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○出雲大社 (平成18年10月15日)
出雲市内を平田へ向かいながら沿道のラーメン屋に入り遅くなった昼食をとる。
はじめてこの近くを旅する人ならここまで来て出雲大社へ寄らないというのはありえない選択だ。出雲大社は伊勢神宮と双璧をなす日本を代表する神社といってよい。今では神宮や大社という名前の付いた神社は各地に多いが、古くは神宮といえば伊勢神宮を指したのと同様、大社といえば出雲大社を意味したほど出雲大社は全国に知られていた。
出雲市から松江市にかけては古代史や日本神話に関心のある人は一日では到底足りないほど見所が多い。中でも出雲大社は様々な伝説や伝統行事などに彩られた出雲神話の中心となる場所だ。たとえ神様に何も興味がなくても出雲に足を踏み入れた人は誰でもここだけは素通りできない神社だと断言できる。
観音巡礼だからと札所だけを廻り、他には一切眼もくれないという巡礼もあるのだろうが、実は出雲大社は次に向かう札所の鰐淵寺(がくえんじ)と密接な関係にある。いや、あったと過去形のほうが正しい。
中世には全国どこでも有力な神社は次々と仏教との融合である神仏習合が進んだ。神社には別当寺や神宮寺が置かれて神事を僧侶が取り仕切るようになる。これは神社の都合というより仏教側の宗教支配力が強くなったということのほうが大きいのだが、神社に僧がいることは普通になっていた。
少なくとも戦国時代には出雲大社も鰐淵寺の支配を受けるようになっている。
全国的には別当寺が消えるのは明治政府の神仏分離令のためだが、出雲大社はかなり早い時期に寺の影響下から離れている。
江戸時代初め、それまでの藩主に代わって松江松平家初代の直正が松江に入る。出雲大社への信仰が篤かった新しい藩主へ大社側が働きかけて鰐淵寺との関係を解消させることに成功している。
これによって打撃を受けたのは鰐淵寺で、それまで出雲大社を利用した膨大な勢力を持っていたのが、以後寺勢は衰えてかげりをみせることになる。
現在、出雲大社を訪れると境内は広い松林になっている。そこはかつて寺院の塔や大日堂などが建っていた跡だという。今では全く仏教色は排除されて、以前は寺が管理していたその片鱗すらも感じられない。
このような歴史的背景からも札所鰐淵寺の番外と考えて参拝するのも悪くないだろう。
しかし、今回は敢えて寄らないことにした。出雲大社へ参るも当然といいながら敢えて参詣しないのも、どうかと思うが、何度も訪れているのでたまには近づかないのも許されるだろう。
正直なところ大社へ寄ると見所が多く、ゆっくりしすぎて今日の内に札所がほとんど廻れなくなりそうだからだ。
出雲大社へ参拝するルートを取るならば回り道ついでに日御碕(ひのみさき)まで足を伸ばしたくなる。日御碕からは日本海側へ出て次の鰐淵寺へ行けるといったことも理由だが、日御碕神社は出雲大社と相争うほどの影響力を持っていた神社でお互いの関係など興味深く、様々に想像を膨らませるのも捨てがたいのだ。しかし、のんびり巡礼とはいってもさすがに程度というものがある。
後ろ髪を引かれる思いで大社に背を向けて東へ走る。
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