同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

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倭文神社

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○倭文神社 (平成19年5月26日)

投入堂(なげいれどう)遥拝所を後にして三朝(みささ)方面へ戻り途中の県道29号三朝東郷線で東郷湖畔(とうごう)へ出る。
道は燕趙園(えんちょうえん)という観光公園の前に出るが今日は用がない。県道22号倉吉青谷線(くらよしあおや)を右にとって東郷温泉の町中を走る。温泉街は相変わらず寂れている。鄙びているというほうが響きが良いかもしれない。もっとも、表現を変えたところで人通りが増えはしない。

東郷湖の周りをグルッと時計回りに道なりに走って行くと案内が出るのでそのまま進めば特に苦労もすることなく到着。集落の地名は宮内で、神社があったことからの名前で社のの古さを表している。

湖に迫るような御冠山(みかむりやま)の中腹のやや高台となった村はずれに雑木林に囲まれて鎮座している。
驚いたことに駐車場に3台も車が停まっていた。田舎の観光地でもない神社では車が停まっているのは珍しい。
倭文神社(しどり)は伯耆(ほうき)一宮なのだが、一般的な知名度はそれ程高くない。残念ながら観光客が来る様な神社ではないのだ。

倭文を「しどり、しとり」と読むのはかなり難しい。
古代に「しず」や「しつ」と呼ばれた織物がありと「倭文」と書かれる。そして、織られた倭文布、倭文織を「しずぬの」、「しずり」、「しどり」などと言ったらしい。そこから、倭文と書いて「しどり」と読まれるようになったとされる。
どの様な織り方なのか正確にはわからないが、木や麻で作られた糸で格子状の模様を織り出したものようだ。もっとも、はっきりとした織り方を説明されても違いがわからないのだが。
機織(はたおり)は古代では特殊技能で、この倭文を織る集団が倭文部(しとりべ)だ。このあたりに倭文部がいたことになる。

倭文神社の主祭神は建葉槌命(たけはづち)で、倭文部の祖神や氏神とされる。この神は実に謎が多い。

古事記には登場しない。日本書紀では出雲の国譲りの後、引き続き経津主神(ふつぬし)と建御雷神(たけみかづち)の二神は葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定してゆくが、星の神の香香背男神(天津甕星神)(かがせお、あまつみかぼし)だけが征服できなかった。そこで倭文神(しとりがみ)である建葉槌命を遣わして服従させたとある。

何故、武神、軍神である経津主神や建御雷神が敵わない相手を、機織の神が平らげることが出来るのだろう。それに、古来機織は女性の仕事とされている。記紀にも機織は女性がしている記事しかない。当然、機織の神は女神なのが筋だろう。
どうも建葉槌命は本来は倭文神でも機織の神でもなかったとしか思えない。

機織りの祖神として信仰され、倭文造の祖とされているもう一柱、天羽槌雄神(あまのはづちお)という神がいて、これは先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)や古語拾遺(こごしゅうい)で、いわゆる天岩戸隠れの記事に登場する。
高天原(たかまがはら)で素戔嗚尊(すさのお)の乱暴狼藉に恐れをなして天照大神(あまてらす)は天岩戸(あまのいわと)の中に隠れてしまい、この世は闇となってしまう。そこで、いろいろな神々が集まってそれぞれに画策して天照大神を外に誘い出すのだが、この時に天羽槌雄神は文布(しつ、倭文)を織ったとされる。

大和、葛城(かつらぎ)の葛木倭文坐天羽雷命神社の由来に「天羽槌雄神またの名を建葉槌命といふ」とあるらしく、はっきりと同一神とみなされている。
「天」と「建」は尊く雄雄しいといったほぼ同じ意味での尊称で、「羽」と「葉」はどちらも同じ読みで、「雄神」と「命」も同じなので天羽槌雄神と建葉槌命は同じだというのだ。しかし、何となくこじつけのような気がする。

天岩戸隠れでは天羽槌雄神と並び、天棚機姫神(あまのたなばたひめ)が神衣(かみむそ)を織る記事が載っている。この神は女神だし、名前からも機織の神様そのものだ。
これが本来の倭文神のような気がするのだがどうだろうか。
並んで出てくるところ、男女の神ということなどから天羽槌雄神と天棚機姫神はペアの神様と考えられる。そこから天羽槌雄神も機織の神になり、音の類似から天羽槌雄神と建葉槌命が同一神とみなされるようになったのではないだろうか。
まあ、いつものようにまったく根拠はないのだが。

大きな隋神門(ずいじんもん)をくぐり広い参道を進んでゆく。
玉垣(たまがき)で囲まれた境内に入母屋の拝殿が聳えている。本殿は一間2m前後の三間社流造(さんけんしゃながれつくり)。唐破風(からはふ)や木鼻(きばな)などの彫刻も見事だ。かなり大きく立派な社だ。
さすがに一宮、といいたいところだが、伯耆一宮である倭文神社の候補は二ヶ所ありここが一宮と決定されたのは、裏山の経塚からの出土品によってであった。つまり、古代から連綿とこの大きな神社が維持されていたのではなく、一宮もはっきりわからなくなっていたということだ。発掘は大正4年、つまり社殿などはそれ以後に整備されたはずなので比較的新しいのだ。
それにしてもかなり立派な社なのだが、以前来たのは10年以上前なので記憶がほとんどない。神社までのアクセスが道が農道のようだったことしか覚えていなかった。

社務所に神職がおられる。どうやら駐車場の一台は彼のものらしい。
途中で若い女性の二人連れとすれ違う。何と彼女が手に持っているのは一宮巡拝の朱印張だ。
全国一宮巡拝というのは聞いたことはあるが、実際に朱印帳を持っている人を始めて見た。ひょっとすると巡拝の連絡をあらかじめ受けて社務所に人がいるのかもしれない。普段、ここに詰めていても、参拝者が来そうにないから。
それにしても、一般の札所巡りと違って、一宮巡拝は全国を廻らなければいけないので大変そうだ。

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