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..第二十三番、天応山、神門寺 (平成18年10月15日)
県道から国道184号線に入って出雲市街へ向かう。次の札所は島根大学医学部附属病院を目印にする。病院の前を少し入った場所なのでわかりやすい。
ここの門の仁王も彩色がすこし剥げた漫画チックでユーモラスな表情をしている。禅定寺といい出雲の仁王は皆こんな具合なのだろうか。もちろん偶然だろうが。
神門寺(かんど)は住宅街の真ん中にある寺で浄土宗だが弘法大師堂や観音堂がある。これは元は真言宗だからだ。
正面の本堂は巨大な入母屋唐破風の建物でどこにも古臭さを感じさせないところなどがいかにも浄土系のお寺に思わせる。ただこの印象は個人的な経験と勝手な思い込みによるもので何の根拠もなく全く無責任な感想だ。
納経所は庫裏の玄関。寺は大きいが特に納経の受付があるわけではない。出てこられたのは残念ながら少し愛想少ない奥方で、一人ぽつんと玄関で待つ間少々居心地が良くなかった。たまたまその時の些細な態度に過ぎないのだが納経の時の印象で寺のイメージが大きく決まってしまうことが多い。人への対応は大切だ。一期一会。自分自身も反省しなければ。
境内裏には小さな稲荷社や秋葉社などの小社が点在している。皆少し痛んでいる。
本堂後ろには池だったと思われるくぼ地がある。その横に影向石(ようごういし)として別名いろは石がある。
影向石というのは寺の開祖などに縁のある岩石で磐座と同じようなものだ。ここのいろは石には弘法大師の伝説が残る。元真言宗の寺であったことがここで関係している。
いろは歌は弘法大師の作という説があるが、弘法大師空海はこの寺でいろは歌を作ったとのだという。寺には空海の真筆と伝えられるいろは歌が残されているらしい。さらに「この世から文字が失われた時に掘り返してみよ」と石の裏にいろは歌を刻んだとされる。それがこのいろは石だそうだ。
こうしたことからこの神門寺は別名いろは寺とも呼ばれている。空海がここを訪れたのは遣唐使の時の航海安全祈願とも、唐から帰った後で出雲大社への参拝途中だったともいわれるが、いずれにせよ楽しい言い伝えだ。
石をひっくり返して見たい衝動に駆られるがさすがにそれは出来ない。
さらに興味をそそられる史跡があった。門をくぐって向かって左の一角にある五輪塔。これが塩冶判官(えんや)の墓とされる。塩冶判官の名は聞いたことがあったが恥ずかしながらその時は誰だか思いだせなかった。それは忠臣蔵だった。
忠臣蔵はもちろん知らない人はいないだろう。元禄14年(1701年)3月14日、遺恨による確執で赤穂(あこう)藩主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)は殿中にて吉良上野介(きらこうづけのすけ)を脇差で切りつける刃傷沙汰を起こしてしまい赤穂藩は取り潰される。浪人となった藩士47名が筆頭家老大石内蔵助(おおいしくらのすけ)の指揮で元禄15年12月14日吉良邸へ討ち入り上野介の首を取って藩主の恨みを晴らす。赤穂事件としてよく知られた話だ。
この事件はいろいろな作品にされ芝居になったりしたが、中でも人形浄瑠璃や歌舞伎の仮名手本忠臣蔵の影響が大きい。今では忠臣蔵といえばほぼ仮名手本忠臣蔵のストーリーを指す。
赤穂浪士討ち入りは日本三代仇討ちの一つとされるが実は幕府は仇討ちと認めなかった。
仇討ちは父母の仇を届き出て子供が討つものとされる。特に子供がいない場合に兄弟や甥姪が認められただけだ。意外だが逆に子供の仇を親が討つとこは出来なかった。結構厳密に認定されている。つまり忠臣蔵のように主君の仇を家臣が討つというのは仇討ちとしては論外ということになる。
当時民衆には赤穂義士として英雄扱いされたようだが当然幕府は吉良上野介を討ったのは私闘であって単なる喧嘩に過ぎないと判定した。
そのため仮名手本忠臣蔵では幕府に憚って、そのままではまずいと舞台と主人公の設定が変えられている。
大石内蔵助は大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)とすぐにそれとわかる名前になっている。そして吉良上野介は高師直(こうのもろなお)、赤穂藩主浅野内匠頭が塩冶判官高貞(たかさだ)。時代は南北朝で太平記の頃。塩冶判官と呼ばれた高貞が高師直に謀反の疑いをかけられて討たれた実際の事件がありそれに重ねた設定になっている。
その史実の塩冶判官の墓がここにあるのだ。知らなかった。
実はこの寺に関係しているいろは歌と忠臣蔵は無関係ではない。仮名手本忠臣蔵の「仮名」とはいろは歌を指すという説がある。
「ん」を除くいろは歌は47文字で赤穂浪士の47人と一致する。
また、いろは歌には暗号が隠されているといわれていて、「いろはにほへと」と7文字で区切って書き並べると行の最後が「とかなくてしす」「咎なくて死す」、つまり無実の罪で死ぬと読めるというのは有名だ。
殿中刃傷沙汰の後始末で吉良上野介はおとがめなく浅野内匠頭の切腹というのを、この「咎なくて死す」で密かに示したともいわれている。
仮名手本忠臣蔵で登場人物を塩冶判官としたのにはいろは歌と関連のあるこの寺のことが頭にあったのだろうか。
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