから、出雲郷の者たちの住むその部落を「あだかや(あだかえ)」と呼ぶようになったと考えると少しは説明がつきそうだ。
それでも問題が残る。風土記で阿陀加夜怒志多岐吉比売命の説明のある多伎は実は神門郡(かんど)で出雲郷のある出雲郡ではないことだ。
出雲郡と神門郡はとなりの郡なので多伎の神を出雲郡でも祀っていた集団があり、意宇郡近くに移り住んだのが出雲郡の集団だったとすると説明はつかないこともない。それでも出雲郡出雲郷は神門郡多伎と隣で接しているわけではなく少し離れているのが難点だ。

さらに、風土記に「あだかや」という地名は出てこないのも頭を悩ませる。先に書いた意宇に阿太加夜社というのがあるのが「あだかや」の唯一の例なのだ。

つまり「あだかやの主」というのが今のところ何なのか全く想像できない。
「あだかやの王」であり「たきの姫」であるというのはどの様な意味なのか。謎は全く解決されなかった。ひょっとすると「あだかや」というのは地名ではないのかも知れない。
いずれ機会を見て阿陀加夜怒志多岐吉比売命をもう少し調べてみたいものだ。

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