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○伯耆一宮経塚 (平成19年5月26日)
倭文神社(しどり)参道途中に伯耆一宮経塚への案内と小道がある。神社横の山を少し登るように遊歩道が延びているが、どの程度の距離なのか、道の状態はどうなのか全然わからない。
少々不安だったが今日の予定はここで終わりなので多少時間がかかってもまだ日も高い。意を決して登って行くと100m足らずで到着した。道は危険はないが枯葉が積っていて滑るので少し気をつけなければ転ぶかも知れない。
経塚(きょうづか)は単に柵で囲ってある雑木林の中の浅い窪地に過ぎなかった。枯葉の積った穴の側面には積み石が少し見えている。石室の一部だろうか。
説明板と柵がなければ誰も気がつかないような場所だ。干上がって枯葉で埋もれた古池といった感じしかしない。
何故か隣には西国観音霊場三十三番、谷汲寺(たにくみ)の小さな観音の石仏が置かれている。近くには三十一番もある。どうやらミニ霊場があるらしいが、廻る道は全く見えない。観音像も全て揃っているのかどうかも不明だ。
経塚もあるように中世には神仏混肴の神社で周辺には神宮寺も沢山あったらしい。ただ、この石仏はその名残ではないだろう。観音像が新しすぎる。
倭文神社の主祭神は建葉槌命(たけはづち)なのだが、実は合祀されている下照姫命(したてるひめ)の伝説のほうが多い。多いというより建葉槌命の伝承はなく下照姫命を祀った社といってもいい。
この経塚も下照姫命の陵墓と伝えられていた。
大正4年の発掘で古墳ではなく経塚であることが判明。また、その出土した銅経筒(きょうづつ)の銘文から少なくとも平安時代後期には伯耆国一宮であったことがわかったのだ。
ちなみに、この時の出土品は国宝に指定され、現在、東京国立博物館に展示してある。
東京へ行った時に時間が余れば上野の博物館へ足を運ぶことが多いのだが、今まで伯耆一宮経塚出土品の展示をじっくり見ているひとにはお眼にかかったことがない。国宝といっても地味すぎるのだろう。正直言って、個人的も知っているから立ち止まるだけであまり興味はない。研究者でもないし。
下照姫命は大国主命(おおくにぬし)の娘で天若日子(あめのわかひこ)の妻だ。天若日子は記紀の国譲り神話に登場し、高天原から葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として遣わされたにもかかわらず、下照姫命を娶って天照大神に復命しなかったために、返し矢で命を落とす話としてよく知られる。
社伝によると、出雲から下照姫命は船で渡って来て仮屋崎(かりやざき)に着き、この地に鎮まったとされる。つまり、全くの下照姫命の社なのだ。そこには建葉槌命の出番はない。
仮屋崎というのは仮名崎ともいうらしく、ここの北の日本海の海岸にある羽合(はわい)の宇野(うの)と泊(とまり)の宇谷(うだに)の間らしい。そこには下照姫命が腰を掛けたという御腰掛岩や化粧を直した化粧水などが残っているという。
また宇野の東海岸には「亀石」という岩があって下照姫命が仮屋崎に到着したときに乗っていた亀が変わった石だと伝えられているらしい。御腰掛岩は乗ってきた船だという話もある。それにしても、下照姫命は船で来たのか亀に乗って来たのかどちらなのだ。
残念ながらこれらの旧跡は未確認だ。
出雲から船で海岸に到着というのは今日寄り道した波波伎神社(ははき)にある事代主神(ことしろぬし)の話と良く似ている。もしかすると、元は同じ伝承が変化したのかも知れない。
古代、先進文明や文化は朝鮮半島から船で入ってきた。その玄関は北九州と日本海沿岸だ。運悪く難破した場合も日本海沿岸に漂着する。このあたりの海岸に、正規の航海にしろ漂流にしろ、海のかなたから高い文化と知識を持った人がやって来たことはあったはずだ。それがこの伝説の元になっていると考えるのは無理だろうか。
主祭神の建葉槌命といい、下照姫命といい、謎が多い。
謎といえば建葉槌命と下照姫命の組み合わせも不思議だ。このニ神の接点がないのだ。
ここの主産業が織物だったことから建葉槌命を倭文部(しとりべ)が祀ったところに、この地方に伝説のあった下照姫命が祭神として加わったが、倭文織(しずおり)が姿を消すと下照姫命だけが残っていったのだと説明されてる。
しかし、何だか海からの客人(まれびと)の想像が頭から離れない。
波波伎神社では客人が事代主神と見なされるようになり、ここでは下照姫命とされるようになった。この想像が正しいないら、祭神が事代主神や下照姫命とされるようになったのは、記紀が成立して事代主神や下照姫命が広く知られるようになってからと考えられる。つまり倭文神社に下照姫命が祭神として加わるのはかなり次代が降ってからということになるだろう。それに対して、歴史的には倭文織が盛んだったのはそれ以前かなり古いはずだ。
そんな風に考えると、建葉槌命が忘れ去られていったため下照姫命の伝承が残ったというのは順序として疑問が残る。
もっとも、別に説明が出来る案を持っているわけでもない。
今では下照姫命は安産の神として信仰されている。ここも例外ではなく安産の神社で近隣には有名とのことだ。
神社近くの道沿いに「安産岩」というのがあった。
毎回難産で苦しんでいた女性が願かけをしたところ、満願の日に下照姫命が夢に現れれてこの岩の所で楽に出産出来たという。この岩を削って飲むと霊験があるそうだ。
しかし、記紀には下照姫命と安産を結びつけるそれらしい記述は全くない。これも不思議なことだ。どこで下照姫命が安産祈願の神様になったのだろう。
まったく八百万の神には謎が多い。
引き続き県道234号線を道なりに東郷湖(とうごうこ)をぐるっと回る。途中に出雲山展望台という場所があるが、ここから下照姫命が故郷を偲んで出雲の方を眺めたので出雲山と呼ばれるようになったという。さすがにこれは無理で、出雲が直接見えることはない。
後は帰るだけだがツーリングを続ける時間が十分ある。
今朝来た道をバックする形で三朝(みささ)へ向かい、そこでそのまま国道313号線を走り新しい犬挟峠(いぬばさり)道路で蒜山(ひるぜん)へ抜ける。蒜山高原もツーリングの定番で時折旅のグループとすれ違う。
さらに、大山(だいせん)に戻って県道52号線を流す。
大山環状道路もいいのだがこの道も捨てがたい。環状道路ほど知られていないために何より交通量が少ないので気持ちよく走れる。お薦めの道の一つだ。ただ、観光するならやはり環状道路のほうが良い。
最終的には225kmのツーリングとなった。札所だけ走るのと比べて5割増しにはなっているだろう。寄り道が多かったから。
注)伯耆一宮経筒は東京国立博物館に寄託されているが、いつも展示されているわけではないようだ。展示されている時と、されていない時、両方の経験がある。
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